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Little Snakeについて/において (前編) 「語られていないものを語る」第二回 (機械、音楽、環境)

「語られてないものを語る」第二回はLittle Snakeというアーティストについて、そのなかでも特に重要と思われるアルバム『YATDC』を中心に語っていこうと思う。

第一回の記事はこちらから。扱うアーティストこそ異なるが、テーマは一貫している。

引き続きキーワードとなるのが「機械、音楽、環境」である。つまり、対談相手は第一回と同じMarusanにお願いした。

 初雪緑茶(@AliceRyokutya)
この企画を思いついた人。音楽に関してのド素人っぷりが第二回にして完全に露呈した。何とかMarusanを「翻訳」しようと努めている。
 Studio Marusan. (@RyutaroKawamura)
初雪緑茶の友人で、音楽を作ったりプログラムを使ったアートを探究したりしている。しばしば緑茶に「マイナー」な音楽を教えている。

1.Little Snakeとは何者か?
ーー音楽における位置づけの問題

(是非このアルバムを聴きながら(聴いてから)読み進めていただければ。)

初雪:どう進めようか?

Marusan:僕としては前回のLarsが特異だったから、それを経験則にするにはいろいろと違ってくるというのがあるし・・・何が違うかって、Little Snakeは分かりやすくいろんな文脈に埋め込まれていて、それは音楽文化的な文脈もあるし、もうちょっとメタ的なプラットフォームの話とかもある。(私たちがやろうとしてるのは「〜について語る」というよりも「〜において語る」ことなので、)それが語ることのメインになってしまっても良いし。
とはいえ前回みたいに言語化するのは難しい。前回のLarsは機械というか楽器、実体的なものがあったから分かりやすいしある意味語りやすかったけど、Little Snakeは基本的にパソコンで作っているからブラックボックスというか、それこそエレクトロニック系のミュージシャンがMacBookを前にライブをやってて、よくわかんね~みたいのと同じ感じなので。音楽そのもの以外の情報が、ジャケとかタイトルとか、PVくらいしかない。

初雪:マテリアルがない、アナログさがないというか。それこそPC一台でもライブはできちゃうし、その見た目はほとんど同じという。

Marusan:エレクトロニック・ミュージシャンではそこに疑問を抱いて他の「もの」を導入しようとする人は多い。ライブ・コーディングは画面を見せるとか、あるいは「楽器」やフィジカルなコントローラーを導入するとか・・・安易だと思うけどね。
パソコンによる/における編集は一つテーマになってくるだろうね。

初雪:じゃあまずプロフィール的な側面だけれど。

Marusan:まずテキスト面は、レーベルのサイトやBandcampに載せてある紹介文やタグづけされているジャンル、electronicとかexperimental、trapとかね。タグとかジャンルに縛られる必要はないんだけど、やはり重要だと思っていて。それはミニマムな形での一つのエクリチュールというか、本人が書いているにしろ、レーベルの人が付けているにしろ、見方というかコンテクストがそこに見えるんだよね。
あと、Redditって知ってる?

初雪:いや、知らない。

Marusan:インターネット掲示板みたいなやつで、AMA(Ask Me Anything) っていうのがあってそれをLittle Snakeも立ててるんだけど、「hello, i am little snake, brainfeeder alumni, flylo and amon tobin collaborator, sound design nerd and worlds youngest billionaire.」って言ってて、ここで結構一般の人の質問とかに答えているんだよね。これが凄く参考になった。

初雪:いや~現代だね

Marusan:そう、今何か調べ物をするときに、TwitterとかInstagramとかに書かれたものが結構重要になっている、なってしまっている。本とか論文を読んでいても参考文献にTwitterが出てくることがある。それをTwitterとか遡って探すのは難しいし、そもそもTwitter自体はオーセンティック(確実な)ではないし。とはいえそういうものが結構情報源になった。

初雪:では改めて彼の紹介を。いつぐらいから活動しているのか、とか。

Marusan:そうだね、まず本名がGino Serpentiniで、Little Snakeという名前はここから来ているらしい。Serpentが蛇って意味なんだよね。

初雪:洒落てんな。というか、結構本名出す人なのね。

Marusan:Cournelius=小山田圭吾みたいなもんよね。ただ、その辺の文化がよくわからないんだよね、いきなり脱線になってしまうけど。例えばAphex Twinなんかは変名をいっぱい持っていて、インタヴューとかだとRichard D Jamesとして出てくるとかそういうこともあるんだけど・・・アーティスト名と本名の使い分けの文化というか、海外の人の拘りっていうのはよく分からないんだけどね。

初雪:日本はアーティスト名がある場合は本名は基本表には出さないよね。書いていいことがないというか、プライバシー的にもそうだし、そもそも何のためのペンネームなのかっていう。

Marusan:Facebookなんかにそういう意識の差は顕著に出ているよね。
まぁそれは置いておいて、生い立ちというか、とりあえず作品を見てみると、『Mental Wealth』が2017年にRenrakuっていうレーベルから出てて、でもLittle Snakeが一躍有名になったのはBrainfeederっていうレーベルにおいてじゃないかな。ヒップホップとかジャズとかエレクトロニックとかそれらを横断する重要なアーティストとしてFlying Lotusがいるけど、彼が主宰しているインディー・レコードレーベルがBrainfeederで、ロサンゼルスで活動している。二枚目の『ENTER』からはBrainfeederで出してるね。『Lonely Simulation』(2018年のEP)はLittle Snake個人が出してるからちょっと別だね。で、『LOST IN SPIRALS』が2019年に出て、『YATDC』が2020年、『A Fragmented Love Story, Written By The Infinite Helix Architect』が今年だね。

初雪:その、どのレーベルから出しているかは重要なの?

(・・・ここからしばらくレーベルについての話が続いたので省略するが、大まかにいうと、SonyやWarnerといった大きなレーベルは分からないが、少なくともBrainfeederも含めた中小の、あるいはインディーのレーベルなどにおいては、同じような音楽の精神を共有しているアーティストが集まっているだろうし、まただからこそキュレーション的な側面も備えているだろうし、そういう意味での「概念としてのレーベル」はある音楽について知る上で重要な要素の一つになりえるだろう、という話をした。)

Marusan:前回取り上げたLarsは個人で出しているけど、対してLittle SnakeはBrainfeederという色をもったレーベルに今は参加しているし、実際Flying Lotusは『A Fragmented Love Story...』(2021)に参加していたりする。
BrainfeederはLAを中心にしたレーベルだけど、Little Snakeは今はカナダにいるらしい・・・。

初雪:なるほど・・・次はジャンルについて?

Marusan:Bandcampを見ると、まずelectronicがあり、bass, experimental, idm, psychedelic electronic, trap とある。ベースミュージック・プロデューサーと書いてあるものもあったね。

初雪:ベースミュージックって何よ。ギターのベースは知ってるけど。

Marusan:ベースミュージックって僕はちゃんと掴めているか分からないけど・・・Little Snakeを何らかのジャンルに入れるなら、一番大きいのがエレクトロニックで次がベースミュージックじゃないかな。ベースミュージックっていう大きいジャンルがあるの。「EDM」みたいなもので、広大な音楽がそこに含まれている。もともとはUKベースっていうジャンルだったんだけど、他にもいろんなジャンルがあって、ドラムンベースとかガラージとかダブステップとか、トラップとか・・・それらが相互に影響し合いながらどんどん「脱領土化」していくというか・・・良くないな。

初雪:(ドゥルーズのジャーゴンをすぐ使うのは)良くないねぇ。

Marusan:いや、よくなくないけどね。これは本当に大事で、加速主義的に次々とジャンルが生まれては消えていくこと。これは敢えて古い言い方をするけどコンピューター・ミュージックだから起こることで、コンピュータ上で一元的に扱ったり操作できる情報(MIDI、オーディオ、サンプル...)が引用されて組み替えられて、次々と新たなファッション/モードが生まれていく。そういう相互干渉をしつつ、リゾーム状に絡み合いつつ、今までになかったものが生み出されていくその流れを総称するためにベースミュージックという名前が使われているという考え方もできると思う。

初雪:なーるほどね。

Marusan:ビートというかベース音とか、低音が効いたトラックがメインの領土にはなると思うんだけど。それがポピュラーな(商業的な)形で表れているのがEDMだと思うんだよね。そしてLittle Snakeは少なくともそれに対する「アングラ」、experimental(実験的)な位置にいると思う。

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(↑Little Snake自身が、Twitter上でこのような図を載せていた。彼自身かなり"EXPERIMENTAL"であることを自覚しているようだ。)

初雪:一つ思ってんだけど、Larsみたいな音楽というのを思い浮かべるのは難しいけど、Little Snakeみたいな音楽というものは無くはないのだろうね、こういったジャンルの位置づけを聞いた限り。

Marusan:そうだと思うよ。
ただ、僕はベースミュージックをそんなに深堀しているわけではないし、ベースミュージックのプロデューサーでもないし、DJとかでもないけど、別に嫌いでもないし、なんというかな・・・でもベースミュージックには独特な、アングラな雰囲気だったりチャラい(怖い、ガラが悪い?)感じ(イメージ)がありがちなように個人的には思ってて、だから初雪がLittle Snakeをすんなり受け入れたのは意外というか、興味深くはあった。

初雪:うーん、ただ一つあるのは、こういったジャンルの話を聞いていても、それがLittle Snakeの音楽に俺の中で全然結びつかないんだよね。Little Snakeはやっぱり特異だとは思う。特に『YATDC』・・・最初に聴いたわけだけど、さすがに特異だったと思う。まず、うるさいじゃん。うるささそのものの気持ちよさというか音楽以前の純粋な音としての刺激。あとは、「切断」されているよね、急に止まったり発進したり・・・あとこれはLittle Snakeを勧められた直後に送った感想だったけれど、普通の音楽は個々の音が集まることで一つの音楽として統合されたものとして認識されるんだけど、Little Snakeは細部のフレーズには音楽としての纏まりがあるんだけど、全体の曲になるとバラバラになる、この辺りが私の第一印象なんだよね。

Marusan:僕が最初に聴いたのは『LOST IN SPIRALS』(2019)だったけど、僕もLittle Snakeが凄いアーティストであることを認識したのは『YATDC』だったし、僕個人の感想としてはこれは特異だと思う・・・ここまでこうしてジャンルについて話してきたけど、それは、「こんな風に記事で取り上げているけどもしかしたらLittle Snakeはそんなに特異ではないかもしれない...」という「恐れ」があるからで。ジャンルやレーベルといった文脈に位置づけるのは、「一応知ってるよ」(その上で取り上げるよ)、という、無批判的な称揚ではないことを示す身振りというかパフォーマンスとして受け取ってほしい。結局「マイナー」なものを扱っている以上、この記事を読むのもいろいろ知っているマイナーな人であると思っているので。(このことは音楽を探したりする時にも役に立つ...。)

初雪:それは結構難しい問題だけどね。個人的には(私を含む)特に音楽に明るいわけではない人に「マイナー」が届いてしまう、という状況を作り出したいわけで。

Marusan:もちろん、こうして音楽における既存のジャンルについて語ってはいるけど、僕はLittle Snakeの音楽は新しい、現代的な価値があるものだと思ったし、それは『YATDC』に強く表れている。この『YATDC』を取り上げるというのにはそれなりに意味があると思っていて・・・Little Snakeが一定の長さを持ったアルバムとしてリリースした初めての作品だし。
サイトの説明文などを読むと、「『YATDC』はEP、LP、またその間のどんなものにも当てはまらない」、と言われている。ただLittle Snakeの発言、よくわからないんだよね。括弧付きの「哲学的」というか。Redditでは結構ちゃんと質問に答えてたけどね。

“YATDC does not fit into the category of an EP, an LP, or anything in between. YATDC is a message, delivered to you by omnipresent entities that have appeared in your skies for some time, via Little Snake as a vessel. It is something you have known for a long time, and you will soon return to it. Although you could not be told this directly, and even when you have deciphered it in full, words cannot fathom it. Through the centre point of every force and motion within this message, you will find the truth..."
(Little Snakeによる『YATDC』の説明。Bandcampより。)

初雪:はぐらかす感じなのね。まぁアーティストはそういう人多いけどね、平沢進のTwitterとか。

Marusan:アルバムのタイトルとかもよくわからないじゃん。

(・・・様々なタイプの「よく分からないタイトル」——例えばAphex TwinやVaporwave、あるいはryoji ikedaなどにおけるそれ——についての話は割愛)


2.Little Snakeの音楽を聴く
——断絶からのフロー

Marusan:曲名がよくわからないし、一曲一曲が長いんだよね。これはベースミュージックの中ではそこまで一般的ではないんじゃないかな。まあ、単純に長いだけでなく一曲としての纏まりがないんだよね、いや違うかもしれないけど(後述)。

初雪:違うの?

Marusan:あくまでパッと聴きでは、(曲を)覚えられないんだよね、これが重要だと思う。

初雪:本当に「音楽を聴く」というより、「音を体験する」ことに近いと思うんだよね。

Marusan:そうね、音のフローに身を委ねるというか・・・僕はこれかなり戦争に近いんじゃないかと考えているんだよね。

初雪:戦争⁉

Marusan:戦争の映像とかを見ると、すごく断続的に銃声とかが鳴り響いていて、放心状態になりそうになるんだけど、それぐらい断絶があるし、激しいし、そういう戦争的なものを僕は感じた。

初雪:戦争という形容は適切かどうかは別として、的確だと思う。

Marusan:まあ、僕はLittle Snakeの音楽を一言で言い表すなら、(ドゥルーズの)「時間イメージ」だと思うんだよね、音そのものが現前していく。ただ、僕は(ドゥルーズの『シネマ』における時間イメージを)ちゃんと理解できていないから、示唆するに留めるんだけども。

ドゥルーズはインタヴューにおいて、「時間イメージ」をこのように語っている。

「ひとりの人物が、日常的であれ異常なものであれ、とにかくあらゆる行動を、超えてしまう、あるいはその人物としては反応しようがない、そんな状況に置かれたと仮定してみましょう。どうにもならない、あるいは苦しすぎる、美しすぎる......。このような状況では感覚と運動のつながりが断ち切られてしまいます。そのとき人物は感覚運動的状況をはなれ、純粋に光学的かつ音声的な状況に置かれる。」(『記号と事件』p.108 河出文庫)

初雪:一方でLittle Snakeはしっかりと音階もあるんだよね。個人的にそこが「YATDC」においてとても重要で、ただ断絶しているのではなくて、それこそ数秒間だけを切り抜くととても綺麗な音階が鳴っていたりするわけだよね。

Marusan:そこは考えなくちゃいけなくて。音階という言い方が面白いね。Little Snakeの音楽ってテクスチャー的で、和声的な要素や旋律的な要素、特にエモーショナルなそれはない。ないっていうか、音階的な要素はなくはないけど・・・例えばLittle Snakeはすごくピアノのリフレインを使うんだよね。クラシック音楽からの引用「風」みたいな。でもそのリフレインをクラシック音楽的に発展させていくのではなく、どんどん加速させたり減速させたりエフェクトかけてぐちゃぐちゃにしたりピッチを落としたり・・・だから素材なんだよね。音色としての、ピアノというか

初雪:でも、じゃあ全てが素材なのか?という。素材を加工して配列させただけなのか。

Marusan:併置っていうのがキーワードになってくるというか、すぐ思い浮かぶと思うんだよね。実際このアルバムの説明にもjuxtapose(併置すること)という言葉が出てきて、「......juxtapose space, texture, melody, tempo and rhythm......」って書いてあるけど、そういったいろんな要素が上がってくるというか、その都度断絶的に脈絡もなく表れてくるという。でも断絶感という言葉は適切じゃないと思うんだよね。急にブツッと切れる感じはしない。むしろ、ある種DJ的な驚くほどのスムーズさで、いつの間にかアルバムを聴き通している。
さっき一つの曲としての纏まりがないということを半分否定しながら言ったけど、一曲目の最初で出てきたピアノフレーズ、後半でも出てきたりするんだよね。他にもアルバム全体で繰り返し出てくるような要素もあると思うけど・・・

Marusan:これは前回も言った「リトルネロ」が明らかに関係してくる。聞きなじみというか、ロブ=グリエの『覗くひと』に出てきた八の字みたいな、向こうでも八の字が出てきてこっちでも出てくる、みたいな既視感というか、「重なりとズレ」みたいな。ロブ=グリエの小説も流れていると思うんだよね、断絶はあるんだけど流れて纏まるという、それに似ている気がする。

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初雪:『覗くひと』を出してきたから言及するけど、もちろん小説のなかで時間は流れているんだよね。特に『覗くひと』はロブ=グリエの偏執的ともいえる幾何学的な描写で時間が引き延ばされたような感覚を覚える。だから読み手の時間は作中の時間が流れるという意味とは全く違う形で流れている、それこそ読むという行為によって。でもLittle Snakeというか音楽(という作品が時間の長さで区切られているメディア)は、作品と聴き手の時間の流れは否応なしに同期する。そこの違いは結構あるな、と。音楽と時間を同期しないためにはそれこそ加工しなければならないよね。

Marusan:それはどうなんだろう?メディアの違いでしかないんじゃない?

初雪:もちろん。でもアナロジーとして用いるならそこは気にしなきゃいけなくない?

(補足:ここでMarusanは音楽においても小説においても共通する記号的・象徴的なものとして「流れ」という言葉を用いているが、初雪は小説においては読む時間は非本質的であるのに対し、音楽は時間そのものであり、時間こそが本質的であるといったうえで、両者をアナロジーとして用いていることに注意を促している。)

Marusan:そうだね、音楽は受動的だから・・・これは一般的な話だけど僕は音楽の受動性が好きなんだよね。これは僕の音楽思想にも繋がってくるんだけど、「マキシマル・ミュージック」ということを音楽を作る際に考えていて。この言葉は佐々木敦も使っていた気がするけど、ここでは別の意味で用いている。
「マキシマル」というのは要するに、要素があまりに多いというか、「要素が複雑にフローすることで最早聞き流すことしかできない、という意味でのアンビエント・ミュージック」。この要素とこの要素がこう絡み合っているという意味での和声とか、テーマとかハーモニー的な重なり合いを追いながら聴くことができない。もちろん繰り返し出てくる要素自体はあるけれど、それも「あ、ここで出てくるのか」という感じで、茫然と聴くことしかできないという意味でのマキシマル・ミュージック・・・あるいはモーメント・ミュージックという言い方もするけど、それがLittle Snakeでは達成されいるように思う。

休憩、次回予告

初雪:「いや~遠いね。これ記事にして伝わるかなぁ?」

Marusan:「たぶんLittle Snakeみたいな記事になるよ笑」

こんな会話をしながら行った対談だが、ここまで読んでくださった方には感謝しかないです。後半では引き続きLittle Snakeのもつ「うるささ」から音と音楽を分かつものは何か、ということや「作曲」の普遍化などについて語っていく予定なので乞うご期待!

近日中にアップする予定なので、フォローなどしていただければ。いいねやSNSなどで共有していただけると、とても嬉しいです!

文責:初雪緑茶 対談:Studio Marusan.、初雪緑茶

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