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恋の形見は残すか否か。居酒屋でキャベツ盛りをつまみに考える夜の話。

そもそも、なぜキャベツはおかわり自由なのか。調べてみると「お酒の注文を増やすための施策で、とても効果がある」らしい。
まとめて大量に仕込むことができて、尚且つキッチンのオペレーションが楽。原価率が低いドリンク類をより多く売るために、キャベツ盛があるらしい。お酒が飲みたくなる味つけがされているとのこと。…ほんまか?キャベツ盛りの味の記憶は水洗いプラス少し塩漬けしただけのように思えるが。酔いを冷ますためだけに私はうさぎのようにいつも食べているあのキャベツにそんな媚薬みたいな効果があるのか。まあそんなことは今日どうでもいい。

本題は恋をした相手との形見は残すか否か。恋人でなくてもいい感じになった人との映画館デートの半券。CDや漫画を貸してくれた時の謎の袋。お揃いのミサンガやバッグに付けるキーホルダーやチェーン。誕生日にくれた時計やアクセサリー。そして写真。どう葬るか。そもそも葬るのか。

語ってもらおう。集まったメンバーは、ご覧のとおり。
男を信じることに抵抗があり、人に期待しなくなった25歳OLとそんなOLに対して「ディズニーとか行きたいよね」とじっと目を見つめて言ってくる30代の役職者。ほんとどうしようもない。

「僕は全部捨ててしまうんですよ。未練あるみたいに思われたくなくて」先陣を切った。
「私は写真に関しては数枚残すんですけど、物は捨てるかなくしちゃうかも。全てをなかったことにできなくて」いやいや待て。なくすなよ。ちなみにこのOLは、彼氏にもらったはじめての誕生日プレゼントであるビンテージティファニーのネックレスを別れたあとになくしたらしい。扱い方が雑である。そんな扱いをするから別れることになってしまうのだ。

さて、貰ったモノ、一緒に購入したモノを残す派は多い。なぜならモノに罪はないから。
しかし一方で、いま付き合っている恋人やパートナー目線から見ると、あまりいい気分でないというのも確か。わかる。その気持ちすごくわかる。
なぜなら、モノに対して誰かが気持ちを込めて買っている瞬間があることを想像してしまうから。
それがプレゼントだったとしよう。喜ぶ顔が見たくて、リサーチし、似合うものはなにかと考え、対価を支払う。貰った側も○○に貰ったなとワンクッション置くはず。まあ、だからこそ捨てられないのだが。

「でも、例え残していなかったとしても、記憶にはずっと残ってるんですよね」OLが呟いた。
「完全に忘れることってできないし、別に無理に忘れる必要もない。ずっと思い出としてこびりつく。その時過ごした時間をぐっと濃くさせるのがモノであったり写真なんですよね」

上司のターン。
「当時の恋人が同じ職場で。結婚を控えてたんですけど、向こうの親がいまの給料と肩書きじゃだめだって言ってきて。転職したんですよ。まあでも転職したからってすぐに伸びるわけじゃないし。数年かかるってことで別れたんです。でも転職したおかげでいまの自分があるし。この時って何か残してるわけじゃないけどずっと覚えてるんですよね」

結論そうなのだ。残しても残さなくても、ずっとその当事者のあいだで記憶の花は咲き続いているし、枯れることはない。ドライフラワーとなっているのかもしれない。

ただ、生花からドライフラワーにするのがとても、とても難しくこればっかりは「時間」「自分の生活を豊かに見えるよう予定を詰め込んで、つまらない日常を上書きする」「新しい恋の花を咲かせる鉢植えを探す」これしかいまのところ無難な答えは見つかっていない。

プロフェッショナルな花屋店員からアドバイスをいただきたい所存。

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