空と海の婚礼

 空と海の婚礼を見届けて欲しい。

 珊瑚の裂で作られた手紙には、見届け人が向かうべき場所が記されていた。

 三流詩人の私に、そのような大役が務まるのだろうかと思ったが、他に相談する相手などいないので、自分で考えるほかなかった。

 婚礼を無視することもできるのだろうが、それは人に限ったことである。何せ、相手は空と海だ。人の理では理解できない、自然界の者達の婚礼。その誘いを無視した時に、果たしてどのようなことが起きるのかを考えるのだが、想像すらつかない。そのことが恐ろしく、私は記された期日に指定された場所へ向かうための準備を、急いで始めたのだった。

 とは言っても、持ち物に関しては特に何も記されてはいなかった。持ってこいというものもなければ、持ってくるなというものもない。服装についても、特に規定はなかった。

 婚礼なのだから、平服で行くのは気がひける。だから、街で朗読会に参加する時に着ていた服を選んだ。胸元に銀色の唐草紋様が意味もなくあしらわれた黒いワンピースである。

 初めて人前で詩を読むことになった時、師匠が特注で買ってくれたものだ。大切な服なので、詩の朗読会の時以外には絶対に着ない。だからこそ、空と海の婚礼などという非日常的な儀礼へ参加する服としては、ちょうどいいように思えたのである。

 黒のワンピースは本当に久しぶりに着る。街で朗読会が開かれなくなって久しく、他の者のように外の世界へ飛び出す元気もなかった私は、すっかりワンピースの着方を忘れていた。それでも、年に何度かは手入れをしていたこともあり、ワンピースは汚れ一つなく、あたかも新品のように見えた。

 少しだけ苦労しながらワンピースを着てみる。幸い、サイズも合っていた。長い年月の間に、私の体形は変化をして来なかった。普段はそのことについて特に何も考えないのだが、この時ばかりはありがたいことだと思った。

 黒いワンピースを着た私は、鏡の中でいつもよりほんの少し若返ったような気がした。あまり着ていないので、ワンピース自体が年を取っていない。その若さが、私の身体にも伝わって、若く見えるのかもしれなかった。

 確かに顔の皺は増えているし、肉も全体的に垂れているのだが、それでも平服を着ている時に比べたら、人前に出ても恥ずかしくない出で立ちのように思えるのだった。

 空と海の婚礼の当日、私は小さな手提げ鞄だけを持って、自分のアトリエを後にした。

 珊瑚の手紙に記されている道を歩いていく。それは、街へと続く本道から外れた小道を進み、海へと出るルートだった。

 本道が整備されて以降、ほとんど人が使わない道だ。ろくに手入れもされていない。ガタガタで、どこからやってきたのかも分からない大きな石が転がっていることもしばしばだった。小道は街へと続く本道と並行するようにしばらく続いていたのだが、街の姿がチラリと見える距離まで来ると、一気に本道と離れてしまった。

 街の姿は、一瞬しか見えなかった。黒々とした煙が、数え切れないほどの煙突から出ていた。この数十年の間に、街はすっかり工業化してしまった。私が幼いころは大勢の詩人がいたものだが、街が工業化し、合理性を追い求めはじめると、少しずつ消えていった。

 煙突と煙、それに金勘定にだけ長けた人間しかいない場所では生きていけない。

 消えて行く詩人の中には、そのようなことを呟く者も多かった。彼らは消える段になると、決まって私のアトリエまで挨拶に来た。

 最初の頃は年長の者が多かったのだが、途中から年下の者ばかりがやって来るようになった。最後にやって来たのは、私よりも二回り近く若い女性の詩人だった。

 貴女で最後です。私も頑張ったのですが、もう耐えられなくて。

 名無しのストームと名乗ったその女性は、目に涙を浮かべて私に別れを告げた。その口調には、一種の畏怖と憧れのようなものが混じっているように感じられて、いつから私はそのような存在になったのだろうと、驚きつつ、訝しく思ったものだ。

 それが三年前の出来事で、以来、私は街とは最小限度の関わりしか持って来なかった。向こうから詩の依頼がくることもないし、こちらから詩を売り込むこともなかった。

 私の詩は、アトリエから最も近い街をすっ飛ばして、詩人たちが散って行ったその他の街、未だ工業化や合理性に毒され切っていない場所へと運ばれ、金となって戻ってくる。

 だから、街が一瞬だけ見えて、それから完全に視界から消えてしまっても、特に何も思わなかった。ああ、見えなくなったなと思うばかりで、むしろ小路の周りに広がる草原めいた空間に安らぎを覚えたほどだ。こちらの方が、よほど人間らしく生きられると思えた。

 アトリエから海岸に出るまでには、二時間ほどかかった。

 白砂の広がる海岸に、人は誰もいなかった。

 砂浜の中央に桟敷が設けられていて、その奥に立派な東屋が見えた。

 案内する者は誰もいなかった。ただ、珊瑚の手紙に記された地図から推察して、この東屋が見届け人のいるべき場所なのだなと、直感的に理解した。

 桟敷は珊瑚の死骸で作られていた。歩くと、ゴツゴツした感触を足裏に覚えた。

 海岸から東屋までは十五分ほどの距離があった。東屋に近付くにつれて、それが珊瑚の死骸や魚の骨によって作られていることがわかった。

 どうやら、空と海の婚礼の見届け人の接待は、海の側が担当しているらしい。

 職人技としか思えないほどの精緻さで魚の骨を組み合わせて作られた椅子に座ると、私は空を見上げた。

 東屋とは言いながら、建物の上に屋根はなかった。燦燦と輝く太陽とどこまでも続く青空がはっきりと見える。

 珊瑚の地図を改めて眺めてみるが、婚礼がいつ始まるのかについては、全く記されていなかった。日だけはしっかりと記されているので間違いないのだろうが、もしかすると何時間も待ちぼうけを食らう可能性もあった。

 私は、鞄から小さなノートと鉛筆を取り出した。東屋の中から見える海や、空の様子を眺めながら、詩でも書こうと考えたのだ。

 あてどもなく視線を彷徨わせて、ようやく最初の一行が浮かびそうに思えた時だった。

 クラリと、軽く身体が揺れた。

 眩暈かと思ったが、どうも違う。

 思わず辺りを見回す。すると、海の水面が細く波打ち、それがやがて水柱となって空へ向かって伸びて行くのがみえた。

 辺りを見回すと、同じような水柱が無数に現れ始めていた。先ほどのクラリとするような揺れは、この水柱たちが現れる時に起こる振動によって引き起こされているようだった。

 私は空を見上げた。

 透明な柱が空へ伸びていくのと同時に、空が段々とこちらへ近づいているのがわかった。柱に絡め取られ、引きずり降ろされているように見える。

 この段になって、空と海の婚礼が始まったのだと、遅ればせながらに気付いたのだった。

 当初、私は空と海の婚礼についてノートに書きつけてやろうと考えていた。それを基にして、詩の一つや二つ作れるのではないかと、本気でそう考えていたのだ。

 だが、それはあまりに愚かな考えだった。

 空と海の婚礼は、人間の思考を軽々と超え、あらゆる行動を放棄させる力があった。

 私に許されていたのは、目で見ることと、耳で聞くことのみだった。

 無数の水柱が立ち始めて数分後には、海の中央に一際大きな水柱が現れた。

 古代の遺跡に佇む柱を思わせる水柱の中には、ありとあらゆる海の生き物たちが閉じ込められ、何かに急き立てられるかのように、空へ向かって泳いでいるのが見えた。

 魚群、鯨、海豚、あるいは普段は泳ぐことなど決してない海藻や珊瑚まで。

 まるで何かに急き立てられるかのように、彼らは空へと駆け上がっていく。

 だが、異変は海だけではなかった。

 気付けば無数の羽ばたきが空を覆い尽くしていた。東屋から見上げれば、色とりどりの鳥達が、巨大な水柱へ向かって、勢いよく飛び込んでいくのがみえた。

 鳥たちは水柱の中に飛び込むと、魚群や珊瑚などと衝突し、液体のように交じり合い、全く見たことのない生き物へと変貌を遂げた。

 羽の生えたサンゴ礁、鰓と鱗をつけたコウノトリ、くちばしと細長い足の生えた海豚などなど。キメラのように無茶苦茶なのだが、ゾッとするほど調和の取れたその姿は、空と海という二つの自然が交じり合うことの意味を、痛いほど私に示していた。

 生き物ばかりではなかった。海と空はゆっくりと交じり合い、青と白の全く異なる澄んだ世界を頭上に生み出していた。

 空と海、二つの世界で生きる命たちは、この新たな世界に恋焦がれるかのようにして、次々と頭上で異形の生き物へと生まれ変わり、拡散していく。それは東屋や桟敷を構成する、珊瑚や魚の骨も同じであるようだった。少しずつ、珊瑚や魚の骨が頭上へと舞い上がり、新たな世界へと取り込まれはじめたからだ。

 潮時だ。役目は十分に果たした。

 そう感じて、私は慌てて東屋から飛び出し、欠け始めた桟敷を飛び越えて、砂浜へ降りた。

 空と海の婚礼は終盤を迎えていた。遠く、街のある方角から微かなどよめきが聞こえた。

 やっと気付いたの。でも、手遅れだよ。

 空でも海でもない、新たな世界を目の当たりにしながら、私は静かに呟いていた。

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