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まちがいコミュニケーション


大学生の頃、友達はさほど出来なかった。
しかし、大学生特有の“ヨッ友”はたくさん出来た。

ヨッ友とは、会った時に「よっ!」と挨拶する程度の関係である。ただ今となっては会っても挨拶をしないどころか名前も顔も覚えていない人がほとんどなのでまた他人に戻ってしまった。ヨッ友より他人である方が清い関係な気がする。それほどまでにヨッ友とは悪しき文化なのだ。

ヨッ友はLINEを持っていても課題や授業の事で連絡するくらいで、同じ授業がなくなれば「よっ!」すら言わなくなっていくのだ。ご都合主義な登場人物とでも言えるだろうか。

友達は利害関係など度外視で「一緒にいて楽しい」ただそれだけで友達である。一方で「授業の情報を共有できる」という条件がないとヨッ友にはなれない。友達に理由なんてないが、ヨッ友には理由があるのだ。

ヨッ友には、お互いの探り合いがあるから友達よりコミュニケーションが難しい。「今あの人の周りに知らない人いっぱいいるし、そこを掻き分けて挨拶するほどじゃないな」とか、「目合ったけど相手が話しかけてきたらでいいか」とか。
そんでもって呼び方が分からない。苗字+くんで呼ぶのもよそよそしいし、名前呼び捨てで呼ぶのも馴れ馴れしい。かといって名前しか知らないパターンも往々にしてあって(LINEの名前が下の名前オンリーなど)、名前で呼ばざるを得ないなんて事もあるが呼べるわけじゃない。呼ばざるを得ないのに呼べるわけじゃないのだから、名前を呼ばずに「よっ!」で済ませるのは高等手段と言えるかもしれない。そもそもファーストコンタクトで呼び方を定めていない時点でどうしようもない。


大学生活のある日、規模の小さい授業で知らない人とコミュニケーションを取る機会があった。
彼はY市在住だと言う。そんな彼に僕が放った衝撃の一言。


「前、俺が事故った場所だ!笑」

最悪すぎる。なんで初対面の人の住まいをネガティブに言うかな。というか市という大きな規模をまるで「あ!そこのセブンイレブンよく行くよ!」みたいなテンションで返すのも不自然だろ。そもそも事故った事はそんなポップに言う事ではないから笑っていいのかも分からないし、そんなひけらかすように言う事じゃない。大学生の事故った自慢ほど寒いもんはない。大前提として、まず自慢にならない。
そんな僕の最悪すぎる返事に彼がなんと答えたかはもう覚えていない。それ以降、彼と話したかどうかさえ覚えていない。もちろん名前も顔も覚えていないし、彼もそうだろう。

つまり僕は彼とヨッ友にすらなれなかったのだ。
僕はコミュニケーションを間違えたのだと今になって気がついた。ただ僕にもおそらく彼にも「友達になりたい」という意思はなく、授業の一環で彼とのコミュニケーションを課せられたから会話したに過ぎない。そのため彼と友達はおろかヨッ友になれなかった事に悔いている訳ではない。
あのようなコミュニケーションを取ってしまった事を悔いているのだ。あの僕の発言は彼がnoteやラジオをやってようものなら「キモいコミュニケーション」の一例として挙げられていてもおかしくない(実際そんな事はおそらくなく、自意識過剰に過ぎないが)。

そんな誤ったコミュニケーションを今になって思い出す。僕はよくコミュニケーションを間違える。その場では大抵気が付かず、時が経ってから実感するのだ。

例えば、職場で好きな音楽を聞かれて僕はなんて答えたか、ここまで読んでくださったあなたはどのように予想するだろうか。アーティスト名でもジャンルでもない。

「日本の音楽ですかね」

なんだその広げようのない返事は。僕はSTARTO(旧ジャニーズ)やアニメが大好きだからその類の歌や、バンドで言うとマカロニえんぴつやSEKAI NO OWARIをよく聴く。胸を張って「この音楽が好きです」と断言できるものはあるのに、何故かそれを知られるのも浅はかな知識で語られるのも嫌で、めちゃめちゃ大きく括って「日本の音楽」と答えたのだ。僕なりに考えて出した答えだったが、おそらく質問主はそこまで深く考えていない。つまり僕の返答は、ただただ会話を終わらせたい人にしか見えなかっただろう。

僕は距離の縮め方も離し方も下手くそすぎる。初対面の人にその人の地元で事故ったという話はするべきではないし、職場の人に好きな音楽を聞かれて「日本の音楽」なんて大雑把な回答をするべきでもない。その人が求める答えと自我を良い塩梅でブレンドした最適解を瞬時に判断していかなければならない。絶妙なバランス感覚には僕には必要なのかもしれない。

あー、上っ面のコミュニケーションというのはめんどっちいな。

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