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先生は学校のママ

 ある日、担任をする一年生の女の子が、私のことをママと呼び始めました。「ママじゃないよ、先生だよ。」と伝えたところ、「先生は学校のママだよ。」と私の目をまっすぐに見て言いました。確かに、一年生からしてみればそういう存在なのかもしれません。その日から、その子は、私に「ママー!」と言って駆け寄って来るようになりました。その様子を見た周りの児童は、「〇〇ちゃん、先生はママじゃないよー!」と言っていましたが、彼女の、「先生は学校のママだよ。」という確信に満ちた物言いに、感化されていきました。いつのまにか、たくさんの児童が私に「ママー」と駆け寄って来るようになりました。私は、何度も「先生は、ママじゃないんだよ。」と伝えましたが、その様子を面白く思って見ていたその他の児童たちも、「確かに、先生は学校のママみたいだね。」と共感し、「ママー」と駆け寄る声が大きくなっていきました。

 子どもたちの話を聞くと、本当のママではないことはよくわかっている上で、「先生は学校のママ」と言っているようでした。「私たち、僕たちは、先生をママのように思って慕っている」とのことなのです。休み時間に、「ねぇ、ママ。」と語りかけてくるのです。まるで、ままごと遊びをしているかのようです。
 私は、教師ですから、「ママじゃないよ」と言い続けていましたが、いつの間にか私も影響を受けていたようで、うっかり、自分のことをママと言い間違えることもありました。

年が明けてから、次の学年に素敵な2年生として進級するため、「ママって呼ぶのはやめようね。これからは、先生って呼んでね。」と話しました。一年生なりの神妙な面持ちで聞いていました。私は、国語で学んだ教材の言葉を引用し、先生はみんなのこと、「ずうっとずっと大好きだよ。」と伝えました。

 子どもたちが、私のことを学校のママのように思っているという信頼に応えられるよう、できる範囲内ではありますが、私なりに子どもたちと向き合ってきました。

「この学級に自分の子どもを通わせたい。」そう思えるような学習集団づくりを目指しました。つまりそれは、私が母親だったら、という視点です。母親のように一人一人の子どもたちの成長を喜び、困難な時は、「できるようになれるといいね。」と、励ました日々がとても愛しく思えます。

 このように、時に家族のような気持ちで向き合った子どもたちとの毎日は、残り数日となりました。

 夏休み明けに出会い、確か秋ごろからママと呼ばれ始め、来週お別れをします。「誰かの心に残る人になる」そんな思いで教師を続けてきました。みんなの心に残る先生になれていたら、こんな素敵な仕事はないなぁと思います。

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