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クリスマスキャロルが聴こえる頃には

クリスマスは言うまでもなく、イエス・キリストの降誕を記念する日だ。処女マリアから生まれたイエス・キリストは、もろもろの民を罪から救う者として地上に降誕されたのである。

しかし、自分にとってクリスマスはイエス・キリストの降誕を祝うおめでたい日であると同時に、死も意識するようになった、忘れられない出来事を思い出させる日でもある。

プロテスタントの高校に通っていたわたしは合唱部に所属していて、クリスマスの時期には聖歌隊として讃美歌を歌うボランティアをしたり、クリスマスのイベントに出たり、忙しくも楽しい充実した日々を過ごしていた。

毎年わたしたちはとあるホスピスに讃美歌を歌いにボランティアに行っていた。一部屋ずつ病室を讃美歌を歌って回る、と書けば簡単なのだが、わたしにとっては体力的にも精神的にも重労働だった。

どんな気持ちで歌っていいのかわからなかったのだ。

病室を回る前に顧問の先生は「今から歌いに行く人たちの中には、クリスマスを迎えられない人もいるかもしれない」と話していた。言ってしまえば彼らは、「限りのある命」を生きていて、彼らを前にわたしはあまりにも幼く、先生の言葉、彼らの存在はあまりにも重く、わたしはどう受け止めていいのかわからなかった。

様々な患者さんがいた。拍手を送ってくれる人もいれば、寝たきりの人もいた。自分の孫を思い出すと言って笑ってくれた人もいた。「ありがとう」に素直に「どういたしまして」とも思っていいのかわからなかった。しかし「泣いてはいけないんだ」、なぜか分からないけどそんな気がした。

3年生のクリスマス前、わたしたちはまたボランティアに行かせてもらった。3年生のわたしたちにとっては最後のボランティアだ。初めて参加する1年生の後輩たちはわくわくしながらも、やはりどこか緊張した面持ちだった。フロアのデイルームの暖かい色の照明とクリスマスの飾り付けが緊張をやわらげてくれる。

一部屋一部屋回り、讃美歌を歌う。あらののはてに、まきびとひつじを、もろびとこぞりて、あめにはさかえ─と、あるお部屋にお邪魔した。40代くらいのご夫婦と、小学生中学年くらいの男の子。メインベッドにお父さんが座り、その横の簡易ベッドでは男の子がランドセルの中身を広げていた。窓際のソファにはお母さんが座っていたが、わたしたちが入ってくると立ち上がり出迎えてくれた。

わたしは胸がどきんとした。

数曲歌い、最後にきよしこの夜を歌い終わると、その男性は涙を流し「ありがとうございます」と嗚咽した。わたしは茫然とした。

隣では、1年生のMちゃんが顔を赤くして目に涙を浮かべている。わたしは「泣くな」と目で合図したが、きっと伝わってなかっただろう。いや、伝わらなくてよかったんだ。

なぜ?

なぜこの幸せそうな家族にクリスマスはやってこないかもしれないのか?まだ彼は若いじゃないか──色々な考えが頭をかけめぐった。

わたしは前に読んだ小説の中のある言葉を思い出した。"死は生の対極である"と。死は生の対極だとしたら、その中間も存在していて、中間で生きている人も存在するのではないか?それがあの家族なのではないか?そして死を間近にした人を前に泣いたMちゃんも、なぜ彼に死が待っているのかと考えたわたしもそうなのではないか?人間は誰しも死について考えながら死なないように、生と死の間を生きているのだと思う。

彼が何を思いながら涙を流したのかはわからない。あの家族にクリスマスが来たのかもわからない。わたしたちの歌が癒しになっててもなってなくてもいい。けれど、彼はわたしに「生きる」ことの重みと、「生きている時間」の尊さを残してくれた。

街に出るとイルミネーションでライトアップされたクリスマスツリーがクリスマスの喜び分かち合うカップルや家族連れを照らす。どこからか聞こえてくる心が踊るクリスマスソングの中にポップにアレンジされた讃美歌が聞こえると、あのキャロリングのことを思い出す。街中の誰もがクリスマスの喜びを祝福している陰に、死を待っている人がいる。

わたしは今日も生きている。仕事をし、音楽を聴き、ギターを弾き、本を読み、この文章を書いて生きている。

今どこにいるのかわからないけれど、本当にありがとう。ありきたりな言葉になってしまうけど、あなたがいたから今わたしは生きています。今あなたが何をしているのかわからないけれど、穏やかな日々を過ごしていることを願っています。

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