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これまでのW杯全大会を振り返ってみた1930→2022

カタールW杯。階段は一歩ずつ登りなさい。神様からそう告げられたように感じました。

ドイツ、スペインに勝利した2試合は本当に痛快でした。しかもW杯という世界の舞台でやり遂げたことは、日本サッカーにとって本当に大きかったと思います。

日本が強豪国相手に善戦することは、日本サッカーの歴史を振り返ると実は結構挙げられるかと思いますが、(個人的に印象深いのは、ジーコ時代のコンフェデのブラジル戦、ロンドン五輪でのスペイン戦、ザッケローニ時代の欧州遠征のフランス戦等々)ただ、それらはどちらかと言うと、「時の運」的な要素も強かったように感じますが、今回の2勝は、本当に日本が世界のサッカー強豪国への仲間入りの扉を開く一歩に感じました。

でもやっぱりベスト8には届かず。。

ただ、恐らく僕だけではなく日本国民の多くが、日韓のときよりも、南アフリカのときよりも、ロシアのときよりも、「クロアチアに勝って、ベスト8に行けるんじゃないか」そう思わせる期待感があったかと思います。結果としては残念でしたが、その期待感が味わえただけでも、日本サッカーは前進している、そう感じることも出来たので、僕個人的には今回の日本のW杯は、大いに満足しているところもあります。

ドイツ、スペインに勝ったうえ、これでもしベスト8進出していたら、それこそ一気に階段を3つ4つ飛ばすような感じで、思わぬ落とし穴にはまってしまうのではないか、階段は一歩ずつ登りなさい。そう言われているようにも感じました。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、ここでW杯イヤーの最終日の今日、タイトルの通り、これまでのW杯の歴史、全22大会をざっくり振り返ってみたいと思います。実は大学生になって、自己紹介を兼ねた一番始めのプレゼンで、このテーマを話し、誰も聞いていなかったという苦い思い出があります(笑)
プレゼンは誰かに聞いてもらうもので、ただの自己満で話しても、誰も聞いてくれないという、ものすごくシンプルなことを教わりました。。。
しかしここはnoteなので、ただの自己満で書いていきます!

第1回 1930年 ウルグアイ大会 

優勝国:ウルグアイ
参加国:13ヵ国(地区予選なし)
記念すべき第1回大会は南米のウルグアイ。建国100年を記念して行われたとのことで、欧州4ヵ国、南米8ヵ国、アメリカの13ヵ国と今よりだいぶ参加国は少なかったみたいですね。

ウルグアイ代表メンバー

第2回 1934年 イタリア大会 

優勝国:イタリア
参加国:16ヵ国(地区予選32ヵ国)
イタリア・ファシスト党のムッソリーニによる政治利用された大会。しかしその後のW杯のひな型を作ったとも言われている。

ムッソリーニ

第3回 1938年 フランス大会 

優勝国:イタリア
参加国:16ヵ国(地区予選35ヵ国)
サッカーの母国イングランドが初参加した大会。しかし緊迫した世界情勢で多くの棄権国もあり、その後12年間W杯は中断されてしまう。公正なスポーツイベントが開催されると言うことは、平和の象徴。平和だからスポーツが出来るということを考えさせられます。ちなみに大技オーバーヘッドキックが生まれたのはこの大会だそうです。

オーバーヘッドキック

第4回 1950年 ブラジル大会 

優勝国:ウルグアイ
参加国:13ヵ国(地区予選32ヵ国)
日本にドーハの悲劇があるようにブラジルにもマラカナンの悲劇という言葉があります。ブラジルは決勝でウルグアイに逆転負け。ショック死を起こすブラジル人もいたそう。ちなみにペレは当時9歳。この悲劇を目の当たりにして、自分がブラジルをW杯優勝に導くことを決意。

マラカナンスタジアム

第5回 1954年 スイス大会 

優勝国:西ドイツ
参加国:16ヵ国(地区予選38ヵ国)
「マジックマジャール」と呼ばれ、当時最強と言われていたハンガリー代表が決勝で西ドイツに負け、「W杯史上最大の番狂わせ」と語り継がれているとのこと。試合はやってみないと分からない、サッカーというスポーツの特性はこの当時からあったみたいですね。ちなみにブラジル代表の愛称「カナリア」という言葉は、この大会で実況が「カナリア軍団の登場です」と言ったことで生まれたそうです。

ハンガリーvs西ドイツ

第6回 1958年 スウェーデン大会

優勝国:ブラジル
参加国:16ヵ国(地区予選53ヵ国)
ブラジルが悲願の初優勝を遂げた大会。当時ペレは17歳。昨日、そのペレが亡くなったニュースは私も衝撃でした。メッシ、クリスティアーノ・ロナウドの時代が終えようとしている現代、世界のサッカーに多大な影響を与えた2人、ペレとマラドーナ(2020年永眠)もこの世を去り、本当に時代の変化を感じるこの2020年代と思っています。

サッカーで背番号「10」がエースナンバーとなったのはペレが着けていた番号だから

第7回 1962年 チリ大会

優勝国:ブラジル
参加国:16ヵ国(地区予選54ヵ国)
ペレはW杯を3回制した、とてつもない功績を持っているが、実は2回目の優勝のチリ大会は、予選リーグの負傷により、ペレに代わってガリンシャの活躍が大きかったそう。ちなみにブラジル代表は当時40戦無敗の記録を持つ。

ブラジル代表連覇

第8回 1966年 イングランド大会

優勝国:イングランド
参加国:16ヵ国(地区予選72ヵ国)
サッカーの母国イングランドでの初開催、初優勝。大会前に優勝トロフィーの盗難事件が発生するも、発見したのはなんと子犬の「ピクルス」一躍ヒーローとなり、映画の出演やペットフード1年分の支給などがあったそう。W杯がもたらす人々の心情や社会的影響の大きさを感じます。ちなみにこの第1回から使用されている当時のトロフィーは「ジュール・リメ杯」という名称。慣れ親しみのある今の形のW杯トロフィーは1974年大会からの使用。

ピクルス

第9回 1970年 メキシコ大会

優勝国:ブラジル
参加国:16ヵ国(地区予選73ヵ国)
ペレ率いるブラジル代表が史上初3度目の優勝をした大会。この大会よりレッドカードや水分補給といった制度が導入された。今では当たり前のようなルールも少しずつ改良されていく、歴史を積み重ねる大切さを感じます。

ブラジル史上初3度目の優勝

第10回 1974年 西ドイツ大会

優勝国:西ドイツ
参加国:16ヵ国(地区予選97ヵ国)
決勝は「トータル・フットボール」を展開したオランダのヨハン・クライフとドイツの「皇帝」ベッケンバウアーのスーパースターが直接対決。2人は選手引退後もそれぞれ監督として成功するなど、選手時代、監督時代、両方で世界に影響を与えた象徴的な人物かと思います。

クライフとベッケンバウアー

第11回 1978年 アルゼンチン大会

優勝国:アルゼンチン
参加国:16ヵ国(地区予選105ヵ国)
MVP:マリオ・ケンペス(アルゼンチン)
この大会からMVP制度が導入され、初代MVPに輝いたのは、優勝国アルゼンチン代表のマリオ・ケンペスジーコプラティニなど後のスーパースターが初出場した大会。マラドーナは当時17歳。若さを理由に代表メンバーから落選し、念願の自国開催に出場出来ず。

マリオ・ケンペス

第12回 1982年 スペイン大会

優勝国:イタリア
参加国:24ヵ国(地区予選109ヵ国)
MVP:ロッシ(イタリア)
「黄金のカルテット」と呼ばれたブラジル代表の4人組。しかし結果は2次リーグで敗退。マラドーナも初出場となった大会だが、レッドカード退場という苦い思い出となる。長年16ヵ国で開催されていた本大会もこの大会から24ヵ国に増加。地区予選も100ヵ国以上と、どんどんW杯の規模が大きくなっていくことが分かります。

セレーゾ、ジーコ、ファルカン、ソクラテス

第13回 1986年 メキシコ大会 

優勝国:アルゼンチン
参加国:24ヵ国(地区予選119ヵ国)
MVP:マラドーナ(アルゼンチン)
W杯の歴史を語る上で絶対に外せない、未来永劫語り継がれるアルゼンチン優勝の1986年大会。「神の手ゴール」「5人抜きゴール」僕自身生まれていないし、リアルタイムでマラドーナのプレーを観たことはありませんが、そんな僕でも全身でサッカーを表現するマラドーナのプレー、ボール捌きが本当に大好きです。

ディエゴ・アルマンド・マラドーナ

第14回 1990年 イタリア大会

優勝国:西ドイツ
参加国:24ヵ国(地区予選112ヵ国)
MVP:スキラッチ(イタリア)
決勝でアルゼンチンの連覇阻止した西ドイツ代表はをブラジルに次ぐ、2ヵ国目の3度のW杯優勝を遂げる。そしてベッケンバウアーは史上初、選手(1974年)、監督(1990年)としてW杯を制覇する。

3度目のW杯制覇西ドイツ代表

第15回 1994年 アメリカ大会

優勝国 ブラジル
参加国:24ヵ国(地区予選145ヵ国)
MVP:ロマーリオ(ブラジル)
「PKを外すことが出来るのはPKを蹴る勇気を持ったものだけだ」はイタリア代表ロベルトバッジオの有名な言葉W杯史上初PK戦となった決勝。それまで大活躍で決勝まで導いた10番のロベルトバッジオがPKを外しイタリアは敗れブラジルが4度目のW杯優勝に輝く。

史上初のPKまで持つこれ込んだW杯決勝戦

第16回 1998年 フランス大会

優勝国:フランス
参加国:32ヵ国(地区予選172ヵ国)
MVP:ロナウド(ブラジル)
日本代表の初のW杯の舞台となった1998年は僕にとっても人生初のW杯。当時3歳でしたが、テレビで日本代表の試合を観た記憶がものすごーく薄らと残っています。。。何十年経っても、日本サッカーの回想シーンとして「ドーハの悲劇」と「ジョホールバルの歓喜」の映像は流れるんだろうなと思います。(笑)

日本W杯初出場

第17回 2022年 日韓大会

優勝国:ブラジル
参加国:32ヵ国(195ヵ国)
MVP:オリバー・カーン(ドイツ)
初のアジア開催、2ヵ国共同開催となった2002年。間違いなく僕自身にサッカー熱に火を灯けた大会です。日本代表の躍進、ロナウド、リバウド、ロナウジーニョ、3Rの活躍、ベッカムヘアーのブーム、オリバー・カーンに憧れてキーパーしまくるなど、個人的に今でも一番記憶に残る大会です。

日本がW杯初勝利したロシア戦の視聴率は66.1%

第18回 2006年 ドイツ大会

優勝国:イタリア
参加国:32ヵ国(地区予選197ヵ国)
MVP:ジダン(フランス)
この大会の最も印象的なシーンは、決勝戦のジダンの頭突きによる一発退場でしょう。まして1−1のそれぞれゴールを決めた、フランスのジダンとイタリアのマテラッツィによる出来事というのも興味深く、ジダンはこの大会を最後に引退を表明していました。華々しい実績を残してきた選手生活の最後のワンシーンが優勝トロフィーを背に退場していく姿は、ファンとしてなんとも言えない気持ちになります。

決勝で退場となったジダン

第19回 2010年 南アフリカ大会 

優勝国:スペイン
参加国:32ヵ国(199ヵ国)
MV P:ディエゴ・フォルラン
「テキ・タカ」と呼ばれる華麗なパスワークで圧倒的なボール保持率で試合を支配し続けたスペイン代表の初優勝。それまで無敵艦隊と言われるも優勝することが出来ずにいたスペインが初優勝することで、ボールポゼッションという言葉が広く認識され、サッカーの新たな時代の始まりとも言える大会だったかと思います。

スペインの初優勝

第20回 2014年 ブラジル大会

優勝国:ドイツ
参加国:32ヵ国(地区予選203ヵ国)
MVP:リオネル・メッシ(アルゼンチン)
バルセロナ所属の選手が多いスペイン代表が優勝し、バイエルンミュンヘン所属の多いドイツが優勝することで、自国の強豪クラブで代表チームが作られることが良いというトレンドが生まれた時代。日本は本田、香川、長友、内田、岡崎など普段サッカーを観ない人でも、名前くらいは知っている、そんな認知度の高い選手も多く、ザッケローニ監督の人柄も国民に愛されていたこともあり、史上最強と言われたものの、1勝も出来ずに敗退。

東西統一後初のドイツ優勝

第21回 2018年 ロシア大会

優勝国:フランス
参加国:32ヵ国(地区予選210ヵ国)
MVP:ルカ・モドリッチ(クロアチア)
VARが導入されるなど、テクノロジーの進化により、スポーツもともに進化していく、そんなきっかけの大会。エムバペというニュースター誕生のフランス代表が優勝。日本は物議を醸すこととなった予選リーグポーランド戦で負けているのに攻めないというフェアプレーポイントを有効活用した試合運びや、ベスト16の試合、後半の立ち上がり2点先攻するも、そこから逆転の2−3負けするなど、後世の日本サッカーに語り継がれる大会だったかと思います。特に最後のベルギーのカウンターは芸術的でした。

ロストフの14秒

第22回 2022年 カタール大会 

優勝国:アルゼンチン
参加国:32ヵ国(地区予選209ヵ国)
MVP:リオネル・メッシ(アルゼンチン)
そして記憶に新しいカタール大会。日本の快進撃、モロッコのベスト4、そして壮絶な撃ち合いとなった決勝戦など観ていてやっぱりW杯って、サッカーって本当に楽しいなと思わせてくれる大会でした。メッシのサッカーストーリーは本当に映画化されるんじゃないか、それくらいの伝説を築き上げたと思います。

メッシが唯一手にしていなかったW杯トロフィー


ざっと22大会を振り返ってみました。ここまでお読みいただいた方ありがとうございます。みなさんが記憶に残る大会はどの大会だったでしょう。出場国数やルールの改定、スーパースターの誕生、社会問題など、どんどんW杯の持つ影響力が増していってるかと思います。だからこそ「W杯」が、「スポーツ」が人々を魅了して、より人生を豊かにしていくものであって欲しいなと思います。日本が優勝トロフィーを掲げる日は果たして・・・・・
その日を夢見て2022年ありがとうございました!
そして2023年もよろしくお願いします!

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