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魂のブートキャンプDay4.

骨は私たちを支える基盤

4日目は骨について 8.19.2023

骨は私たちの基盤。
肉体的にも精神的にも私たちを「支える」大切な存在。

なので骨に問題がある時、私たちは自分を支えることができていない。
言いかえると、自分への信頼が欠如している時、骨に症状として表れる。

例えばこんな感じ。

◎腰痛
 経済的な問題を抱えている、愛とサポートが欠けている時。

◎肩こり
 支え過ぎ。世界を背負い込んでいて、重荷がかかっている時。

◎関節リウマチ
 罪悪感、コントロール、頑固さがある時。

◎背骨のゆがみ
 文化や人種、プライドへの問題を抱えている時。


MOTOKOさん曰く
「基盤とは、全人類が大前提もっているもの。健康、人間関係、お金といった豊かさのこと。本来これはみんな持っていて当然のものなのに、自分への信頼が欠けていると ”ない” ものになってしまう。
本当はあるの。自分の中に。
人はこれがある前提で人生を進んでいくものなのに、この3次元の地球ではこれを得るのが人生の目的になってしまってる。逆なのよ」

「自分への信頼」と聞いて

この言葉を聞いた時、
ふわふわと水の中を漂うクラゲのような浮遊感があった。
自分が自分としっかり結ばれていない感じ。

これまでの自分との向き合いの中で
「私が私を一番大切にする!」と誓って行動してきたけれど
自分への信頼があるかどうかはまた別の話で。

というか、悲しいかな「ある」とは言えない。

これは私が自分自身にずっと問いかけてきたことでもある。

「なんで自分のことを信じられへんのやろ?」
「何があったら自分を信じられるようになるんやろ?」

そして今の時点で出てる私の中の答えは
私が信じようと思っている”私”はエゴの私であってホントの私ではない。
だから信じられない。

ホントの私とは、私の中にいる神さま(創造主)のことで
その存在自体を信じられていないから自分を信じられないんじゃないかと。

あのですね、シータをここまで学んできてるにも関わらず
創造主の存在を信じられないなんて

「まだそんなこと言うてるんか…」

と自分でも思うのだけれど正直そうやねんもん…。

そしたらMOTOKOさんがこう言った。
「自分の中の神さま(創造主)との信頼を感じないようにしている人ほど
早く大人をやっていた人です」


大人をやるってどういうこと?

さらにMOTOKOさんは続けて
「ここに来ているみんなはね、自分よりもマインドセット(精神年齢)が子供の親を選んで生まれてきてるのよ。
早いうちから ”大人” をやりたくてその親を選んできた。
その大人って何?
その大人という振る舞いは、あなたがあなたを信頼している状態?」

自分よりも精神年齢が子供の親ということは
子供である私が両親の ”親” をやってきたということだ。

ホントにそうだった。
水と油ほど反発しあう父と母。

いつもピリピリしている父。
口を開けば母に攻撃的なことしか言わない父の雰囲気を察知し
機嫌をとるような行動をし、母を守るような立ち居振る舞いをしてきた。
子供の頃からずっと。

大人になってからは両親が喧嘩をして口もきかない状況になると
私が呼ばれ、お互いの意見を私が双方に伝えるという伝書鳩のような役割をしていた。

ずっと父が嫌いで、母が好きだった。
父が加害者で母が被害者だと思い込んできた。

今になってわかるけれど、これも違っていた。


父と母はお互いの学びのためにその相手を選んできているのであって
喧嘩をしようが何しようがほっておけばよかったのだ。

でもそんなこと知らない私は、ずっと親の ”親” をやってきた。
だって仲良くしてほしかったから。
二人の幸せそうな顔を見たかったから。

そんな私は純粋に ”子供” をやってこられなかった。

切ない…。
このことを思うと、みぞおちの奥の方が重くなる。
よく頑張った私。

そして ”子供” をやってこられなかった私は

「ちゃんとしなきゃ」
「失敗しないようにしなきゃ」


というマインドが強い大人に育ってしまった。

だからいつも自分に厳しく他者にも厳しい。


失敗を許された時のみ愛を感じる

失敗することを自分に許してこなかった人たちは、いつも緊張している。

前回の記事でも書いたけれど

幼い頃から外の世界がこわかった。
内の世界にも心から安心できる場がなかった。

学校でも失敗しないように、家でも私がなんとかしなきゃとずっと踏ん張ってきた。だから「リラックスする」というのがどういうことか分からない。

自分では「これがリラックスできているってことでしょ」と言う感覚は
ホントのそれではないらしい。

MOTOKOさんは言う。
「子供とは失敗を許されている状態のこと。
子供は失敗を許された時のみ愛を感じるものなの(3次元で言うところの愛)。この愛を知っていると本当の意味でリラックスできるのよ


そう言われて一瞬意味が分からなかった。
これまで大きな失敗をした経験もないし、多少なりの失敗も親にとがめられたこともない。
「失敗を許されてない」なんてことないけれど…。

ちが-う。

そもそも「失敗しないように」頑張って生きてきたのだ。
失敗しようがないではないか。

MOTOKOさんの言う「失敗を許される」とは

何をしてもいいよ。自由だよ。結果なんて関係ない。
あなたがあなたのままやりたいことをやればいい。

これを自分に許すことなんじゃないかな。

私が私を全方向から解放する。

言ってはいけないこともないし、してはいけないこともない。
私のする選択は私にとってすべて正解。

「こんなこと言ったら(したら)人に嫌われる」
「責められるかもしれない」
「批判されるかもしれない」
「仲間はずれにされるかもしれない」

これら全部をとっぱらってありのままの私を表現する。
これを自分に許可することが、

失敗を許される=リラックスできている、愛を感じる

ということではないかと思うのです。

うわ-。こわ-。
これ今まで私がやってきたことと正反対のことやん。
できるかな…。

と不安になる一方で

「ありのままの私で許される愛の世界で生きてきたい」

という私もいるのです。


自分にかけてるコントロールは自分でしか外せない。

そこには「私が私を幸せにするんだ」という決意と
「人から何を言われてもかまわない」という強さが必要だ。

こわいし、急にはできないだろうけれど

私はそんな世界で生きていく。

そう決めたので、自分のペースで少しづつ進んでいこうと思っている。


今日も見に来てくれてありがとう。

















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