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「ヒカルの碁」のシナリオ技術 ~「ヒカルの碁」はドラえもん・遊戯王として始まり、あしたのジョーで終わる物語~

「ヒカルの碁」がアニメ化から放送開始20周年を迎えた。
 筆者は、「囲碁フォーカス」で司会を務める、囲碁棋士の平田智也七段と結婚した人気声優の照井春佳さんと同学年である。
 照井春佳さんは「『ヒカルの碁』が大好き」で囲碁を始めたと語る、所謂「ヒカ碁世代」の典型だ。照井さんはコロナ禍を切っ掛けに囲碁に本格的に取り組み、その結果現在の旦那さんと出会って結婚にまで至った。現在司会を務めている「囲碁フォーカス」ではあまり語られなかったが、「ヒカルの碁」が現在の職業である声優を目指す動機にも少なからず影響しているはずである。もしアニメがつまらなかったら、声優を目指さないからだ。
 私は「囲碁フォーカス」で照井春佳さんの存在を初めて知った時感じた。「ヒカルの碁」が大好きな照井春佳さんが羨ましい、と。
 その感覚は照井さんと同学年であるはずの筆者には全く無い。
 それは同じ時代を生きながら、全く違う人生を歩んできたからである。

 この記事では、「ヒカルの碁」がどのような技術を使って書かれた漫画なのか? について解説する。
 ただし、最初の方は筆者と「ヒカルの碁」の関係、「ヒカルの碁」以前の週刊少年ジャンプや漫画業界全般の状況、筆者が囲碁に興味を持った理由や「ヒカルの碁」を読むまでの過程なども語るため、「ヒカルの碁」について語っている部分だけを読みたい方は、目次の「「ヒカルの碁」の設定は「遊戯王」に近い」から読み始めると良いだろう。 

「ヒカルの碁」と同い年の私達「ヒカ碁世代」

「囲碁フォーカス」で司会を務めている声優の照井春佳さんはWikipediaによると1987年3月7日生まれらしい。事務所のプロフィールには生年が書かれていないが、これはアニメキャラクターは総じて年齢が若い傾向にあるため、実年齢を出すとイメージを損なうと芸能事務所が考えて、あまり積極的には年齢を公開しない方針に決めているのだろう。生年や実年齢を隠す芸能人は女優の吉田羊さんやコスプレイヤーの火将ロシエルなど結構大勢居るから、照井春佳さんの事務所が珍しいことをしているわけではない。

「ヒカルの碁」の主人公、進藤ヒカルは設定では1986年9月20日生まれ。

 これは、筆者や早生まれの照井春佳さんと同学年であることを意味する。「ヒカルの碁」直撃世代と云うこともあって、照井さんのような人気声優にまで上り詰めたアニメ好きならば、「ヒカルの碁」に対する思い入れは凄まじいものがあることは想像に難くない。
 特に「ヒカルの碁」はキャラクターが連載された実時間と同じように成長していったため、連載中の読者ならば進藤ヒカルと同じように年齢を重ねた子達もいっぱい居た。ヒカルと一緒に大人になった世代なら「ヒカルの碁」及び主人公のヒカルに対する思い入れは半端な物にはならないだろう。
 ところが照井さんと同い年であるはずの筆者は「ヒカルの碁」に対して、あまり強い思い入れが無い。

「見ていなかった」と言ってしまえばそれまでだ。

 当時の「囲碁ブーム」も「ヒカルの碁」の存在もテレビで知っていたが、それ以上にポケモンや遊戯王の存在が大きく、当時の筆者は囲碁よりポケモンや遊戯王に傾倒していた。

漫画雑誌がブームを創り出した90年代

「ヒカルの碁」は週刊少年ジャンプで連載されたが、それ以前の状況にも触れておく必要がある。
「ヒカルの碁」が連載される以前、1995年までに「ドラゴンボール」「幽遊白書」「SLAM DUNK」などの連載が終了し、集英社の週刊少年ジャンプには勢いに陰りが生じた。「遊☆戯☆王」の連載は翌年から始まるが、当初は後に一大産業となるカードゲームを物語の中心に添えた展開では無かったため、あまり人気が無かった。

 すると、小学館のコロコロコミックの方が週刊少年ジャンプを上回った。「ドラゴンボール」「幽遊白書」「SLAM DUNK」の連載が終了した後に、ポケモンブームが起きたことは決して偶然ではない。ジャンプのライバル誌は講談社の週刊少年マガジンであって、月刊誌であるコロコロコミックを「ライバル誌」とジャンプ編集部もおそらく認識してはいなかっただろう。だが、本来の読者層である子供達の時間の奪い合いと云う点では大人向けなマガジンよりも実質的なライバルと云えたのではないだろうか。事実、90年代に限って云えば、週刊少年マガジンからアニメ化された作品より、コロコロコミックからアニメ化された作品の方が遥かに多かった。
 ミニ四駆ブームを起こした「爆走兄弟レッツ&ゴー」、ビーダマンを取り扱った「爆球連発!!スーパービーダマン」、ハイパーヨーヨーとタイアップした「超速スピナー」、定番の「ドラえもん」、任天堂の人気ゲームからは「マリオ」「カービィ」「ポケモン」、他社なら「ボンバーマン」も漫画として連載、1997年から放送開始した「おはスタ」内部でコロコロコミックの人気漫画は次々とアニメ化された。タイアップ色を全面に出して、メーカーから資本を集められたこともあり、子供向けビジネスという点では週刊少年ジャンプを凌駕していたと言っても過言ではない。
 勿論、同じ時期に「るろうに剣心」や「地獄先生ぬ~べ~」などもあって健闘した作品もあったが、90年代後半の週刊少年ジャンプは90年代前半と比べられて「苦戦した」「人気に陰りが出た」と評されることが多い。「ONE PIECE」や「NARUTO -ナルト-」などの連載は始まったが、これらも「ヒカルの碁」「遊☆戯☆王」などと同じように2000年代に入ってからの方が躍進が著しく、90年代を代表する作品とは言えない。
 また筆者は、ポケモンブームによって競争に負けてしまったが、講談社のコミックボンボンが取り扱っていた「ガンダム」や「ロックマン」「トランスフォーマー」「メダロット」なども好きだった。ポケモンブームの最初の直撃世代からすると、あのボンボンがコロコロを上回っていた時期があったなど俄かに信じられないが……。
 そういうわけで漫画雑誌がメーカーとタイアップしたり、テレビアニメ化したりしてブームを展開すると云うのは90年代の定番だった。

 筆者は、このように漫画雑誌がテレビアニメを創ってブームを巻き起こす時代を小学生~中学生として過ごしたために、2000年に入って「ヒカルの碁」が人気になり「囲碁ブーム」が巻き起こっていると報道で知っても、「もう何回目の〇〇のブームなのだろう?」と感じて「ヒカルの碁」を無視してしまった。現実的に「ポケモン」や「遊戯王」にもお金や時間を使い、やがて高校受験なども重なると漫画やアニメ、ゲームなどへの関心も薄れていくのは必然だった。

 この選択は自分が後に囲碁に興味を持つと知っていたら、後悔しかない。何せ平成四天王や井山裕太先生、謝依旻先生の全盛期の活躍をリアルタイムで見る機会を永久に逸してしまったのだから……。

将棋ファンだった「ヒカ碁世代」の私

 囲碁に興味を持った理由も、筆者と照井春佳さんは同じ「ヒカ碁世代」でありながら根本的に違う。
「ヒカルの碁」があったことで囲碁を始めた照井さんと違い、筆者の場合、元々は囲碁より将棋のファンだった。筆者がまだ小学生だった頃の1990年代は、羽生善治先生の全盛期であった。まだインターネットが無かったこともあり、現在の藤井聡太三冠も比較にならない程の存在感を放っていたことは当時を知る世代ならば否定しないだろう。筆者は羽生先生のファンであり、著書の「決断力」を買って、羽生先生から今後社会人として生きていくヒントを得ようとすることもあった。

 先ほど漫画やアニメ、ゲームが群雄割拠していたことを紹介したが、90年代はバブル崩壊が起きた時代ではあるものの、プロ野球ではヤクルトやイチローが活躍し、サッカーはJリーグが開幕してプロ野球以上の存在感を放ち、音楽業界もミリオンヒット連発、色々なものが元気な時代だった。

 小学生の頃から将棋は指せたがあまり強くならず、やがて社会人になると将棋はたまに見るくらいになったが、藤井聡太棋士が中学生で台頭し始め、久々に将棋界にスターが出現したことで、筆者は「NHK杯テレビ将棋トーナメント」や「囲碁将棋チャンネル」を本格的に視聴し始める。
 しかし、それでもNHKで将棋が終わった後、囲碁が取り扱われることすら知らないほど筆者は囲碁とは無縁であった。

囲碁に興味を持った切っ掛けは、稲葉かりん初段

 筆者が囲碁に興味を持った理由は、おそらく日本で一番しょうもない。
「NHK杯テレビ将棋トーナメント」が終わった後、日曜日の12時から放送される「囲碁フォーカス」に当時出演していた稲葉かりん初段に一目惚れしたからだ。
 はっきり言ってそれだけである。
 最初は彼女の愛らしい容姿だけで満足していたが、やがて彼女の上品で丁寧な言葉遣いの声に恋をする。しかし囲碁が分からなくては彼女が何を言っているのかよく分からない。そのため、彼女が話す言葉の意味を掴みたくて囲碁を勉強するに至った。
 やがて稲葉かりん初段のことをもっと知りたくて囲碁について調べていくと、関西棋院や日本棋院に所属している棋士の先生達にも興味を持ち、すっかり囲碁が好きになってしまったというわけだ。

「ヒカルの碁」が好きで囲碁を始めたなんて話は、囲碁界で何度も耳にする「あるある」になっているらしく、それ以前から囲碁が好きだった人からは「またか」って言われるような動機と聞く。
 しかし筆者のような「囲碁の情報番組に出ていた可愛い女流棋士のファンになって囲碁を覚えました」なんていう奴は確かに珍しいかもしれないが、「ヒカルの碁」が好きで囲碁を始めましたって子の方が遥かにマシであり、囲碁を始める切っ掛けとしてはあまりに不純な動機と云えるだろう。
 つまり、「ヒカルの碁」から囲碁に興味を持ったような同世代の先生達や囲碁ファンと、プロ棋士の女性のファンになって囲碁に興味を持った筆者とでは、囲碁や「ヒカルの碁」に対する考え方が根本的に違うのである。

稲葉かりんを知る前の筆者と囲碁の関係

 筆者は年齢的にはヒカ碁世代だが、当時の囲碁ブームをあまり知らない。「ヒカルの碁」が人気で、囲碁をやる子供が増えたぐらいの知識しか無い。

 後に稲葉かりんちゃんに一目惚れして、囲碁の勉強をした際、梅沢由香里(吉原由香里)先生の書籍を用いたが、当時の梅沢由香里先生が「囲碁界のアイドル」として持て囃されていたことを知ったのは随分後になってからのことである。「囲碁フォーカス」の丑年特集で吉原由香里先生が出演して、「ヒカルの碁」の監修を行っていた事実を初めて知ったが、40代の吉原先生は素敵なマダムと云った印象だったので、後に「ヒカルの碁」のアニメの再放送を視聴した際、20年前の梅沢由香里先生の映像を見た時は、あまりの可愛さにビックリしたことがある。これもリアルタイムで「ヒカルの碁」を見なかったことを後悔した理由の一つだ。 

 テレビ朝日で放送されている「タモリ倶楽部」が好きだったので、2011年1月8日に放送された囲碁を特集した『アンガールズ田中が囲碁で恋人&友達募集』を視聴したこともあった。筆者が囲碁の簡単なルールを覚えたのはこの時だ。タモリ倶楽部で囲碁についての最低限の知識を得た経験が無ければ「囲碁フォーカス」も視聴していないし、稲葉かりん初段も知らないまま、囲碁に興味を持つことも無かっただろう。ところがタモリ倶楽部で紹介された梅沢由香里先生も謝依旻先生も、筆者の記憶にはほとんど残らなかった。
 後に「囲碁フォーカス」で稲葉かりん初段と共演していた鶴山淳志先生のユーチューブチャンネル・つるりんチャンネルを見るようになる。その中で「おバブちゃんねる」も知ったが、それが当時「タモリ倶楽部」に出演した中島美絵子先生が結婚後に開設したユーチューブチャンネルだと知った時、随分と時間が経ったのだなぁと隔世の感を抱いたものである。

「ヒカルの碁」を読んだ理由も、稲葉かりん初段

 そんなわけで、「ヒカルの碁」が放送された20年前、「タモリ倶楽部」で紹介された10年前、囲碁に興味を持つタイミング自体はあったのだが、尽く逃してしまい、随分と年齢を重ねてから囲碁に興味を持つが、そんな筆者が「ヒカルの碁」を読んだ切っ掛けも、結局は稲葉かりん初段の存在を抜きにして語ることは出来ない。
 稲葉かりん初段は「囲碁フォーカス」に出演していた。番組の情報を調べていくと、出演者は2年のタイミングで交代していることが見受けられた。稲葉かりん初段は番組出演が2年目だったので、2021年1月の時点で彼女が番組を卒業することは視聴者としても読めていた。
 しかし、強豪の藤沢里菜女流五冠や上野愛咲美女流棋聖などと比べると、東京の日本棋院ではなく、関西棋院に所属している地理的事情もあってか、稲葉かりん初段を「囲碁フォーカス」以外で見られる機会はほとんど無い。囲碁将棋チャンネルを見ると「NHKテレビ囲碁トーナメント」で司会を務めている星合志保三段などは目にするが、稲葉かりん初段を視聴出来る番組は皆無であった。

 このままでは、かりんちゃんを見られなくなってしまう……。

 どうすれば良いのか考えていた時、筆者はNHKで企画される「創作テレビドラマ大賞」に注目した。
 そうだ! NHKで囲碁のテレビドラマが企画されれば、現役の囲碁棋士の女性を出演させると云うのは決して不可能な話ではない。連続ドラマは無理でも単発ドラマならばスケジュール的にも可能なはずだ。
 そこで筆者は、稲葉かりん初段をもう一度NHKに出演させたい願望から、「囲碁の恋」と云うシナリオを書いた。
 結果、NHKのディレクターが下読みすることもあってか一次予選は何とか通過出来たものの、実力及ばず二次予選で落選してしまった。

 しかし、囲碁のテレビドラマを創ろうと考えたことで、当然先人の作品を見て研究しなければならないと考えて、そこで初めて「ヒカルの碁」を全巻読破したわけである。
 アニメの方はほとんど見ていない。時間的制約が大きかったのもあるが、アニメの場合、30分の尺に如何に収めるかを重視しなければならず、原作の漫画より話のテンポが悪くなる傾向があるからだ。実写の単発ドラマと長期間放送される30分のテレビアニメとでは、勝手が違い過ぎるので、アニメ化20周年ということだが、今回は原作漫画についてだけ解説する。
 他にも囲碁を題材にした韓国映画「神の一手」や「鬼手」なども見たが、この二つは囲碁映画と云うよりアクション映画であって、囲碁を題材にしたテレビドラマを創るに当たってはあまり参考にならなかった。

「鬼手」は稲葉かりん初段がPR大使を務めたが、かりんちゃんは映画内容に全く関係していない。また「鬼手」は血みどろバイオレンス映画であって、韓国や囲碁との繋がりを考えればかりんちゃんがPR大使を務めるというのも分からんではないが、実際の映画を見たら疑問を抱いたのも事実である。

「ヒカルの碁」の設定は「遊戯王」に近い

 随分と長ったらしいプロセスを経て「ヒカルの碁」を読むことになるが、ここで改めて「ヒカルの碁」の基本設定を確認してみる。

「ヒカルの碁」は、ほったゆみ先生が原作を、作画を小畑健先生が担当した囲碁を題材にした日本の少年漫画である。
 普通の小学校6年生だった進藤ヒカルが、祖父の家の蔵で古い碁盤を見つけて、碁盤に宿っていた平安時代の天才棋士・藤原佐為の霊に取り憑かれてしまう。藤原佐為は本因坊秀策にも取り憑いた過去があり、「神の一手」を極めたい佐為にせがまれたことで、ヒカルは碁を打ち始めて成長する。

 この設定から思い出されるのは、同時期に連載されていた高橋和希先生の「遊☆戯☆王」である。「ヒカルの碁」と「遊☆戯☆王」は共通点が多い。どちらも古代の死人の魂が主人公に憑依して、驚異的な活躍を見せていく。

「ヒカルの碁」は文字通り囲碁を題材にしているが、「遊☆戯☆王」は数多くのゲームを題材にした。囲碁も広義にはゲームだから、「ゲーム漫画」と考えると、両作品は同じジャンルと云える。
 また、「ヒカルの碁」も「遊☆戯☆王」も死者の魂が現世に蘇る話だから「ファンタジー」としてもジャンルが共通する。
 ただし、「ヒカルの碁」は現代劇のフォーマットを崩さなかったのだが、「遊☆戯☆王」はSFの面が強調されて、全く同じ流れにはならなかった。この辺りは原作者やジャンプ編集部の意図が感じられる。単に作者の作風の違いか、編集部が両作品が似通らないように差別化を意識したのか、これは筆者の知るところではなく、当事者の証言を調べる必要がある。

「遊☆戯☆王」の場合、学校で友達も出来ず、いじめの標的にされていて、「親友が欲しい」と嘆いていた高校生の武藤遊戯が、千年パズルを完成させると、古代のファラオの魂が憑依する。遊戯は二重人格者となり、数々のゲームを駆使して暗躍する。当初は闇遊戯と呼ばれていて、古代のファラオの魂が復活したと云う情報が伏せられたまま正体不明で話が進行し、闇遊戯の正体は何なのかが徐々に解き明かされていった。

 一方、「ヒカルの碁」は最初から「私の正体は藤原佐為=本因坊秀策」で始まっていて、アキラが何故ヒカルがこれほど強いのかその理由を探ろうとする展開はあったが、結局そこに深入り出来ることはなく、ヒカル以外には分からずじまいだったし、読者側にしたら藤原佐為とヒカルの関係は既知の情報に過ぎないため、漫画としては何の謎も無く話が進んでいった。

 また、「ヒカルの碁」と「遊☆戯☆王」には根本的な違いがある。それはキャラクターが抱える動機の有無や関係性の違いである。
「遊☆戯☆王」の武藤遊戯は、友達も居なくていじめにも遭っている不幸な少年で、「親友が欲しい」と云う願いを叶えるように闇遊戯が登場したが、当の闇遊戯は記憶を失っていたのでそれほど蘇りたかったわけではない。
 一方、「ヒカルの碁」の場合、進藤ヒカルは小学6年生にしてガールフレンドの藤崎あかりちゃんが居るマセガキなリア充である。当時「リア充」と云う表現は無かったが、「遊☆戯☆王」の武藤遊戯とは実に対照的である。「ヒカルの碁」の場合、現世に蘇りたくて仕方が無かったのは藤原佐為の方であった。ヒカルの方は佐為のような幽霊を望んではいなかった。
「遊☆戯☆王」の場合、遊戯が闇遊戯に依存していたが、「ヒカルの碁」の場合は逆に藤原佐為がヒカルに依存していた。

 この辺の設定の違いは、原作と漫画の両方を自分一人で担当した高橋和希先生と、原作をほったゆみ先生×漫画を小畑健先生で分業した違いが大きく影響していることは間違いない。高橋和希先生は一人で作品を創れる一方、ほったゆみ先生は小畑健先生を抜きには漫画を創ることが出来ない。高橋和希先生の「遊☆戯☆王」が一人の人間に二つの人格が存在する設定なのは、
「原作」と「作画」の両方を一人の人間が担当しているからとも言えるし、完全分業制を敷いた「ヒカルの碁」の場合は、ほったゆみ=藤原佐為、進藤ヒカル=小畑健として読むことが出来るのも、この制作現場の違いが設定に大きく反映していることが挙げられるだろう。

「ヒカルの碁」と「遊☆戯☆王」を比べると、設定は過去の亡くなった人の魂が現世の人間に憑依する点は一緒だが、話の運び方、見えない幽霊なのか二重人格者になるのか、エジプトのファラオなのか有名な囲碁棋士なのか、数々の設定の違い、さらにキャラクターが抱えている行動原理、そして制作体制の違いなどから、数々の差異が重なったことで互いに随分異なる名作に仕上がっていったことが分かる。

ヒカルの碁のチート棋力を受け入れられるか否か

「囲碁将棋チャンネル」で初代麻雀王に輝いたこともある河野光樹八段は、近頃は異世界物のチート漫画が多いから、チート囲碁漫画が出ても良いのではないかと語っていた。なるほど面白いアイディアである。
 しかし、主人公がチート能力を発揮する展開は「ヒカルの碁」で既に書かれている。
 藤原佐為の正体は史上最強と称された本因坊秀策(この漫画では、本因坊秀策の正体が藤原佐為)なのだから、その棋力は超人的である。

<ヒカル(藤原佐為)のチート棋力列伝>
現名人の息子で、院生(プロ候補生)の子達でも全く相手にならないほど強い、将来有望な塔矢アキラ君をボコボコにする(可哀想に)。

・ナメ腐った言動を取るヒカルが許せなくて(そりゃ、そうだ)再度勝負を挑んできた塔矢アキラをまたしてもボコボコにして泣かす(俺も泣いた)。

・塔矢アキラが覚えていた棋譜を披露すると、実際に対局していないトップクラスの院生(越智康介)をその圧倒的な棋力で驚愕させる

・コミが無かった時代、黒番で負けたことは一度も無い。

・コミ碁にルールが変わった2000年代前半の囲碁事情にあっと言う間に精通すると、「私が前より強くなっている!」と自分の棋力にビビる

・トップ棋士の塔矢行洋五冠と対局して勝利し、引退に追い込む。

 どれもこれも凄まじいが、特にコミの無かった時代には黒番(先番)で一度も負けたことが無かったというのは凄い。コミのルールが整備されたのは此処100年くらいの出来事でしかない。先番の方が有利と云うのは昔から知られてはいたが、いくらコミが無かったとは云え、黒番なら負けたことが無いと云うのは凄まじい。現実のプロ棋戦で6目半勝ち以上の結果が普通に発生することを鑑みると、定先(コミ無し)黒必勝と云うのは凄い棋力だ。実際、仲村菫初段が新初段シリーズで黒嘉嘉七段と定先で黒番を持って対局したが、白番の黒嘉嘉七段に負けてしまっている。黒番なら定先必勝と云うことは、藤原佐為はトッププロ棋士の棋力に到達していることを意味する。それをコミもAIも無かった千年前に得ているのだから驚異的である。

「ヒカルの碁」はチート漫画でもあった。

 実は、筆者が「ヒカルの碁」っと云うより、主人公の進藤ヒカルがあまり好きになれなかった理由が、この『チート棋力』である。
 もし筆者が未熟な子供の頃にリアルタイムで「ヒカルの碁」を読んでいたなら、然程違和感を覚えなかった設定だろう。
 しかし、自分の努力だけで棋力を伸ばし、大活躍している井山裕太先生や藤沢里菜先生などを知った大人になった後に読んでしまったため、この設定には強い嫌悪感を抱かざるを得なかった。
 井山裕太先生は本因坊戦を戦っている時に、藤原佐為=本因坊秀策から、
「(千葉進歩さんの声で)文裕よ、次は此処に打つのです」
 などと指示を下されて碁を打っているだろうか?
 或いは藤沢里菜女流五冠は藤沢秀行名誉棋聖の孫だが、対局中に秀行先生の幽霊が背後に居て、
「里菜よ、此処に打つのじゃ!」
 などとアドバイスを貰って碁を打っているだろうか?
 二人とも誰かにアドバイスされることもなく、自分で考えて、碁を打っているのである。そういう姿を見て、棋士の先生達に尊敬の念を抱いた筆者としては、この設定は正直頂けなかった。現実の囲碁棋士全員が、藤原佐為のような幽霊の助けなど借りずにプロになったことを考えると、進藤ヒカルに対する印象が悪くなってしまう理由が皆様にも分かって頂けないだろうか。

「ヒカルの碁」以前から碁が好きだった囲碁ファンにとって「ヒカルの碁」が好きで囲碁が好きになった人達が軽薄に見えてしまう原因は、このような「ヒカルの碁」の基本設定の問題点も影響したのかもしれない。

 しかし、筆者のようにヒカルの『チート棋力』に疑問を抱いた読者こそ、実は原作者のほったゆみ先生が描いた作品の意図をちゃんと理解していると云えるのである。

「ヒカルの碁」と設定が似ている「遊☆戯☆王」を例に挙げたが、「ヒカルの碁」の方が「遊☆戯☆王」より上回っているシナリオ技術がある。
 それは主人公が相棒から卒業する展開だ。

「ドラえもん」と「遊戯王」は同じ話である

 筆者は「遊☆戯☆王」を散々例に挙げたが、「遊☆戯☆王」にも元ネタが存在する。それは藤子・F・不二雄先生の「ドラえもん」である。
「ドラえもん」は、猫型ロボット・ドラえもんがダメ人間のび太の下に未来からやってくる話だが、「遊☆戯☆王」は過去からアテムがやってくる。
 過去と未来で設定は違うが、「違う時代から現代に来た」と解釈すると、両者は同じ物語であることが分かる。
 両者はさまざまな点で共通の構造を多く含んでおり、作品が最終的に辿った経緯まで似通っている。筆者は「遊☆戯☆王」を「平成のドラえもん」と評している。

「ドラえもん」は幾多の秘密道具を登場させるが、「遊☆戯☆王」は当初、幾多のゲームを登場させる展開を取っていた。

 また、「ドラえもん・のび太・ジャイアン・スネ夫・しずか」の関係は、「アテム・遊戯・城之内・本田・杏子」にまんま当てはめることが出来る。「出木杉」は「遊☆戯☆王」なら獏良や海場が当てはまるだろうか。出木杉の場合性格が良過ぎたため、のび太のライバルになれなかったが、獏良了や海場瀬人はライバルとして立ちはだかり、存在感が増した。

「ドラえもん」は一度は最終回を迎えるものの、次の作品を考えようとしても「ドラえもん」が頭から離れられなかった藤子・F・不二雄先生の思いで「帰ってきたドラえもん」が書かれて、物語は継続することになった。
 一方の「遊☆戯☆王」は人気低迷に陥り、打ち切りの危機を迎えることになるが、過去に登場させたカードゲームの回が好評だったことから、カードゲームを中心に話を展開する編集方針が当たって、大ヒットに至り、連載が継続することになった。「ドラえもん」に例えたら人気の秘密道具、例えば「もしもボックス」を中心に話を展開しろと編集部が藤子・F・不二雄先生に指示したような状況だろうか。

 両者はアニメ化の経緯まで似通っている。「ドラえもん」は一度日本テレビでアニメ化されたのだが人気作品にはなれず終了して、再度テレビ朝日でアニメ化されるに至った。我々が「ドラえもん」として認識しているアニメは実は二度目のアニメ化である。
「遊☆戯☆王」も同じで、最初はテレビ朝日でアニメ化され映画にもなり、それなりにヒットしたが、すぐにテレビ東京で二度目のアニメ化が為され、カードゲームの販売もバンダイからKONAMIに変わった。「デュエルモンスターズ」と名付けられたカードゲームは世界的な一大産業に発展した。

 どちらも最終回が描かれているのだが、シリーズは続いていると云うのも似ている。ただ、「ドラえもん」の場合はキャラクターはずっと一緒だが、「遊☆戯☆王」の場合は新しいキャラクターが登場してリセットされる。「ウルトラマン」「仮面ライダー」「スーパー戦隊」などと同じ継続手法である。これは役者が年齢を重ねる特撮では普通だが、キャラが年を取らないアニメは声優が入れ替わってもキャラクターは交代しないのが一般的なので少し珍しいかもしれない。

 そして何より「ドラえもん」も「遊☆戯☆王」も、主人公であるのび太や武藤遊戯が、圧倒的な力を持ったドラえもんやアテムから卒業していく話として展開し、どちらも最終回を迎える。

 ここで重要なのは、「ドラえもん」と「遊戯王」が同じ物語である点だ。

『設定は全然違うけど、全く同じ構造の物語』

 この考え方は漫画や映画に限らず、シナリオ創作における常識である。

 先日、ジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」を読み終わった。
「ユリシーズ」は、奥さんのモリー(33)を寝取られた亭主のレオポルド・ブルーム(38)がアイルランド・ダブリンの街を出歩いた後、帰宅する1日の出来事を描いた長編小説だ。
 ところが、この話はギリシア神話の「オデュッセイア」と全く同じ構成を持っている。「オデュッセイア」はどういう話かというと、トロイア戦争が終わって帰ろうとしたがトラブル続きで帰れなくなったオデュッセウスが、家を留守にしている間に妻のペネロペイアを狙って自分の財産を食い荒らしている驕慢の求婚者達に復讐する物語である。
 両者は設定も全然違うし、文体もまるで違う。「オデュッセイア」は神話で冒険譚のファンタジーで、驕慢の求婚者達を誅殺する暴力展開もあるが、妻のペネロペイアは貞淑でオデュッセウスのことを愛し続けている女性だ。一方、「ユリシーズ」は当時の現代劇で、大きな事件はほとんど起きない。モリーは間男のボイランと肉体関係を結んでしまうし、主人公のブルームが間男のボイランに復讐する展開も存在しない。
 だが両者は同じ構造を持っているのである。そもそも「ユリシーズ」は、ギリシア語の「オデュッセイア」を英語読みしただけのタイトルであって、作者は最初からこれを狙って執筆したのである。

 何もこうした手法をパクリと非難しているわけではない。このような例は枚挙にいとまがないくらいだ。

「七人の侍」から「荒野の七人」が創られたことは有名だが、オードリー・ヘップバーンを一躍有名にした「ローマの休日」が、「或る夜の出来事」と共通の構造を持っていることは一般にはあまり知られていない。「スター・ウォーズ」と「マトリックス」は、第一作の内容どころか三部作の構造まで一緒。ジェームズ・キャメロンの「ターミネーター」と「タイタニック」は全然違うジャンルだが、男が愛する女を死んで守り通す話の構造は同じだ。海外だけではない。「遊☆戯☆王 THE DARK SIDE OF DIMENSIONS」は、「新機動戦記ガンダムW Endless Waltz」と同じ構造の続編アニメ映画だ。「遊☆戯☆王」の元ネタとして「ドラえもん」を挙げたが、魅力的なキャラクターからの卒業や依存脱却を描くと云う点では、「ドラえもん」は初代「ウルトラマン」と同じ構造の話と云う分析も出来る。

 筆者も実はNHKに応募した「囲碁の恋」が、シルベスター・スタローンの「ロッキー」や「ポケットモンスター赤緑」と同じ構造を含む脚本だったと認識している。もし「囲碁の恋」が創作テレビドラマ大賞に選ばれていたらポケモンのサントラを劇伴に使おうと思っていたくらいだ。

 しかし「ロッキー」も「ポケモン」も、完全なオリジナルとは言えない。「ロッキー」は「街の灯」「波止場」の影響を受けている。「ポケモン」もそれ以前に出ていた数々の特撮・アニメ・ゲームの影響を受けている。もし円谷プロからパクリと指摘されて訴えられたら、任天堂やゲームフリークは裁判に負けるんじゃないか? とさえ心配になってしまうほどだ。最強とも称される任天堂法務部なら大丈夫だとは思うが。

 要するに、全く違う話を書いている人など、この世に一人も居ないのだ。世の中に居る映画監督、脚本家、漫画家、小説家、あらゆる話を書いている人間全員が、過去に自分達が見てきた読んできたストーリーの構成を自然に吸収してしまい、それらを編集して、自分の作品を創っているのである。

卒業物語や依存脱却の倫理的問題点

 その上で、「ヒカルの碁」が「ドラえもん」や「遊☆戯☆王」より優れている点を挙げるとすれば、やはり卒業物語の部分である。

「ドラえもん」でのび太が最終的にドラえもんから卒業して、一人で自分の人生を歩んでいくという流れは一見自然である。
「遊☆戯☆王」のアテムも最終的に封印の黄金櫃で死者蘇生を封じられ、「死者の魂は現世に留まってはならない」と云うメッセージを含んでいる。こういった考え方が日本人全般に受け入れられないものと筆者も考えない。なるほど尤もな考え方や意見を含んだメッセージとも思える。

 しかし果たして、のび太がドラえもんから卒業したり、遊戯がアテムから離別したり、本当にそんなことしなければならないだろうか?

 例えば、ドラえもんが居たら悲惨な災害や事件事故が起きて、非業の死を迎えてしまう人達を救うことが出来るだろう。拉致問題も環境問題もドラえもんが居たら解決出来る。のび太が人格的に成長すりゃ良いだけであって、ドラえもんの力を慈善事業に使えば、世界平和や社会貢献に大きく寄与するに違いない。にも関わらず、そうした社会や世界が抱える数々の問題を解決する手段を自ら放棄して、自分だけ美味しい思いを散々して、ドラえもんを未来に帰したと云うのは、数多くの犯罪被害や社会的差別に苦しまれている多くの人達が救われる機会を失ったことも同時に意味するのである。
 ドラえもんに依存するのは良くないと考える人も居るだろうが、そもそも地球に依存しないと生きていけない我々人類が、「〇〇に依存するのは良くない」と果たして何処まで言えるだろうか? アルコールやギャンブル、薬物などに依存するのは良くないのは分かるが、水や空気に依存するのは良くないとか、ガソリンや電気に依存するのは良くないと言うのは無理がある。ドラえもんが本当に居てくれるなら、それに越したことは無いのだ。

「遊☆戯☆王」のアテムも同様である。本人が現世に留まっていたいなら、別に留まっていて何が悪いのだろう? これは2006年に公開された「木更津キャッツアイ ワールドシリーズ」でも同じことを思ったが、一度死んだ奴はずっと死んでいなければならないっというのは、自然の摂理としては確かに死んだ奴が蘇ったことは過去に一度も無いのだから分かるが、もし科学的に死者を復活させることが実現可能ならそれを咎める倫理的根拠は何なのか。本人が「蘇りたくなかった」「生き返りたくなかった」って言えば、安易に人を復活させるのが良くないってのは分かる。
 しかし、もし本人が「生き返りたい」「死にたくない」って言うならば、それを合法的な手段を用いて実現させることの一体何がいけないのだろう? 「遊☆戯☆王」はアテムも現世に留まらず冥界に行きたい思いもあったから良かったが、「死者の魂は現世に留まってはならない」というメッセージは生者の手前勝手な死生観の押し付けや思い上がりに過ぎないのではないか?

 別にこれ、藤原佐為の思いを筆者が代弁しているわけではないが。

進藤ヒカルは藤原佐為を卒業しなければならない

 では、進藤ヒカルと藤原佐為の関係はどうだろう?
 間違いなく、ヒカルは藤原佐為から離れなければいけないと断言出来る。もしこのように思えないならば、「ヒカルの碁」の本質が分かっていない。

 先ほど筆者は、現在囲碁界で活躍している井山裕太先生や藤沢里菜先生を挙げて、ヒカルが『チート棋力』で勝ちまくる点を批難した。
 そう、プロ棋士になるならいつまでも藤原佐為と一緒に居てはいけない。ヒカルは自分の力で、一人で碁を打たなければならない。何故ならば、他のプロ棋士の先生達は全員、囲碁の幽霊に助けられて碁を打っているわけではないからだ。将棋盤や碁盤には必ずクチナシの足が付いている。他人が口を出してはならないと言う戒めである。二人でタッグを組むペア碁でも、言葉による相談は禁止されている。

 このまま藤原佐為が現世に残り続けて、進藤ヒカルがプロ棋士になってもアンフェアなままであり、囲碁AIを用いて不正勝利する輩と変わらない
 しかも「ヒカルの碁」が舞台にしている2000年代前半は、棋士の方がAIよりも強かったので、藤原佐為がヒカルといつまでも一緒に居る状況はAIの不正使用より罪が重いと云えるかも分からない。

 囲碁は一人で打たなければならない。
 だから漫画のタイトルは「ヒカルの碁」なのだ。
 ヒカルは自分の碁を打たなければいけないのである。


 ところが、「ヒカルの碁」の場合、「ドラえもん」や「遊☆戯☆王」とは違って、藤原佐為との別れは最終回で描かれたわけではない。
 藤原佐為は話の真ん中辺り、塔矢行洋名人との戦いに燃え尽きてヒカルに何も言わないまま成仏して途中で離れて行ってしまうのだ。

 この部分は正直、個人的に納得出来ない点も含んでいる。
 塔矢行洋名人はサイに負けたら引退すると言って勝負に臨んだが、筆者はたかが一局に負けたくらいで引退するような奴がプロの囲碁棋士になるはずがないと抗議したくなった。

 先日、女流本因坊戦で星合志保三段が藤沢女流本因坊に三連敗で完敗し、謝依旻七段は伊田篤史八段に負けて名人リーグ入りを果たせなかった。
 だが二人は挫けない。対局が終わった後も悔しい気持ちを表には出さず、気丈に振舞って笑顔を見せながら検討を行っていた。星合志保先生もこのように自分が負けた対局を解説して、一人でも多くの囲碁ファンに伝えようと努力している。尊敬に値する行動である。
 勿論、二人は勝ちたかった。本当は腸が煮えくり返るほど悔しいはずだ。

 最近はSNSで発信する囲碁棋士の先生も多いが、木部夏生二段のように報告がしんどくなるほど負けるのが精神的につらかったと白状する先生達もいる。敗北という屈辱が如何に重いかは想像するに難くない。
 しかし、たかが何でもないインターネット対局に負けたくらいで、囲碁を辞めてしまうような腑抜けな奴など、日本棋院や関西棋院の囲碁棋士達には一人も居ないと言い切って良い。
 悔しくても、悲しくても、そこで立ち止まらず、何度でも起き上がって、次の対局に向かっていく。それがプロ棋士ではないだろうか?
 以前はタイトルを獲得していた趙治勲名誉名人も、小林光一名誉三冠も、大竹英雄名誉棋聖も、依田紀基九段も、石田秀芳二十四世本因坊も、武宮正樹九段も、王立誠九段も、小林覚九段も、年齢を重ねたことでもう若い頃のような圧倒的な実力を発揮することは難しいかもしれない。
 しかし、ならばどうして囲碁棋士の先生達は引退しないのだろうか?
 それは先生達本人に聞いてみなければ真意は分からない。
 ただ確実に言えることは、たかが一局負けたくらいで自分の現役を簡単に捨てるような棋士は一人も居ないということである。

 かなり暑苦しく語ってしまったが、要するに塔矢行洋名人がサイに負けて引退するというストーリーテリングは個人的にあまり好きではなくジャンプ編集部が余計な横槍を入れたせいで話が乱れたのではないのか? と勘繰りたくもなるのだが、その真相や真実は当事者達にしか知りようがない。
 ただ、推察すると塔矢行洋名人が引退する展開は、ほったゆみ先生が週刊漫画連載の過酷さに耐え切れず引退したかったと云う当時の心境が、作品に影響してしまっていたのではないかと思う。ほったゆみ先生はその後何度か漫画原作を担当するが芽が出ず、事実上引退したような状況にあるからだ。

 しかし藤原佐為が全身全霊を掛けて対局に臨み、その結果成仏してしまう展開は何の説明も無かったのに何故か納得いってしまったのも事実だ。
 何故なら、筆者はこのような漫画を知っていたからである。
「あしたのジョー」だ。

「ヒカルの碁」と「あしたのジョー」の共通点

「あしたのジョー」は、1967年~1973まで週刊少年マガジンで連載された、ボクシングを題材にしたスポーツ漫画である。原作は「巨人の星」のイメージを払しょくするため高森朝雄のペンネームを使った梶原一騎、作画をちばてつや先生が担当した「ヒカルの碁」と同じく分業体制で書かれた傑作だ。

 東京都山野のドヤ街、少年・矢吹丈(ジョー)の高いボクシングセンスに目を付けたアルコール中毒の元ボクサー・丹下段平は、警察に逮捕されていたジョーに「あしたのために」の書き出しで始まる手紙を送る。時間を持て余したジョーは手紙に書かれた指示通りにボクシングの練習をすると、みるみる内にボクシングの技術を成長させる。ジョーと丹下段平は「あしたのために」ボクサーの道を志し、鑑別所で出会った宿命のライバル・力石徹など数々のプロボクサーとの戦いに身を投じていく……。

 勘の良い読者なら既にお分かりだろうが、「ヒカルの碁」の藤原佐為と「あしたのジョー」の丹下段平は、同じ構造のキャラクターである。二人とも優れた実力を持っていながら過去に不幸な挫折を味わい、屈折した思いを抱えてきた。丹下段平はアルコール中毒に陥り、藤原佐為は1000年経っても成仏出来ない。その思いを解消し逆転するため、丹下段平は矢吹丈に、藤原佐為は進藤ヒカルに自分達が持つ技術を託そうとする。

 学歴も無く、体を使って成り上がるしかないジョーは、丹下段平の助力が必要不可欠である。丹下段平が居なければボクシングの技術は勿論、プロとして戦うためのコネを築くことも出来なかっただろう。丹下段平が過去に犯した不祥事のせいでジョーが戦えなくなるのではないかと云った危機を迎えることもあったが、ジョーと丹下段平は共依存の関係なのは変わらない。
 一方、藤原佐為は進藤ヒカルが必要不可欠だが、進藤ヒカルは藤原佐為が必要不可欠ではない。藤原佐為は進藤ヒカルに依存しているが、ヒカルは藤原佐為が居なくても生きていける。
 それどころか、ヒカル君の視点に立つと、藤原佐為に取り憑かれなかった方が良かったのではないか? と云う解釈まで成立する
 第1話を思い出して欲しい。進藤ヒカルは藤崎あかりちゃんと云うガールフレンドが居たマセガキで、ヒカルが藤原佐為や囲碁に出会わなかったら、二人はそのまま中学高校と進学して、恋愛関係になっていた可能性が高い。
 ところが、藤原佐為がヒカルに憑依して囲碁に引きずり込んでしまったために、二人は恋愛関係になる機会を逸してしまうのである。ヒカルは中卒でプロ棋士となり、藤崎あかりちゃんは高校に進学していった。中学校を卒業して夜道を帰っていく藤崎あかりちゃんの後ろ姿は実に悲しかった。彼女は藤原佐為の犠牲になって、ヒカル君との恋愛を経験出来ないまま漫画が終了してしまったのである。
 なんて余計なことをしたんだ、藤原佐為(ほったゆみ)!?

 しかし、藤崎あかりちゃんが主人公との恋愛の機会を失ってしまう展開は実は「あしたのジョー」にも同様の展開が描かれている
「あしたのジョー」には、ジョーに恋する「のりちゃん」と呼ばれる林紀子と云うヒロインの女性が居た。明るく優しい性格で、林食料品店(林屋)の看板娘、段下ジムにも足繫く通う素敵な女の子で、当時の読者のほとんどがのりちゃんこそジョーの恋人に相応しいと思っていたことだろう。
 ところがのりちゃんはジョーの「真っ白な灰になりたいんだ……」と言う台詞に(この男には随いていけない…)と悟り、ボクサーとしては二流以下だが、自分のために一生懸命働いてくれるマンモス西との結婚を選ぶ。
 ジョーはのりちゃんを見失うと、のりちゃんからフラれたことを察して、一人寂しく歩いて行った。

 そういうわけで、ジョーは自分を好いてくれるヒロインを失ってしまい、孤独なプロボクサーの道を進んで行くのだが、最終決戦のホセ・メンドーサ戦の直前、今まで宿敵として立ちはだかってきた白木葉子が、実は自分のことが好きだったと伝えられる劇的な展開を迎える。ジョーはホセ・メンドーサ戦が終わった後、自分が使っていたボクシンググローブを白木葉子にプレゼントし、真っ白な灰となって燃え尽きて微笑を浮かべ、物語は終わる。

「あしたのジョー」の最終決戦のホセ・メンドーサ戦は、「ヒカルの碁」における北斗杯戦、韓国最強棋士・高永夏との対局が該当する
「あしたのジョー」は、この戦いの前に、朝鮮戦争を乗り越えてきた韓国人プロボクサー・金竜飛との対決がある。高永夏と金竜飛は同じ韓国人だが、キャラの国籍は同じでも、物語の構造としては一致していない。
「あしたのジョー」の金竜飛戦は、「ヒカルの碁」における初手天元、五の五などの奇手を用いた社清春との対局が該当する。金竜飛は減量に苦しんだジョーを愚弄する敵役として登場するが、社清春はヒカルに囲碁の可能性を示し、後の北斗杯でも仲間として帯同するキャラクターになってくれた。
 ちなみに、社清春は実際に初手天元、五の五などの奇手を用いる山下敬吾九段がモデルになっている。2020年のNHK杯戦で初手天元や五の五を用いたので、「ヒカルの碁」のファンなら堪らない対局だっただろう。

藤原佐為は丹下段平と力石徹の組み合わせ

「あしたのジョー」が、「ヒカルの碁」と多くの共通点(元ネタ)を持っていることを指摘してきたが、実は全く触れていないキャラクターが居る。
 それはジョーの最大のライバル、力石徹だ。

 力石徹はジョーが少年院で出会った宿命のライバルである。このキャラを高森朝雄が気に入って、ジョーが少年院を出てプロボクサーになった後に、ジョーと力石を戦わせたいと考えた。
 ところが、力石を少年院時代だけの敵と考えていたちばてつやは、力石の体型を大きく書き過ぎてしまった。
 ボクシングは公正を期すため、体重に由る階級が厳密に定められている。このままではジョーと力石が公式戦を戦うことは出来ない。
 そこで辻褄合わせのため、力石に過度な減量を行わせる展開が描かれた。ジョーを太らせるのは絵にならないから当然の判断である。
 ところがウェルター級(63.51~66.68㎏)の力石を、ジョーのバンタム級(52.17~53.52㎏)に減量させるというのは無理な注文である。
  この話は凄く有名で、フジテレビの「トリビアの泉」でも放送されたが、取材を受けたトレーナーが「そんなことをしたら死んでしまう」と発言しており、リアリティを考えたら力石が死ぬことは必然だった。

 力石徹は当時主人公のジョーを凌ぐほどの人気を博しており、過酷な減量シーンは主人公のジョーを蚊帳の外にして描かれた。
 これは「ヒカルの碁」における2位以下に約7500票近い大差をつけて人気投票1位に輝いていた伊角慎一郎に該当する。伊角はプロ試験に落ちて中国へ武者修行に出掛けて修行する展開が描かれたが、これは「あしたのジョー」における力石の減量シーンと同じ構造である。
 しかし伊角慎一郎は進藤ヒカルのライバルではなかったため、残念ながら伊角の中国武者修行は挿話(本筋と直接関係ない話)の域を出なかった。

 そういうわけで、力石はジョーとの戦いに勝ったものの死んでしまう展開が描かれたわけだが、この偶発的な事件(事故?)が起きたため、漫画界に「主人公のライバルが途中で死ぬ」作劇方法が誕生した

 奇しくも「ヒカルの碁」の作画を担当した小畑健先生は「ヒカルの碁」の後に連載した「デスノート」において、主人公・夜神月の宿命のライバル・エルを途中で死なせる展開を描くことになるが、「ヒカルの碁」においても既に同じ展開を描いていた。

 そう、藤原佐為である。
 藤原佐為は塔矢行洋名人との戦いに燃え尽きてしまったせいか、ヒカルに何も言い残せないままヒカルの傍から消えてしまう。前の方で筆者は「成仏した」と書いたが、これはあくまで筆者の解釈に過ぎず、劇中は何故佐為が消えてしまったのか明確な説明は最後まで一切行われなかった。

 ヒカルは佐為が消えてしまったことに納得出来ず、佐為が居ると思われる場所を徹底的にさ迷い歩くが、見つけることが出来ずに涙してしまい、このせいでプロ1年目の期間をほとんど休場してしまう。
 この展開は「あしたのジョー」で力石を死なせたことがトラウマになり、相手の頭部を殴れなくなったジョーが苦悩する展開と一致する。

 このことから見て、藤原佐為はヒカル(ジョー)に囲碁(ボクシング)を教えるメンターであったが、ヒカルがプロ棋士になるにおいて、その存在が成長の邪魔になってしまう存在、子供が卒業しなければならない存在であるドラえもんやアテムと云った位置づけになってしまった。最終的に力石徹のように途中で死んでしまう。いや佐為は元々死んでいるから、物語から退場したと書いておこう。

「あしたのジョー」の場合は、メンターの丹下段平が死なずに、ライバルの力石徹が死んだ。
 一方、「ヒカルの碁」は、メンターの藤原佐為が退場したが、ライバルの塔矢アキラが死なないで済んだ。

 共通の構造を持つが役割を変えることで、両者が同じ構造を持ちながら、全く違う物語に変わったことが分かるだろう。

進藤ヒカルは小畑健である

「あしたのジョー」は矢吹丈が真っ白な灰になって燃え尽きたところで話が終わる。死んだかもしれないし、死んでいないかもしれない。
 しかし仮に生きていたとしても矢吹丈は現役を引退しただろう。体力的に厳しいだろうし、ホセ・メンドーサ戦以上の戦いを行うのは不可能である。白木葉子に告白されたから、生きていれば彼女と結婚したかもしれないし、彼女が経営する白木ジムのトレーナーになったり、丹下ジムのトレーナーになって白木ジムと対抗しようとしたりするかもしれない。
 ジョーの「あした」を知る者は読者のみである。

 一方、「ヒカルの碁」の進藤ヒカルは、世界最強の高永夏に健闘して半目負けを喫したものの、まだまだ燃え尽きていない。まだ10代でタイトルも獲得していないし、真っ白な灰になるにはまだ早い。
 こうして進藤ヒカルは塔矢アキラと共に、棋士として活躍する未来が待つことを予感させて、物語は終了した。

 ヒカルと藤原佐為の辿った流れは、小畑健先生とほったゆみ先生のその後の人生と一致する。
 ほったゆみ先生は役割を終えたと悟って消えた藤原佐為のように、何度か連載の機会を得たものの、漫画界からはフェードアウトしていった。
 一方、小畑健先生はその後もさまざまな原作者と組み、「デスノート」や「バクマン」など、人気漫画を次々と世に放つ人気漫画家となった。

 ハッピーエンドの映画や物語をどうして書くのかと聞かれた時に、筆者は「作者が自分が幸せになりたいから」と答える。
 自分が書いた作品と同じような運命を辿った作家があまりに多いからだ。

劇場版「ヒカルの碁」はラブストーリーを求む。

 さて「ヒカルの碁」の漫画が20周年を迎えたが、筆者はぜひ「ヒカルの碁」をアニメ映画化して欲しいと願っている。
「ヒカルの碁」の良いところも悪いところも知り尽くした筆者だが、やはりヒロインだった藤崎あかりちゃんと進藤ヒカル君が結ばれて欲しい。
「あしたのジョー」の場合、ジョーはのりちゃんに拒絶されてしまったが、白木葉子が居たので救われた部分がある。
「ヒカルの碁」の場合、院生の奈瀬明日美は居たが彼女は当初モブキャラに過ぎなかったし、ヒカルとの絡みも非常に少なかった。勿論、出会った頃は全く意識していなかったが、プロになった後に少しずつ愛を育んで結婚した林漢八段と鈴木歩七段のような夫婦も居るから現実ならばそれでも良いが、やはりフィクションなんだし、ヒカル君とあかりちゃんが最終的に結ばれて結婚するエピソードを見てみたい。

 もし「ヒカルの碁」の劇場版が企画されたのならば、ぜひ作って欲しい。
 筆者の妄想を此処に書き表していく。

タイトル『劇場版 ヒカルの碁 ―私の声が聞こえるのですか?―』
<あらすじ>
 2011年、プロ棋士と活躍している進藤ヒカルは数々のタイトルを獲得して最高段位の九段にまで達した、日本を代表する囲碁棋士に成長していた。
 そんなヒカルに同窓会の誘いが来て、中学時代の囲碁部の面々との再会を果たすため居酒屋を訪ねるが、再会した藤崎あかりは学生時代の面影を残しつつも大人の美貌を備えた美人に成長し、ヒカルはあかりに惚れ直す。
 ヒカルとあかりは同窓会が終わった後も囲碁デートを少しずつ重ねるが、やがて東日本大震災に遭遇し被災してしまう。
 二人は難を逃れるが、震災の混乱で日本棋院も囲碁どころではなくなり、ヒカルは対局する機会を一時的に失ってしまう。
 棋戦を戦えない状況の中、自分に本当に必要な存在は藤崎あかりだったと気付いたヒカルはあかりにプロポーズする。ヒカルの熱い思いに藤崎あかりもこれを受け入れて、二人は結婚する流れになった。

 結婚式の日、漫画やアニメで登場した多くのキャラクター達が、ヒカルとあかりの結婚を祝福するために集まった。
 そんな中、何かが足りないような気がして、ヒカルの表情は少し暗い。
「ヒカル……」
 あの声が聴こえて、ヒカルは辺りを見回す。
 ヒカルは遂に見つける。
 遠くから藤原佐為が微笑を浮かべて祝福するように見守っていたのを。
 笑顔が零れるヒカル。
「聞こえるよ、佐為の声が……!」
 優しい笑顔を浮かべて頷く佐為。
 ヒカルは別れを告げるように振り返り、仲間達の中に戻る。
 希望の未来へ羽ばたくように、多くのキャラクター達が駆け出して行く。

 テレビ東京、株式会社ぴえろ、集英社の皆様、よろしくお願いします。

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