見出し画像

5. ひとり来て駅名標の蝉時雨

建築のゴシック様式は華やかだが、お世話になっているフォントのゴシック体はシンプルである。理由はよくわからないらしい。そんなところから書き始めていく。

5. ひとり来て駅名標の蝉時雨
 
 書体にもゴシック体があるのはご存知の通りである。文字のタテとヨコが同じ太さで作られていてわかりやすい書体である。ただ、ゴシックという装飾性のある建築デザインから見ると、その書体のシンプルさは不思議な感じがする。名前と言葉の持つイメージが一致しないのである。ヨーロッパではゴシック体というとブラックレターを代表とするいくつかの書体を意味するのであるが、いずれも装飾性のある書体なのである。ブラックレターはヨハネス・グーテンベルクが1455年に発行した『グーテンベルク聖書』に使われたのが始めと言われ、文字に髭のような飾りがついている。そもそもゴシックという言葉は、ローマ帝国に侵入したゲルマン系ゴート族の文化を嫌ったローマ帝国が、過剰な装飾などを「洗練されていない」「野蛮な」というニュアンスを含めて「ゴート族の」という意味のゴシックという言葉を使ったことから始まっているという。いわゆる装飾のない書体という意味ではサンセリフという書体が日本のゴシック体に当たるのである。
 
 後藤吉郎らの論文『William Gambleとゴシック体』には、1816年のイギリスの活字見本帳に初めてサンセリフの書体が現れており、1837年のアメリカのBoston Type and Stereotype Foundryという書体の見本帳にはサンセリフの書体がゴシックという呼称で掲載されていると述べられている。また、アメリカのWilliam Gambleという印刷技術者が、1858年にアメリカの活字見本帳を持って中国にわたり、そのあと日本にも滞在してアメリカの活字見本帳を伝えたと書かれているので、アメリカの呼称であるゴシック体が日本に伝わったということになる。それにしても1816年から1837年の21年間のアメリカでのサンセリフからゴシックへの呼称変化の理由は不明である。サンセリフをオルタナティブ・ゴシックと呼んだ時期があってこの長い名前が省略されてゴシックという名前が残ったなど諸説あるようだが、はっきりしたことはわからない。いずれにしろアメリカの活字鋳造機の発達と近代的な活字デザイナーたちの活躍は、サンセリフをゴシック体として供給し、山本政幸らの論文『アメリカ活字鋳造会社の設立とゴシック体活字の発達』の言葉を借りれば「広告と新聞という二十世紀の情報メディアにふさわしい洗練された活字書体」としてゴシック体を育て上げていったのである。

 明朝体に比べて「視認性」に優れているゴシック体は、鉄道文字にも使われている。中西あきこの『駅の文字、電車の文字』を見ると、
 「書体は、1960年(昭和35年)に日本国有鉄道掲示規定の施行によって登場した『すみ丸角ゴシック体』だ。特徴は端部にある隅の丸みである。」
 と、書いている。プラットホームの駅名標は、旅番組や鉄道ミステリーの映画やテレビドラマなどでもお馴染みである。プラットホームの屋根から吊られて電照形式になっているものをよく目にするが、ローカル線の駅には白塗りの二本の木材に木の板がついたものがある。そこには駅名がひらがなと漢字・アルファベットで書かれ、下の方には隣の二つの駅の名前も書いてある。屋根を支える柱に付いていて、駅名をひらがなで縦書きした可愛らしいものもある。ずいぶん昔、夜汽車に乗って停車した冬の駅、乗降客もなくもの寂しい灯りだけのプラットホーム、ガタンという列車の音、時おり耳に届くピーという音、水滴のついた車窓を手で拭いてしみじみと駅名標を眺めるのも旅情を誘うものであった。

 1974年(昭和47年)の映画『砂の器』で、丹波哲郎扮する警視庁の今西刑事が島根県亀嵩を訪ねる場面がある。途中の鳥取駅で新聞を買うシーン、宍道駅で木次線乗り換えの電車を待っているシーン、二つのシーンではプラットホームの屋根から吊られた金属フレームとアクリル製の駅名標が写され、今西刑事のいる場所を明示する。一方、亀嵩の駅は山に囲まれた長閑で小さな駅。駅名標は白塗りの二本の木材に木の板がついたものである。随分遠くに来たということが伝わってくる。夏の暑い盛り、今西刑事が亀嵩駅のプラットホームで昔ながらの木製駅名標を見つめるシーン、鉄錆色がかったプラットホームの上に立つ今西刑事と駅名標を少し離れて写したあと、カメラが次第に寄って古ぼけた木製の駅名標が画面に大写しになる。白地に黒字の「かめだけ」というすみ丸角ゴシック体が目に焼き付く。主人公の育った旧い日本社会の空気を暗示するかのようなシーンである。松本清張が原作を読売新聞に連載を始めたのが1960年だから、清張が亀嵩を訪れた頃は手書きの筆文字だったかもしれない。

●後藤吉郎・石川重遠・山本政幸『William Gambleとゴシック体:W.ギャンブルの活字分類用語とゴシック体の由来についての考察』日本デザイン学会研究発表大会概要集 2010年
●山本政幸・石川重遠・後藤吉郎『アメリカ活字鋳造会社の設立とゴシック体活字の発達』日本デザイン学会研究発表大会概要集 2009年
●中西あきこ『駅の文字、電車の文字 鉄道文字の源流をたずねる』鉄道ジャーナル社 2018年・・・同『されど鉄道文字 駅名標から広がる世界』鉄道ジャーナル 2016年には、明治の「客車終着駅名札」の規定にはじまって、筆文字から丸コシック体、そしてすみ丸角ゴシック体に至る経緯が、綿密な取材によって記されている。
●映画『砂の器』原作:松本清張 監督:野村芳太郎 配給:松竹 1974年・・・ストーリーもさることながら、日本の美しい四季の中を旅する親子の現実という「映像」、忌まわしく捨てたい過去があればこそ作曲できた宿命という「音楽」。心を揺さぶられる映画だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?