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映画「83歳のやさしいスパイ」感想文

奇跡のスパイの奇跡のドキュメンタリー!
これ、身の回りの全ての人にお勧めしてしまう映画です。

フィルマークスで調べると上映館は7つとなっているけど、
わたしが今日出かけたミニシアターはその中に入ってませんでした。
だから、ミニシアター探すとまだ他にも上映館があるかもしれません。

わたしが見たのは、逗子のミニミニシアター「CINEMA AMIGO」

大好きな映画館(と呼ぶには小さすぎるけど)です。

83歳のセルヒオが探偵事務所の新人スパイとして老人ホームへの潜入捜査に挑戦するという、嘘みたいだけど本物のドキュメンタリー。
予告編と公式サイトを貼りますので、ご興味ある方はぜひご覧ください。

ドキュメンタリー映画が好きで割とよく見る方だけど、
ドキュメンタリーの現実の中に現れるドラマよりずっとドラマチックな一瞬にやられちゃうことがよくある。
脚本や演技やコンテで丁寧に練られた映画も素晴らしいけど、
そういう故意や作為や表現者の才能や努力を軽々と打ち砕くような一瞬がドキュメンタリーには現れる。
まさに、この映画にはそんな一瞬一瞬が捉えられていて、
この監督と、この老人ホームと、この探偵社と、この老人スパイが出会ったことを
「奇跡よありがとう!」と真剣に感謝してしまう。
現実はこんなにも映画的な切なさと美しさと優しさを隠し持っているんだと気付く。
わたしはそんな映画的な現実の端っこで生きているんだと気付く。

義父や義母がお世話になっているデイケアなどの介護施設には何度もお邪魔している。
そこで出会うお年寄りたちはみんな力のない目をしていて、
ついているテレビを見てるんだかどうなんだか、
他の人の話を聞いてるんだか聞いてないんだか、
わかってるんだかわかってないんだか…。
時々交わされる短い会話も、脈絡があるようなないようなだし、
何もかもがぼんやりとして捉え所がなく曖昧な様子に見える。

でも、その一人一人に朧げながらもちゃんと意思や記憶や想いがあって、
一人一人がその朧げになってしまった自分の内面を持て余して切ない思いをしているんだなあと、
そんなこと、いくら年老いてたって呆けていたって、
人間なんだから当たり前なんだけど、
改めて、そうだよなぁ、切ないよなぁと、思い知ったような気がする。

わたしの義母は認知症で、しょっちゅういろんなものをなくす。
でも、認知症あるあるで「自分がなくした」とか「自分が忘れた」という自覚がない。
なくしたことや忘れたことすらも忘れてしまう。
いや、そもそも記憶されていない。
ちょうどパソコンの保存機能が調子悪い感じと似ている。
保存されている場合とされていない場合がランダムに起こってたり、
間違ったデータが勝手に保存されていたりする。

だから、義母はものがなくなると
「わたしが無くすわけはないのだから、誰かが持っていったに違いない」と主張する。
そして犯人扱いされるのは何故か中2の孫(わたしの甥っ子)だったりする。
猫用のブラシや、台所の三角コーナーや、ビオフェルミンの瓶を
中2の孫が盗んでいったと主張する。
中2男子が三角コーナー盗ってどうすんだという論理は通用しない。

義母には「作話さくわ」と呼ばれる作り話をする症状もある。
本人は現実と自分が作り出した作話の区別がつかない。
「ノリコは呆けてしまって施設に入れられて、こないだ死んだと連絡があって」と話す。
慌ててわたしがノリコさんのうちに電話をすると、ご本人が出てきてお互い驚く…
みたいなことが日常でいっぱい起こる。

以前はわたしも「そんなわけはないでしょう」とか
「それはお義母さんの勘違いでしょう」と否定していたんだけど、
否定されると義母は怒り出す。
ひどい時はものを投げられたり、「馬鹿にしやがって!」と怒鳴りつけられる。
だから、わたしは義母が被害妄想を話そうが、作り話をしようが、
今では一切否定も訂正もしなくなった。
ただ、「へえ〜」「ふーん」と聞き流す。
聞き流して話題を変える。

夫は、以前は時間に余裕がある休日は義母の様子を見に実家に顔を出していたが、
義母の認知症が進んだこの頃は時間があっても「まあいっか」と行かない日が多くなった。
行っても行かなくても義母の記憶には残らないからだ。
毎日行っても「全然顔を出さない」と言われたり、
久しぶりに行っても「昨日来たばっかりなのに!」と言われたりしていると
報われない気がして嫌になっちゃうんだろうと思う。

わたしは病院の付き添いや食事の世話や、なんやかんやでしょっちゅう義母には会いに行くのだが、
その度にいつも同じ話ばっかりされたり、
全然現実とは違う被害妄想や作り話ばっかり聞かされたりしていると
正直うんざりしてしまって、ついつい相槌がぞんざいになる。

でも、今日、この映画を見て、わたし、だめだなあって思った。

83歳のスパイはどんな老人にも、丁寧に愛を持って対応していた。
惚れっぽいおばあさんにも、
問題行動ばかりのおばあさんにも、
認知症のおばあさんにも、
困惑しながらも、諦めたり放置したりせずにきちんと向き合っていた。
そして、彼女たちの孤独を優しく包み込んでいた。

尊敬を感じた。
わたしもかくありたいと思った。

実際のところ、認知症介護は報われないことの繰り返しでかなりキツい。
自分の中に確かにあるはずの相手への愛情が
苦しさややるせなさや苛立ちや腹立ちで覆い隠されて埋め尽くされて
もう、頑張ってかなり掘り起こさないと出てこないような状態になってしまう。

わたしも、夫も、義母の言動で振り回されて苦しめられて、
頑張っても頑張っても報われないことの繰り返しで、
向き合うことに疲れた。
だから、向き合わずに流すことにしちゃったんだと思う。

きっと、そんな介護者が世の中に溢れていると思う。
そんな人にはもちろんだけど、
これから老いる予定のある全ての人に見てほしい映画だと思った。

わたしもこれから自分の心の奥に埋もれて沈み込んだ愛情を掘り起こそうと思う。
そして、明日は義母の好きなものを持って、会いに行こうと思う。



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