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自己啓発と絶望2

続きをご覧いただきありがとうございます。文を書くモチベになります。

前回の記事は主に自己啓発について話した。次は絶望についてである。

 人生がうまくいく方法の1つ。いや唯一といってもいい。それは絶望である。絶望に直面した人間がとる行動は二つ。逃げるか、受け入れるか。よく言われる、逃走か闘争か、である。

 人間は思いのほか絶望に立たされる機会が多い。それは、どんな立場に立とうが、いくら富を手に入れようが、である。

 例えば仏陀を挙げてみよう。仏陀は、お釈迦様ともいわれる、仏教の教祖である。仏陀は、王族の家に生まれ裕福な暮らしをしていた。そして、四つの方角に開く門を出たとき、生きて苦しむ人、老いて苦しむ人、病気に苦しむ人、死にゆく人を目の当たりにした。人間が当たり前に受け入れる、苦しみを見て絶望した。いわゆる生老病死である。 
 仏陀は裕福な家に生まれたのにもかかわらず、そういった状況を目の当たりにし絶望し、すべてを捨て修行に出かけた。出家したのである。
 仏陀は長い時間をかけ悟りを開いた。
 そして現代にも残る、宗教を作り上げたのである。(仏教は宗教というより思想や哲学といったほうが意味合いは近い。もちろん宗教としての仏教もある。)仏教が悟りを開き現代にも残る思想を残せた理由、それは絶望である。
 仏陀の思想の1つ、生老病死とは、人間は生きていても苦しむ、もちろん病気や老いにも苦しむ。生きているだけで苦しむ。これは、なかなかに絶望させてくれる。こういった思想が根幹にあるにもかかわらず、この思想に救われている人が現代を見ても大勢いる。僕もその一人だ。

 つまり、絶望とは希望を与える大きな力であるのだ。絶望と希望はコインの裏と表、表裏一体なのである。希望を知った人はもれなく絶望がやってくる。絶望を知った人はもれなく希望を知る。

 読書、筋トレなどのいい習慣の前に先立ついい人生への第一歩。それは、絶望である。成功したいというなら絶望に目を向ける、そして逃げない、自分の身に降りかかることは否定せず受け入れる。大成功をしたいのであれば、果てしなく絶望することである。

 生まれた環境、自分の持つ才能、努力のむなしさ、失恋、大借金、絶望なんてそこらへんに落ちているのだ。絶望から目をそらさず、拾っていけばいい。それは希望なのだから。

酸いも甘いも人生だ。すべてを受け入れる。本当の人生はそこからだ。


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