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「厳しい指導」とは・・・

ジュニア年代の指導者をしていて、時々保護者の人に言われることがある。

「もっと厳しく指導してください!〇〇さんは優しすぎます。」

そんな時つくづく「厳しい指導ってなんだろう・・・?」という疑問に直面することがよくある。恐らく保護者の方が求めている「厳しい指導」とは「叱ったり」「怒ったり」「注意したり」する、所謂「強い口調」で子どもたちに「言い聞かせる」ことを指しているのだと思う。周りから観て、あんまり私が子どもに「怒っている」姿を見ないから出てくる保護者の声であるのだろう。

ただ同時に、

「親子という関係だと、つい口調が強くなって怒ってばかりになってしまうけど、〇〇さんは、子どもの目線に立って話を聞いてくれるから助かります。」

というポジティブな声もいただくから、自分の日々の子どもたちとの接し方も、一人一人親御さんにとって受け取り方は違うんだということを直に感じる。

広辞苑で調べてみると、

【厳しい】①厳重である。おごそかである。②激しく容赦ない。むごい。③傾斜が角だっている。けわしい。④物事の状態や人の表情などが緊張している。⑤はなはだしい。ひどい。⑥並一通りでない。たいしたものである。

うーん、いまいちピンと来ない。。(笑)

昨今教育界に広がっている「褒めて伸ばす」「自主性を重んじる」とか時代に合わせて、奇をてらっていることをしようとしているつもりはなく、「厳しくしてください!」って言われた時に、「厳しい指導」ってどういうことだろうと自分のなかで正直答えが分からない問いを突きつけられている気分になる。

もうひとつ、「厳しい」というワードによく連想して出てくるのが「スパルタ教育」

こちらも広辞苑で調べてみると、

【スパルタ教育】厳しい規律、鍛錬を重視する厳格な教育。古代スパルタの勤倹・尚武を目指した教育法から採った呼称。

ギリシャの都市名だっていうくらいで、「スパルタ教育」についてあまり私も詳しくは知らないのだが、モンテッソーリイエナプランといった様々な教育法があるように、「スパルタ」もそのひとつくらいに思っている。だから、ひとつの教育アプローチ法として捉えて、「スパルタ教育」というものを正しく理解し、取り入れたいと思った人は指導に取り入れたら良いと思っている。それが「スパルタ」という言葉だけが一人歩きして「スパルタ」=「厳しい」という図式だけで、無鉄砲に子どもたちに厳格さを求めている大人が多いと感じることもある。


と言いつつ、そんな私も、時にはつい感情に任せて強い口調が出てしまうこともある。。自分で分析してみるとそれは、「危険を伴うか」「道徳的にどうか(自分のことしか考えず人を傷つけていないか)」この二つに遭遇した時は、瞬間的に喜怒哀楽の「怒り」スイッチが入るのが自分でも分かる。

しかし、主にスポーツを通して子どもたちと関わっている自分の立場からすると、スポーツをすることに厳しさ(指導者が怒る行為)は一切いらない。「スポーツはする人が自ら主体的に楽しむ」これが大前提であるというのが私の考え。その主体的に取り組むための手助けをする私たち指導者はあくまで脇役である。にも関わらず、チームの選手が自分の思い通りにプレーしないと怒鳴りつけ、まるでウイイレのコントローラーを扱っているように子どもたちに接している様子を見ると、正直心が痛む。そしてこれは特に子どもたちの年代が下であればあるほど、そういう指導者が多い気もする。

もうひとつ私が時々引っかかることとして、「スポーツ」と「教育」を絡める必要はないということ。スポーツを通して「チームワーク」や「規律」、「礼儀」を学んでほしい、だからそのために「厳しく子どもたちに接することも必要」という声もある。ただ、「チームワーク」や「規律」、「礼儀」というのは、スポーツをすることで自然と必要となる、スポーツの中に含まれる要素であって、(だってそもそもスポーツはルールがあるのだから、規律を守らなければ試合は成り立たないし、チームスポーツはもちろん、個人種目であっても周りの人の支えがなければ自分はスポーツすることも出来ないわけですし。)決して、礼儀や厳格さを学ぶためにスポーツをするのではないということ。この順序がどうも逆転していることが気になる。

もっとシンプルに、スポーツをすることと、人を育てるということ(教育)は分けて考え、頭のスイッチを切り替えて子どもたちとも接していたい。「厳しさ」というのが「怒る」こととするならば、人を育てる(教育)ことのなかに、時に厳しさは必要な要素なのかもしれないが、スポーツを楽しむというなかに「厳しさ」は微塵も要らない。


本当の厳しさとは、とりわけスポーツにおける「厳しさ」とは、「怒られる」という人から与えらるものではなく、自ら直面するものであると思っている。「どれだけ努力しても上には上がいる。」「何度練習しても自分の納得の行くプレーが出来ない」など、上を目指せば目指すほど、理不尽なこと、うまく行かないことは、人に与えられなくとも自ら直面するもの、それが本当の厳しさと思っている。

「〇〇さんももっと子どもに厳しく言うたってください」

と言われるたびに、「厳しい」の定義が自分のなかで考えることと、世間的にいう「厳しい」とは何かズレや解釈違いがある気がして、頭を悩ませる。

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