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『美味しいから三ツ星レストラン』なのか『三ツ星レストランだから美味しいのか』

大学の授業は、卒業要件を満たすように、自由に単位を選択できる。
研究分野は神経科学だが、所属は情報系なので『論理学』の授業も当然ある。

論理学は、伝統的には哲学としての側面がある。それが現代では数学的演算が導入され、数理論理学という分野ができた。僕が学んだのはこれである。

この授業の入門として、そしてこういった分野に遠い人でも

AならばB

といった命題は聞いたことがあると思う。
例としてここでxは実数、という条件をつけて

A:xは自然数
B:xは整数


という2つの命題(簡単に言うと問い、設問)を考えると

「xが自然数」ならば「xは整数」

が成り立つ。子難しい話だが、当然と言えば当然である。
だが、その逆は成り立つのだろうか?
「AならばB」の逆は

BならばA

である。これに、先程の命題を与えてみると

「xが整数」ならば「xは自然数」

となる。これは果たして正しいのか?
答えは、正しくない。である。x=-1ならば条件に合わない。
(整数:0,1,-1,2,-2... 自然数:(0),1,2,3,4....)

つまり「AならばB」は正しくても、「BならばA」とは必ずしも言えないのである。


『美味しいから三ツ星レストラン』なのか『三ツ星レストランだから美味しいのか』

別にレストランや料理人に対して怒っているわけではありません。厳正な審査のうえで獲得する賞はたくさんあるので、何もそれらを否定しているわけではありません。僕が言いたいことは3つ。1つ目は

称号や肩書があるからといって胡坐をかくな。

特に現役を退いて指導に回る立場の人間が、今活躍している、活躍しようとしている人間をつぶすようなことをするな。

その道を行くのであれば、生涯にわたって、もう出来なくなるまで突き詰めていくべきだと思います。出来なくなったら引退して、次の世代が歩いて行けるようにしてあげるのが指導者だと思います。過去の栄光にしがみ付いて、今の世代を食い物にするべきでは、決してないはずです。


次に、必死に努力している、僕を含む今の世代に言いたいのは、

「称号」や「肩書」を目的とするのではなく、単なる通過点として、自身の実力をあげることに今後も注力すべきである。

ということです。今がんばっている世代は、何らかのコンテストで優勝することや、資格をとることを目標にしている人も多いと思います。それ自体は全然かまわないと思いますし、モチベーションを保つ意味でも重要です。しかし、それを目的にしてしまい、そのあとに伸びない、成長しようとしない人をたくさん見てきました。これは意味がないわけでなく、周りに影響を及ぼす可能性もないわけではありません。

大事なのは、自分の技術向上を図るため、日々努力していく姿勢を忘れないことです。当たり前なことですが、これは難しい。でも純粋に、その道を突き進んでほしい。正しく、まっすぐ伸びてほしいです。


そして3つ目、最後に多くの人に言いたいのは、

肩書で判断せず、実際に見て自分の頭で判断してほしい。誰かが評価しているから、ではなく自分にとって尊敬に値するか、賞賛に値するのか決めてほしい。

もちろん、すばらしい人はたくさんいる。凄まじい努力の果てに世間から評価され、その結果数々の賞を受けたり、肩書を背負う人もいる。しかし、妄信するのではなく、自分で判断できるようになってほしい。

ではどうすれば、自分の頭で判断できるようになるのか。
その答え、僕は「教養」だと思っています。

例えば、音楽の知識がない人が、正しく評価できるのか。万人受けする、誰にとっても聞き心地のよい音楽は確かにある。しかしそれを正しく理解し、何が人々を惹きつけるのかを分析するには、ある程度の音楽の教養が必要ではないでしょうか。

食について、日本の食事は毎日食べたり、作ったりするので何もしなくてもある程度わかるかもしれません。しかし海外の食に対してちゃんと評価できますか?美味しいか、美味しくないか、は分かっても、この料理の本来の味や、その文化圏での食に対する考え方、捉え方を知っていなければ、自分の好みに合うかどうかの、上っ面のことしかわからないと思います。ここでもやはり教養が大事かなと思います。

アカデミックな分野でもそうだと思います。自分の専門については造詣が深いかもしれませんが、分野が違えばなかなか細部を理解し、評価するのは難しいと思います。

ここでいう「教養」とは何も「勉強」ができるかとか、そういうことだけではないと考えています。僕の考える「教養」とは、「勉強」と「訓練」による「心の豊かさ」だと思います。

別に勉強が苦手だからとか、頭良くないからではなくて、物事を知ろうとする姿勢、これが大事だと思います。何も一度で理解しろというわけではありません。何度も理解しようとし、そしてそれを繰り返し続ける訓練が大事ではないでしょうか。

多くのメディアに出ているアーティストだから、音楽が上手いのですか?
著書がたくさんあるから、真っ当な知識人なのですか?
医者や弁護士の言うことは、すべて正しいのですか?

そして、三ツ星レストランだから、美味しいのですか?


まだ20数年しか生きていない、人間初心者の僕ですが、こうゆうことをたくさん見てきたつもりです。これから社会の中で生きていくのなら、もっとこうゆう出来事があるのか、と思い文字に起こそうと考えました。若造が小生意気な説法ごたごた並べてすみません。

すこし批判的な記事になりましたが、もう一度言いますね。
特定の業界や界隈への批判ではありません。先に述べた通り、厳正な審査のうえで与えられる称号・肩書も数多く存在し、それらを否定する意図はありません。ただ、その後の本人の振る舞いや、周りの妄信に対して以前から疑問を持っただけです。

ここまで読んで下さりありがとうございました。
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