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プロの仕事を奪うボランティアの問題

 数日前、日仏間の大規模なイベントが開催され、そこでのパフォーマンスを提案された。いつものように見積もりや資料を送ると、「無料でやってくれる団体が見つかったからプロは必要なくなった」と言われ、この話はなくなった。そこまではよくあることなのだが、そのボランティアとは私の生徒の入っているサークルであったことが当日判明したのだ。「良い機会を得られた」と嬉々として話す彼女は、自分が先生の仕事を奪ったことを知らない。こちらもその喜びに水を差すつもりはないから知らない振りをする。彼女らに悪気はないのだ。しかしともかく、なんとも憂鬱な気分だけが心の澱として残った。 

 思えばこの数十年間、何度このパターンに苦しめられただろう?日本にいたときも、ここフランスでも。

 今回はそれほど時間や労力を失っていないが、以前には名指しで依頼されて担当者に会い、打ち合わせをし、会場を下見して詳細を詰めてから「ボランティアでやってくれる人が見つかった」という連絡一本だけですべてがパー(死語)になったことが何度もある、それまでに費やした時間が全部無駄になる。それも相手は相当名の知れた団体や企業、プロダクションである。向こうから連絡してきたのであって、こちらから頼んだわけではない。

 プロの出演料には様々な経費が含まれている。 そのスキルを得るまでの教育費やリハーサル代、音源費、リサーチ費用、衣装を管理する倉庫代や、経理、秘書の人件費、広報費、保険料などさまざまな費用を少しずつ回収しなければならない。たった十分間の出演であってもその出演時間だけの賃金という訳にはいかないのだ。

 こちらは本職であるから生活がかかっているのだ。なぜ副職のあるボランティアに営業妨害されなきゃならんのだ?

 例は悪いが、似たものに「娼婦の掟破り」がある。フィクションではあるが、赤線の娼婦が客をとってお金を取らない場合のリンチは映画『肉体の門』などにも見られる。

 するとなんだ。タダでやる人は皆、裸で吊るし上げ、大勢で鞭と棒でもって叩くべきなのか?

 そうではない。

 もともと性交とは、自分のパートナーとタダでやるものなのである。売春が禁じられているのは「本来お金で売買してはいけないものを商売にしているから」である。

 では、芸能や芸術をお金で売り買いするのは間違っているのか?

 それは、間違ってはいない。

 芸能や芸術をビジネスにするのは正しいことなのだ。声高らかに言ってもいい。それは数百年前から証明されている。

 歌舞伎の創始者である出雲の阿国が四条河原に小屋掛して木戸銭を取り、大変繁盛していたところに突然無料提供しろうと団体が現れ、プロよりも遥かに派手な興行を行って阿国たちの一座を危機に陥れたことは有吉佐和子さんの小説にも書かれている。

 今までお金を払っていたものがタダで手に入るようになれば、誰も買わなくなるのは当然の成り行きである。現在だって違法ダウンロードをいくら取り締まっても人々はタダでコンテンツを手に入れがちだ。

 プロのライセンスを持たないアーティストは仕事ができないシステムにしてはどうか? という意見があるがあまり意味がない。拙社はライセンスを持っているが、出来るだけ安く上げたいプロダクションは正式な契約をしないし社会保障などの費用を負担したがらない。そういう発注者にとってはライセンスを持っていることが妨げになる。

 また、若い人、駆け出しの人が経験のため、訓練のために、露出を増やすために無料出演するのは良いことだと思われる。 場数を踏まないと何も始まらない。しかし、若いうちに散々利用されて使い捨てにされるのでは、未来がない。最初は苦しくてもキャリアを積むにつれて昇給し向上していくような状況をつくらなければこの業種が進化していかない。

 では、結局どうすればいいのか? 

(アーティスト側が出来る解決策)

1)高額のギャラを出すに足りるだけのクオリティをアーティストが身につけること(これは当然だし、言うまでもない)

2)プロときちんと契約できるクライアントを多く見つけること(これが出来れば苦労はしない)

3)正式に契約するまではなるべく時間や労力を費やさない。(まとまらなかった時のダメージを最小限にする為)

4)プロがスムーズにビジネスをするためのシステムを構築すること

 3)には、社会の協力が必要だ。若いアーティストもベテランもオーガナイザーも観客も皆が幸せになるシステムを目指すのだ。

 我々が絶対にボランティアではやらないのかと言えば、そうではない。義理のある人の為や、将来のための投資、チャリティなど社会的意義のあるものに対してはプロであっても無料提供することもある。

 自分が発注者およびオーガナイザーの立場だったらどうだろう。ギャラの高い口うるさい擦れっ枯らしのベテランよりも、若くて安くてやる気のある素直に言うことを聞いてくれる人を選ばないか?

 ……などなど考える今日であるが、オーガナイザーの立場のことは、別の機会に語ろう。

 これは問題解決の為に書いたのであって、特定の誰かを糾弾するためではないから団体名などは伏せます。

写真はパリ市内、某劇場の仕込み中。

有科珠々


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