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雨はまだ降らない

 教室の窓から見える空は、薄く雲が覆う曇り空だった。
 自分の希望と友達のみうの勧めで高校に進学したものの、生まれつき欠陥だらけの私の身体はすぐに体調を崩していた。他の人に助けを求めたり、保健室に行ったりはしたくなかった。どうしようもない自分の事を同情されるのはまっぴらだった。だから身体が辛い時は、それをごまかすために窓から空を眺めていた。
 季節は春、まだやわらかな暖かさを残しつつも、少しずつ夏の湿気が感じられる日々。天気予報では近日中に梅雨入りだろう、と一際残念そうにキャスターが言っていた。

「ねえ美奈子、部活やらない?」

 ある日の昼休み、机に突っ伏しているとみうが唐突にそう言った。

「部活?なんで」

 みうは私の身体の事を知っている。昔からの幼馴染だからだ。あとは校長先生や一部の教員も。家族が事前に話してくれていた。正直余計なお世話、と思ったが有難かった。

「せっかく高校入ったんだし、なんか青春したいじゃん」

 みうは明るくて良い子で、少しロマンチストだ。高校に入ってから少し見た目は派手になったけど、根っこの部分は変わっていない。青春したいなんて、いかにもみうっぽい表現。
 私はと言えば、高校に入れただけでも奇跡なくらいなのに、これ以上何か望んだからばちが当たりそうだし、何より、青春というものにそんなに魅力を感じない性質だ。

「みうのそういうところ、ほんとかわいいよね」
「今アタシの事ばかにしたでしょ」
「してないしてない」

 午後は身体がけだるくなってしまい、自然と言葉も粘度を増す。同じ言い回しでもなんだか悪く聞こえるらしい。だって本当にかわいいと思ったんだもん。多少の悪意はあるけれど。

「で?やるなら何部にすんの?」

 私が聞くと、みうは一枚の紙を見せてきた。


放送部、入部希望者大歓迎!
あなたの声を学校中に届けよう!


 手作り感満載のチラシにはそう書いてあった。青春したいとかいうからてっきり運動系の部活かと思ったけど……とそこまで考えて、分かった。それだと私が入れないからか——こういう時、私はどうしようもなく自分が嫌いになってしまう。
 そんな気持ちを察知したのか、みうは机に突っ伏す私に目線を合わせて言った。

「別に美奈子のために決めたわけじゃないからね?アタシ、キャスターとかアナウンサーに憧れてたんだよねー。綺麗だしかっこいいじゃん?」

 そう話すみうの目は、まだ見ぬ未来の自分を想像しながらころころとその輝きを変えていく。みうの言っている事が嘘と言うわけではないのだろう事がわかった。

「まあ、みうには向いているんじゃない?声可愛いし、話すの上手いし」

 私はみうの声が好きだ。擦れた部分がなくて、聞いてて気持ちがいい。私の声は擦れ放題。だからきっとこれも一種の憧れなんだろう。

「アタシは美奈子の声のほうが好きだけどな。ハスキーでかっこいいじゃん」
「昔から咳のし過ぎで枯れているだけだよ、こんなの」
「その話し方も!なんか……場末のスナックのママって感じ。なんでも解決してくれそう」
「それ誉めてないでしょ」
「そんなことないって!」

 その後、授業のチャイムがなるまで、私はわずかな頭痛を感じながらも、みうの夏の日差しのようなまぶしい声色に耳を傾けていた。

 放課後、結局押し切られる形で放送部の部室まで連れてこられた。みうが少し緊張しながら重い防音扉を開けると、そこには既に二人の男子が椅子に座っていた。
 一人はがたいの良さそうな人。髪も短く切っていて如何にもスポーツしていますって感じ。この空間にいる事になんだか違和感があるくらいだ。
 もう一人は対照的に、細身で華奢なイメージ。私が言うのもなんだが、ちゃんとご飯食べているんだろうか?と思ってしまう。手には大きな茶封筒を持っている。
 二人は私達が入ってくると、一斉にこちらに視線を向けた。
「えっと、アタシ達放送部の見学に来たんですけど…」みうが気圧されながらもそういうと、ガタイの良い方の男子が、にかっと笑った。見た目に反してなんとも人懐っこい笑顔だ。

「あ、て事は1年?俺達も今日見学に来たんだ」
「じゃあ二人も同じ学年?」
「おう!俺は2組の桜木春人。こっちは同じ2組の北見雪洋って言うんだ」

 北見と呼ばれた男子は、立ち上がると小さくお辞儀をした。二人は正反対の雰囲気なのになんだか仲が良さそうに見えた。
「アタシは4組の夏川みう、よろしくね。でこっちが……」みうが私の方を見る、それと同時に男子もこちらに視線が向いた。多分強引に私を連れて来たから、みうもここで私を紹介していいのか悩んでしまったんだろう。そう思うなら連れて来なきゃいいのに…。

「同じ4組の雨宮美奈子です。よろしく」

 短くそういうと、みうはキラキラの笑顔に戻った。こういう素直なところ、やっぱりかわいいな。

「見学者ってこれだけ?」
「いや、もう一人女子が居るぜ。今顧問の先生呼んでくれてる」
「良かったー、女子アタシと美奈子だけじゃどうしようかと思った」

 みうは既に桜木と気兼ねなく話している。なんとなく二人の空気感が似ているから、気が合うのかもしれない。
ふと見ると、北見がこっちをじっと見ていた。私が視線を向けると、慌てて視線を逸らす。この部室に入ってから一言もしゃべっていない。人見知りなんだろうか。
そんな事を考えていると扉が開いて、女子が一人入ってきた。
「先生会議で少し遅れるから、先にこの資料配っておいてって……」そう言いかけて私と目が合った。少しゆったりした喋り方と相まって、なんともおっとりした雰囲気の子だ。

「あ、私達も今日見学で来たの。私は雨宮美奈子、であの子が夏川みう」
「そうなんだ。良かった、女子私ひとりじゃなくて。私栗原もみじって言います、よろしくね」

 柔らかく微笑むその顔を見てると、なんだかほっと安心する。良い奥さんになりそうだ。

 その後、栗原さんの持ってきた資料を皆で読んでいる内に、顧問の先生が来た。先生曰く、部員は今の3年生だけで、その先輩も受験で忙しいから、実質的な活動は私達がする事になるだろうと言われ、その場で入部希望書を書かされた。別に入部すると決めてきたわけじゃないけど、ここまで来たら流れに任せるべきか、と思い入部する事にした。
 そのまま桜木を中心に部活内での役割決めをした。

「やっぱ女子が放送したほうが人気出ると思うんだよね」
「わ、私は遠慮する。人前で話したりとか、すごく苦手で…」
「なら夏川とか良いんじゃねえ?声も良いし、聞きやすいし」
「ほんと!?もし良いならアタシパーソナリティーやってみたい!」
「雨子さんは?」
「雨子って私?私は…なんでも良いよ、余ったので」
「ええー、美奈子一緒にパーソナリティーやろうよ!」
「だから私は向いてないって…」
「僕は、良いと思う」

 不意に、部室の全員が声の主を見た。視線の先に居たのは北見だ。はじめて声を聞いた。少し冷たいけど、心地よい響きの声だ。

「雨宮さんの声、落ち着いててすごくかっこいいから、夏川さんと良いバランスだと思う」

 北見はそこまで言うと、また黙ってしまった。
「確かに、二人なら仲も良さそうだし、やりやすんじゃないかな?」栗原さんが北見の意見を引き継ぐ形でそう言った。
「じゃあ、北見はなにやるの?」私がそう聞くと、北見は持っていた封筒を私に差し出した。中には、たくさんの文字が書かれた数枚の紙に入っていた。

「それ、構成台本。こういうのはどうかなって思って書いてきたんだ」
「雪洋は小説書いてんだ」桜木が何故か偉そうにそう付け加えた。

 私は台本に視線を落とした。
 無口な北見からは想像もできないほど、そこには多くの言葉であふれていた。それらは一つ一つしっかり考え込まれていて、時に面白く、時にわかりやすく、様々な色に変化していく。こんな放送が校内で聞こえてきたら——きっと昼食の手を止め、思わず聞き入ってしまうだろう。

「どうかな、雨子さん」

 北見が不安そうに私の顔を見ている。

「あんたの書く文章、おもしろいね」

私は口数の少ないこの男子の頭の中をもっと見たいと思った。きっと彼の書く小説も、とても色鮮やかで様々な音色に彩られているんだろう。そんな彼の文章を、言葉を、もっともっと知りたくなった。
自然と口角が上がってしまう。これから作られる放送も楽しみに思っている自分に気がつく。
生まれつき欠陥だらけで、未来なんて望めない身体の私が、今初めて未来の楽しみで胸を躍らせている。
ああ、これが青春ってやつなのか?今の私にはまだよくわからない。

 季節は春、しとしとと雨音をさせながら、もうすぐ梅雨が来る。

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