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舞踏は「純文学」である。

 舞踏とは何だろうか? その歴史、発生時の社会的背景、外観的特徴など様々な面から語られる。私が舞踏を生業にしてきた四十年近くの間「舞踏とは何か」という議論はすでにあちこちでなされたものだ。舞踏の中にはいろいろあるので、ここで「自分の理想とする舞踏とは何か」について考えたい。

 自分にとっての舞踏は「純文学」なのである。

「純文学」とは何か?

「純喫茶とは何か」はわかりやすいが、「純愛とは何か」はわかりにくい。そして「純文学とは何か」も、とってもわかりにくい。

三省堂大辞林にはこう解説されている。

じゅんぶんがく【純文学】
① 大衆文学・通俗文学に対して、読者に媚こびず純粋な芸術をめざした文学作品。
② 哲学・史学を含む広義の文学に対し、美的形成を主とした詩歌・小説・戯曲などの類。

それに対するエンタメ小説などは

タイムリーなテーマ、奇想天外、わかりやすい。伏線や謎が在り、ワクワク感がある。展開が早い。登場人物が多い。主人公に読者が感情移入しやすい。

映画化、アニメ化がしやすい。

多くの人に支持される。

例を挙げると何を書いてもベストセラーになるシドニィ・シェルダンやマーク・レヴィンあたりか?

「純文学(自分が考えるところの)」とは何か?

1. 「何を書くか」よりも「どう書くか」に重きがおかれている。

2. 文章に格調があり、薫り高い。堀辰雄、ラディゲとか。

3. 少数派にディープに支持される。

4. 情景描写や心理描写が重要視される。

5. 文に精神性や意識の流れ(登場人物、あるいは作者)が投影されている。

6. 話の展開や筋書きが難解。展開がなさすぎて難解なこともある。

7. 余計なものが極限まで削られている。そういう意味では詩に近い。

8. 読者に苦痛を与えることがある。

9. 咀嚼、消化に時間がかかる。

10. オチがない。

で、これが舞踏にぴったりと当てはまる。

1. 「何を踊るか」よりも「どう踊るか」に重きがおかれている。

2. 動きに格調があり、薫り高い。

3. 少数派にディープに支持される。

4. 作品内容の情景描写や心理描写が重要視される。

5. 動きに踊り手の精神性や意識の流れが投影されている。

6. 話の展開や筋書きが難解。展開がなさすぎて難解なこともある。

7. 余計なものが極限まで削られている。詩に近い。

8. 読者に苦痛を与えることがある。

9. 咀嚼、消化に時間がかかる。

10. オチがない。(オチを重要視しない)

 咀嚼、消化に時間がかかる、というのは、舞踏がスロウであるのはムーブメントをじわじわと味わうのに最適だからで、純文学の場合も、実用書と違って早く内容を理解すればいいというものではなく、さっと急いで読んでしまうのはもったいない。一日一ページくらいのペースで高級ウイスキーを舐めるがごとくに大切に読めば毎朝目覚める楽しみも出来る。蛇が獲物を消化するようにじわじわと自分の体に取り込み、体の一部にする。

 舞踏と純文学がエンタメ系と違う点は作者の目指すものが自分の芸術の確立にあるところ。経済的、社会的成功にあるのではない。つまりゴールをどこに定めているかが舞踏を芸術たるものにしている。

純文学が売れて大衆の支持を得る、ということもあり得る。 


それは結果であって、仕組んだものではない。いや、出版社や周囲の人は当然仕組んでやっているのだが、作家自身が売れることを目標にして創作すると、何のために芸術をやっているのかがわからなくなるし、お金を稼ぐのであればマーク・レヴィのように建築業でも不動産業でもいいということになる。

 もちろん芸術家も糊口を凌がなければならないから、売れることをゴールにはしないが、結果的に売れなければならない。だから意図的ではなく、しかし大衆に受け入れられるような作品作りをする。という微妙なところに帰着する。

続く。

有科珠々

Photo : Fabrice Pairault 2019, Modèle : Juju Alishina



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