心の受容に必要なこと。
「頭で納得することと、心が受容することの間には『行動』が必要ですね」
父への思いが反転したこと(前回の記事)をいつもお世話になっているセラピストさんに伝えた際に言われた言葉です。
前回の記事⇩
ホントにそうだなぁ、と実感しています。
家族の元を去って以降、色んなセッションや学びを通して傷ついた心と向き合い癒してきました。
その時々で怒りが爆発したり、奥に隠れていた自分の本音に氣づいて涙したり、ゆるしたくてもゆるせないジレンマがあったり…。
色んな思いがありました。
そうやって時間をかけて「私はもう大丈夫。家族のことはほぼ解決済み」と思っていたけれど、それは頭の中だけで「納得しようとしていた」に過ぎませんでした。
だって全然違ったから。
会って自分の氣持ちを話した後の感じは、これまで受けてきたセッションやワークでは感じたことがない安堵感がありました。
とは言え会いに行くまではずいぶん時間もかかったし、氣も重かった。
できれば会わずにこのまま何事もなかったかのように過ごせないものかとも考えていました。
でも実際行動して感じたのは
行ってよかった。
正直な氣持ちを話せてよかった。
この経験がなかったら私は家族を受け入れることはできなかったと思います。
それはイコール「自分を受け入れることができない」ということ。
どこかに偏りが生じながら頑なな自分を続けていたのだと思います。
インナーチャイルドの癒しをおこなうセラピストがクライアントによく言うセリフで
「今ここで出てきた怒りを直接親に言ってはダメですよ。親は昔のことを言われてもなんだ急に⁈ってビックリするからね」
というのがあります。
今回のことを経験した後で思うのは
言いたいなら言った方がいいんじゃない?
いやむしろ言わない方が心の受容を妨げるのでは?
と感じています(もちろん怒りをぶつけるのではないことが前提ですが)。
実際私の知り合いは「子供のころの未消化の感情を昇華させたい」と直接お母さんに当時の氣持ちを話したそうです。
冷静に正直に。
「あのとき言われたこんなことがイヤだった」
「お母さんのこんな態度に傷ついた」
「もっとこうしてほしかった」
最初、近くにいたお父さんがそれを聞いていて
「お前突然何を言い出すんや!」
と言ったけど、お母さんがそれを遮って
「お父さん、ちょっと待って。この子に言わしたって」
と制して全部話させてくれたそうです。
彼女はお母さんに謝罪を求めて言ったのではありません。
自分の中にずっと残っていた感情をちゃんと相手に伝えることがしたかった。
ただそれだけだったと言います。
だから話せただけで
「めーっちゃすっきりした!」
と言っていました。
家族関係やパートナーシップにおいて関係性がこじれたとき
「これ以上話したくないと」
「しばらく会いたくない」
という感情はあって当然です。
近い存在だからこそ、そこに湧く感情は重く直視したくないものです。
でもだからこそ自分の心が整い準備ができたら次は
「会って氣持ちを伝える」という行動をする。
そこはスルーしちゃいかんのだと思います。
それなしではホントの自分が満足しない。
だって心は言いたがってるから。
ハートの望みを察知して叶えてあげる。
勇気のいることだけれど、とても大事なことだなぁと感じました。
今日も読みにきて下さりありがとうございます。
また書きます。
会って
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