見出し画像

【アサクリ】教会比較:オールド・ミンスター【ヴァルハラ】

ゲーム「アサシンクリード ヴァルハラ」に出てくる教会の内、
自分が実際に行ったことのあるウィンチェスター (Winchester) およびウェアラム (Wareham) の教会について、シロウトの雑感とメモをテキトーにだらだらと書きたいと思います。

まずはウィンチェスターオールド・ミンスターから。

2021年10月19日にディスカバリー・ツアー (観光モード) が公開される予定ですので、きちんとした歴史ネタはそちらなどをご覧いただければと思いますが、とりあえず「解答集」が出る前に自分がニマニマした所をメモしておきたかったので...。

【!注意!】ゲーム後半のネタバレを含みます。
筆者のアサクリのプレイ経験は「無印」と「ヴァルハラ」のみです。
※ 他の記事と重複する部分もあるかと思いますが、これはサビです。
※固有名詞などが日本語版と微妙に異なる場合があります。
note の引用機能 (この注意欄のような色付き背景) を注釈/コメントに使っています。

画像33


♰ 前説:ウィンチェスターのミンスター、大聖堂、修道院の概要

画像54

▲現在のウィンチェスター大聖堂の内部。

【基本情報など】
ゲーム上の街「ウィンチェスター」(Wincestre、現在の Winchester) は、ゲームの舞台となっている 9世紀後半 (AD 872年~) 当時のウェセックス王国の首都 (※1) です。
で、当時実際に建っていた通称「オールド・ミンスター (Old Minster)」(※2)が、街の中心の教会として再現されています。最高です。名前を見るだけで興奮します。(※個人の感想です)

※1: 街自体は古代ローマ属州時代から「Venta Belgarum」の名で存在。ゲーム内でも Hidden Ones Bureau (隠れし者達の「ヴェンタ・ベルガラム支部」) の名称に使われている。
871年アルフレッドの王位継承時あたりにウェセックス王国の「首都」になったようですが、7世紀にウィンチェスターに司教座が移された以降を起点とする例もあり、そもそも当時、特定の「首都」があったかどうかも含めて、色々な見方があるようです。とは言え、便宜的に「むかしの首都/ old capital」 (京都/奈良的な) として扱われていることが多いです。

※2: 教会そのものの歴史は 7世紀頃から。(後述)

画像34

一方、ゲーム上のウィンチェスターには他にも

ナン・ミンスター (「修道女の大聖堂」/ Nun's Minster) や
聖ピーター教会 (「聖ペテロの教会」/ St Peter's Church)
▶ オールド・ミンスターの南の教会 (アッサーがいた所)

がありますが、
これらはゲームの舞台となる 870年代当時は (多分) まだ存在していないか、ここまで立派ではなかったのではと愚考します。 (※3) 。

※3: 「ナン・ミンスター」は25~30年後くらいに建つのですが、「聖ペテロの教会」とアッサーのいた教会は、自分のような浅~いアルフレッド王信者には「これ何??」状態でした。後述。


【ウィンチェスター (実際) の主な教会と時系列】

アルフレッド王の治世 (AD 871~899年頃):
・オールド・ミンスター(既設) のみ (?) (小さい教会は幾つかあった?)

◆アルフレッド死後の数年 (899~902年頃):
・ニュー・ミンスター新設 (オールド・ミンスターの真横)
・ナン・ミンスター (ナナミンスター/聖マリア修道院) 新設

サクソン時代後期 (10世紀~11世紀初期?)
ミンスター以外にも小さい教会が色々。例えば;
・西門の脇に聖パウロ教会 (St Paul) および墓地
・聖パウロ教会とニューミンスターの中間あたりに、聖ペテロ教会 (St Peter. 下記「16世紀~」も参照)
▶上記2つの教会が合体してゲーム上の「聖ペテロの教会」に?

・オールドミンスターの西側に聖ジョージ (ゲオルギウス) 教会? これがゲーム内でアッサーのいた教会のモデル?
(▶ このウィンチェスター考古学協会の動画の 8:25~の地図に言及あり)
または、位置が異なりますが、聖スウィザン・アポン・キングスケート教会 (下記) が該当?

【素人の雑感】
これらの教会は、(自分が読み飛ばしているだけだと思いますが) アルフレッド王関連の書籍などではあまり言及されることが無いので、まだ建っていないか、地図と同じくゲーム的にアレンジしたものかも。
(というのは素人の感想なので、普通に当時からがっつり建ってたらすみません。)

ノルマン征服後 (1066年~):
ウィンチェスター大聖堂 (現存) 新設 (工期 1079~1093年頃)
・オールド・ミンスター解体 (~1093年)
・市外にハイド・アビー新設、ニュー・ミンスター解体 (1109~1110年頃)

16世紀~:
・ヘンリー8世の宗教改革 (修道院解体) 後、隠れローマ・カトリック教徒が闇活動を続け、18世紀に後の (現在の) 「聖ペテロのカソリック教会 (St Peter's Catholic Church)」を設立。『英国宗教改革後に初めて聖別を受けたカトリック教会』となる。
 20世紀初頭に現在の建物に建て替えし、現存。
▶この現存する教会 (下写真) が、サクソン後期の聖パウロ、聖ペテロ教会と合わせてゲーム上の聖ペテロ教会のベースでは、と思いますが、未確認。

画像60

◆参考 (13世紀?~) :
聖スウィザン・アポン・キングスゲート教会 (St Swithun-upon-Kingsgate Church) 設立。現在のウィンチェスター大聖堂の南にある「キングス・ゲート (King's Gate)」の上に所在。(下写真、右側が入り口)
→ ゲーム上のアッサーがいた教会のモデルのひとつ?
【メモ】
「キングス・ゲート」はゲーム上のウィンチェスターの「南大門 ("Great Southern Gate")」に対応?
※実際は「キングス・ゲート」とは別に、もう少し西側に「南門」があった。

画像62


10世紀以降のウィンチェスターには他にも色々な細かい教会がありますが、代表的なもの&「アサクリ ヴァルハラ」関連 (上記太字) はこのへんで。

以下、オールド・ミンスター~ウィンチェスター大聖堂について。


♰ オールド・ミンスター (The Old Minster)

画像41

【概要】
◆ウィンチェスターに 7世紀 (650~660年頃) に成立。

◆当時のウェセックス王 ケンワル(フ)王 (キェンワル, チェンワルフ, etc / Cenwalh, Coinwalch, Coenwalh, Kenwal etc) が創設した事になっていますが、設立の経緯と年についての当時の文書が残っておらず、諸説あるようです。

◆後に聖スウィザン (A.D. 800年頃生~863年没) が (も) 祀られたため「聖スウィザン (St Swithun) の教会」とも言われるようになりますが、ゲーム上の870年代当時はまだ (創設時と同じく) 聖ペテロ&聖パウロ (SS Peter & Paul) がメインの教会のはず。

◆当時はオールドもニューもない(※ニュー・ミンスターが存在しない)ので、単に「聖ペテロとパウロ」の「教会/ cirice」や「ミンスター/ mynster, minstre」(教会/大聖堂) などと呼ばれていたのではないかと思われますが、未確認。
※「アングロ・サクソン年代記 (Anglo-Saxon Chronicle)」643年(A本) には「ケンワルフ王(下記)がウィンチェスターに教会 (ciricean on Wintunceastre) を建てさせた」と表記されている。

オールド・ミンスター内に転がっている、ケンワルフ王等に関するメモ (※4)

画像40
メモ和訳(仮):
歴史雑感:…そしてウェセックスのケンワルフはその忌むべき原罪を贖うべく、この偉大なミンスターを建てた。彼の父は敬虔かつ信心深かったが、彼(ケンワルフ)は神の御業から頬を背け、間もなくその地上の王国を失った。
さて、主の家(ミンスター)は、クーム・ダウンのウーライトで建てた。その徳の建設的な行いのすばらしさにより、主教は、神のみ言葉を聞くにより良きと、ここにその主教座を移した」

ここに書かれている内容の大元のネタは ベーダ (ビード/ Bede) の『英国民教会史/ Ecclesiastical History of the English People』あたり。
【参考文献】
下記、和訳と英訳で記述箇所が異なりますが;
和訳: 高橋博 訳 (2008)、講談社学術文庫 (第 3巻, 5章)
英訳: A. M. Sellar 訳 (1902)、Project Gutenberg (Book 3, Ch. VII)
※英訳はもっと新しい解釈の物が出ていますが、すぐに読める 1902年のものを参考までに。

*4:メモの内容について:
▶ケンワルフ王は、先にキリスト教に改宗済みの父・キュネギルス (Cynegils) と異なり、当初は土着~北欧移民系の信仰からの改宗を拒んでいたが、政治的理由でウェセックスから国外逃亡した先のイースト・アングリアで、アンナ王 (King Anna) に感化されて改宗し、オールド・ミンスターを建てたりした。「アングロサクソン年代記」上の「教会の建設を命じた」年は、写本により 641年 ~ 648年の間でバラつきあり。(A本は 643年)
クーム・ダウン (Combe Down) で採掘されるウーライト (オーライト/ oolite)、日本語で魚卵状石灰岩 (鮞状石灰岩/ oolitic limestone) 、通称バース・ストーン (Bath Stone)は、バース (Bath) 周辺の建物によく使われている石灰石。
 Combe Down はバース近郊の村で、ウィンチェスターからは北西に (現在の道路で) 約 100km。なお、11世紀のウィンチェスター大聖堂の石は、ウィンチェスターの南のワイト島から運んだ石灰岩。
司教座 (seat of bishop, episcopal see/ 教区の中心) は、キュネギルス王時代はドチェスター・オン・テムズ (Dorchester-on-Thames) にあったのを、660年頃にケンワルフ王が (勝手に) 分割し、ウィンチェスターに移したっぽい。
 オールド・ミンスターのあたりには、7世紀以前にも教会か何かがあった記述 (2世紀のルキウス王 [King Lucius] 関連の伝説など) も見かけますが、石造りの聖ペテロ&パウロの教会 (cirice) を建てた648/650年頃~、または ウィニ (Wini/ Wine) を司教とした 660年頃をミンスターの設立年としている事が多いようです。(このへんも諸説・諸解釈あり)


【レイアウト/外観】

▼ゲーム内のオールド・ミンスター (Old Minster)の正面外観。

レイアウトは結構実際のものに寄せてあると思いますが、外装や内装、時代など、ゲーム的にうまくアレンジしてあります。
また、現在のウィンチェスター大聖堂 (ノルマン時代以降の後継教会) への目配せらしき部分もあります。
ともあれ、ゲーム内で初めて見た時はむちゃくちゃ感動しました
オールドミンスターだよおっかさん!!

画像9

(参考) 現在のウィンチェスター大聖堂の正面。(2018年)

画像61

▼ 現在のウィンチェスター大聖堂の脇 (北側=正面に向かって左側) に位置する オールド・ミンスターの敷地跡
わかりやすくレンガと説明パネルでレイアウトが示されていました。2011年撮影。

画像3
画像20

ゲーム内のオールド・ミンスターを俯瞰したところ (右側が正面)。
ゲームプレイ上の都合と思しきアレンジもあり、そっくりそのままではありませんが、袖廊 (Transept) やアプスの位置など似ています。(※5)
滾ります

画像9

※5: 上記のレイアウト図は後年 (9~10世紀) の最終形態
ゲームの舞台である 870年代には 1番奥 (左) の左右 (南北) に張り出したアプス (Apses) などはまだ無く、中央部分も屋外スペースで、863年に死去したスウィザン司教の墓があったはず。

▼ 実際のオールド・ミンスター (最終形態) の予想図
(ウィンチェスター大聖堂の資料より © Winchester Cathedral )。

画像14

▼ゲーム内オールド・ミンスター、俯瞰と側面。予想図とよく似てます!

画像20
画像19

【雑感】
個人的にオールド・ミンスターは、上記の予想図のような、もっと構造/装飾がシンプルで (イラストのスタイルはともかく)、ポーランドの Tum Collegiate Church (Church of St. Mary and St. Alexius) あたりの教会を模したような建物のイメージを漠然と持っていたので、ゲームプレイで見た時の感想は「ディ、ディテールが豪華~~!! 」でした。
実際にはこのくらい豪華だったかも知れないのですが、自分自身ではそこまで想像できていなかったので、目から鱗でした。知識と想像力の結集...!!

【参考】Collegiate Church of St. Mary and St. Alexius in Tum,
Photo by Chrumps, CC BY-SA 4.0 via Wikimedia Commons

画像14


【ウィンチェスター大聖堂との比較】

これ以降は、現在のウィンチェスター大聖堂と比較しながら書いていきます。
オールド・ミンスターとウィンチェスター大聖堂は位置・時代的にも様式的にも別の建物ですが、現存する大聖堂に行った事のある人がニコニコする目配せが色々あると思います。

【参考】Google Street View で大聖堂の内部が見れます


◆正面広場の十字架と階段

ゲーム内のオールド・ミンスターの前の広場には、でっかい石のハイ・クロス (high cross, standing cross) と、その横手に階段状のスペース (天幕の見える部分) がありますが...

画像41
画像18
画像22

現在のウィンチェスター大聖堂の前にも (形状と時代は異なりますが) こんな感じで十字架のモニュメントと階段があります。

▼ わかりづらいですが、手前に建っているのが石柱の十字架です。

画像25

これは1921年に建てられた第一次世界大戦の戦没者追悼碑 (の一部) で、かなり新しい物ですし、
ハイ・クロス自体は中世初期のブリテン島嶼の教会に見られるもので、ゲーム内でも他の教会や、あちこちにあるので、単なる偶然かもですが...
それでも 真正面のこの位置に建っているというのは、それなりに意識して似せたのではと思いますが、どうでしょうか。

▼ もう少し見やすい写真 (Wikimedia Commonsより)
Photo by Chris Talbot / Winchester - War Memorial / CC BY-SA 2.0

画像19

また、階段状の部分 (ゲーム内) については、ローマ時代の遺跡を利用した広場のような形になっており、
実際にローマ時代 (1~5世紀) にはオールド・ミンスターのすぐ北側 (ゲーム上では西側) に広いフォルム (forum/ フォーラム、公会広場) があったらしいので、そのへんの考証もシブいですし、
それに加えて現在の大聖堂の前の景色とも重なり、色々と最高です。 (※6)

※6:【参考:ローマ属州の名残り】
このフォルム (forum) だけでなく、「アサクリ:ヴァルハラ」のイングランドの風景は、全体的にローマ時代の遺跡がまだかなり残っているという設定になっていますが、実際にウィンチェスター周辺でもローマ時代の礎石やモザイクなどが発見されています。
ウィンチェスターの西に約 8km のスパーショルト村 (Sparsholt) の近くでローマ時代のヴィラが発掘され、その 4世紀のモザイクウィンチェスター市博物館に展示されています。また、ヴィラそのものを再現した建物も、少し離れていますが屋外展示博物館 Butser Ancient Farm にあるようです。


◆身廊、袖廊&アプス、タイル、壁画、ステンドグラス

▶身廊 (Nave)、袖廊 (Transepts)、アプス (Apses)

▼ 以下3枚、ゲーム内の「オールド・ミンスター」の、正面の入り口 (西側) から見た身廊 (Nave) と、入り口側を振り返ったところ。
時代的にアーチが丸いロマネスク様式。多分。

画像23
画像24

ゲーム内のステンドグラスは、使いまわし素材の聖母マリア像か何かの模様のステンドグラスが嵌め込まれています。

画像42

▼ こちらは現在のウィンチェスター大聖堂の身廊。入り口 (西側) から見た&振り返った写真。(2011/2018年)
ゴシック様式がナウい時代の建物 (一部ロマネスク様式) なので、オールドミンスターと比較すると、両側のアーチが尖ってます。※身廊部分は14~15世紀に改修

画像26
画像26

様式も規模も異なりますが、「オールド・ミンスター」の椅子の並び方など、ウィンチェスター大聖堂を彷彿とさせて大変興奮しました。

【参考】袖廊は11世紀のロマネスク様式なので、丸アーチ。

画像57

▼ 以下はゲーム内のミンスター東端の南アプス (south apse)と南袖廊 (south transept)。(北アプスと北袖廊もあるが入れない)
前掲のレイアウト図にあるものを再現しており、それぞれ、礼拝堂 (チャペル)と、間仕切り (スクリーン) (※7) のある書庫になっています。

画像49
画像48

▼ で、こちらはウィンチェスター大聖堂内のチャペル (教会内の小さな礼拝堂) のひとつ、北袖廊 (North Transept) にあるエピファニー・チャペル (Epiphany Chapel)。
大聖堂内の他のチャペル同様、エントランス・スクリーン (入り口の間仕切り) があります。
組み合わせは違いますが、上記のゲーム内の袖廊にあるスクリーンを見てニヤニヤするのは、こういうところです!(※知識の浅い個人の感想です)

画像29

【余談】自分が2018年に行った時は多分まだ工事中だったと思うのですが、現在は袖廊の中二階 (?) あたりなどに「Kings & Scribes: The Birth of a Nation (王と書記:国家の誕生)」というプロジェクトのカッチョイイ展示室が完成しているはずです。うおおおお

※7: 「間仕切り/スクリーン」のメモというか:
教会内の間仕切りは機能によって「chancel screen (内陣仕切り)」、「rood screen (十字架の仕切り)」(=上部にキリスト磔刑像などがあるもの)、「choir screen (聖歌隊の仕切り)」、「entrance screen (礼拝堂の入り口の仕切り)」などとも呼ばれているようですが、
ウィンチェスター大聖堂の主祭壇 (high alter) の背後にはグレート・スクリーン (Great Screen) とも呼ばれる石造りのレレドス (リエドス/ reredos) がそびえています。
で、ここにはキリストを中心に聖人や歴代の王が刻まれていますが、当然アルフレッド王もいます!!! 
ヴィクトリア時代に修復したせいか、アルフレッド王ファンクラブ名誉会長 (概念) のヴィクトリア女王と向かい合ってます!!! (参考 PDF [英語]) [2023年追記:リンク切れ、Wayback Machine取得分はこちら]

【素人コメント】「アサクリ:ヴァルハラ」の英語版では、十字架を「rood / ルード」と言っている場面があり、当時の言い回し (古英語では rōd ) っぽい感じを出していて大変よいと思いました...。

グレート・スクリーンのアルフレッド王の位置。

画像29

▶東端アプス (East-end Apse)

1番奥 (東端) も、前掲の最終レイアウトと少し異なりますが、アプスが再現されてます。むしろこの部分だけ870年代頃の実際に近いかも。
※ 最終的 (992年頃~) には東端に四角いクリプトが増築された。

画像60


▶床のタイル (floor tiles)

▼ ゲーム中のオールド・ミンスターの入り口~祭壇までの足元を見ると、こういう模様のタイルがあります。これもむちゃくちゃ感動しました

画像30

というのも、ウィンチェスター大聖堂にも、似たような 13世紀のタイルが残っているからなのです!!

現ウィンチェスター大聖堂への目配せでありつつ、
また、(自分はお恥ずかしながら最近知ったのですが) オールド・ミンスターからも装飾的な床タイルが発掘されてるようです。(※6)
こういう細かい小ネタを入れてくるのは素晴らしいですね。最高です。

※6:オールド・ミンスターのタイルは 10世紀になってからのもので、装飾ももう少しデコボコして、釉薬多めですが、ウィンチェスター大聖堂のタイルの前駆的なデザインです。

▼ ウィンチェスター大聖堂の床タイル。実際にタイルがあるのは入り口付近ではなく、もっと奥の方で、模様も様々です。
手元の写真はあまり似たのが写ってないのですが...

画像43
画像51

▼ もう少しわかりやすい写真。
Photos (this and this) by Tony Hisgett via Wikimedia Commons/ CC BY 2.0.

画像37
画像38

▼ このタイルは ゲーム上の「神学校/ Seminary (※7) にもあります。こちらの方が見やすいので、参考画像。
 完全な再現ではないですし、ゲーム内のウィンチェスター以外の場所にも使われていますので、もしかしたらシリーズの過去作からの使いまわしデータかもですが、なんとなく実物に似た雰囲気があります。滾ります。

画像31

※7: この「神学校」は位置的に、
ピルグリムズ・スクール (Pilgrims' School):1931年設立のプレップスクール。7世紀頃からウィンチェスターの教会の男児コーラス隊を育成していたいくつかの学校の流れを汲むとされる。
または、
ウィンチェスター・カレッジ (Winchester College):14世紀創立の超名門男子寄宿学校のひとつ。
... への目配せもあるんじゃないかと思うのですが、割愛。

【余談】 イギリスでは夏季に Heritage Open Days という歴史体験イベントが各地で行われるようですが、
ウィンチェスターのオープン・デイズではこのタイルのレプリカを作るワークショップもあるようです。楽しそう。(感想)


▶ 壁画 (Wall Paintings)

ゲーム内の教会の壁や天井には、フレスコっぽい壁画が描かれていることが多いのですが、実際に 16世紀の宗教改革以前の教会は、地方の小さな教会などでもこういった壁画でみっしり装飾されている事が多かったようで、実際に古い壁画が残っている教会が現存しています。

で、勿論、ウィンチェスター大聖堂にも12世紀の壁画 (フレスコ画) が残っています!!!!

▼ ゲーム内のオールド・ミンスターの祭壇 (alter) を見上げたところ。
色々な写本などから取った絵を組み合わせて、壁画データにしているようです。

画像55

▼ 実際のウィンチェスター大聖堂の12世紀のフレスコ画。天井の構造 (グローイン・ヴォールト/ groin vault?) など、似せてきているように思います。最高です

画像54

なおここは、北袖廊にある「Holy Sepulchre Chapel (聖墳墓チャペル)」という小部屋で、長らく 13世紀の壁画が描かれていたのですが、1963年の修復時に、その下にあった 12世紀の壁画が再発見されたそうです。
どちらにしても大聖堂の初期のもので、滾りますね。
( 参考) 全体像などを解説したページ (英語)

【参考】ゲーム内に使われている写本や壁画の元ネタについて、少し書きました。


▶ ステンドグラス (Stained glass)

これは比較というより、ウィンチェスター大聖堂の必見巡礼ポイント

▼ 前述のように、ゲーム上の教会正面のステンドグラスはこんな感じ。

画像55

(参考) 別の建物ですが、ステンドグラスの模様。

画像56

▼ で、現在のウィンチェスター大聖堂の正面入り口の上 (西窓) にも当然ステンドグラスがあります。でかいです。

画像27

元々は 14世紀に造られ、普通に天使や聖人などが描かれていましたが、17世紀のイギリス内戦 (清教徒革命) 時に割られてコナゴナに
その後、カケラを拾い集めた住人達が持ち寄ってつなぎ合わせた、パッチワーク状のステンドグラスになっています。
これも大きな見どころではあるんですが、それよりも...

▼ その向かって左、出口の上にも小ぶりのステンドグラスがあり、こちらにはアルフレッド王がいます

画像28
画像29

2018年の訪問時には お土産ショップでミニレプリカも売っており、ちょうど他の人が買っていた (!) ので対抗心を燃やして購入を検討したのですが、お値段 (£27) の割に近くで見るとイマヒトツだったので、断念しました...。うーん.... (未練)。

あとは 1番奥 (東端) の「レディ・チャペル (Lady Chapel)」にある別のステンドグラスにも、アルフレッド王がチラっといます。是非礼拝してください
(下段、左から2番目の枠にいる王様)

画像45
画像45


とりあえず「オールド・ミンスター」の滾りポイントは以上です。


♰【補足】「オールド・ミンスター」から「大聖堂」までの流れ

前後・重複しますが、オールド・ミンスターからウィンチェスター大聖堂にいたる経緯の補足など。

前述のように、「オールド・ミンスター」の設立の詳細は諸説あるようですが、
歴史的には、ケンワルフ王がウィンチェスターに司教座を創設し、最初の「ウィンチェスター司教」として ウィニ (ヴィネ/ Wini, Wine/ Vini etc.) を任命した A.D. 660年あたりには、聖ペテロと聖パウロ (St Peter and St Paul) を祀る教会として既に存在していたようです。 (Bede's EHE, Book III Chap. VII)。

▼ Martin Biddle 著「The Search for Winchester’s Anglo-Saxon Minsters」(Simon Hayfield 装画) に、650年頃の初期の (後の) オールド・ミンスターの予想図が載っています。当時のサクソン建築としては珍しい石造りの教会でしたが、まだこじんまりした建屋です。
(Ebookあり、サンプルPDFあり。図案が多く、おすすめ。)

上記のMartin Biddles先生 (中世考古学のえらい人) の本によると、(後の) オールド・ミンスターは、ウェセックスにキリスト教を布教したビリヌス (Birinus、649/650年死去) の『伝道メンバーがまだ存命だった頃、つまり 649/650年前後またはそのすぐ後あたりに設立されたのでは』(拙訳) と予想しています。

その後、ウィニ司教が結構すぐにクビになったりしつつ、
エセルウルフ王 (アルフレッドの父王) の時代になり、852~863年の第18代ウィンチェスター司教としてスウィザン先生 (Swithun) が登場。
後に、ウィンチェスター大聖堂の守護聖人となり、「ウィンチェスターと言えば、聖スウィザンの聖地!」的な巡礼スポットの目玉に仕立てられる。

ともあれ、我らがウェセックス国王 アルフレッド王の時代には、
ウェセックス王国の首都・ウィンチェスターにある中心的な教会として、ブイブイ (多分) いわせてたはずですが (※8)
アルフレッド王は更に中年~晩年あたり (?) に「新しい教会を建てたい!で、そこに埋葬されたい!」と計画し、土地を購入したりしていたものの、完成を見る事なく 899年に死去
とりあえずオールド・ミンスターに埋葬されました。

※8: 当時はカンタベリー大聖堂のあるケント王国もウェセックス王国の一部として統合されており、イングランドのキリスト教の総本山は何と言ってもカンタベリーなのですが、
ケント統合以前からのゲウィセ~ウェセックス王国のメイン教会としてはウィンチェスターのオールド&ニュー・ミンスターの存在も大きいようです。

その後、アルフレッド王の息子であり王位を継承したエドワード長兄王が遺志を継ぎ、通称「ニュー・ミンスター」を完成

ニュー・ミンスターはオールド・ミンスターの更に北側 (正面を見て左側) に位置し、お互いの祈り/歌が混ざり合って聞こえたほど隣接して並んで建っていたようです。

▼ウィンチェスター大聖堂の案内板から。左がニュー、右がオールド。1000年頃。

画像54

▼現在のウィンチェスター大聖堂を、オールド&ニュー・ミンスターがあった北側 (側面) から眺めたところ。

画像59

ニュー・ミンスター完成後、アルフレッド王は オールド・ミンスターからニュー・ミンスターに改葬され
902年頃に亡くなった妻のエアルスウィスもニュー・ミンスターに埋葬されました。

(※10世紀のニュー・ミンスターのあれこれについては省略しますが、同時にオールド・ミンスターもどんどん増築。ゲーム上のオールド・ミンスターのような立派な建物になったのはこの頃。)

で、1066年にノルマン支配が始まると、この由緒ある「ミンスター」(※特定のエラい大聖堂につける敬称みたいなもの) のあたりに、ノルマンの威光を示すためにノルマン式の大聖堂に建てたるで!ということで
1079年に現在のウィンチェスター大聖堂の新築工事を開始。

1093年にウィンチェスター大聖堂が正式に聖別 (※竣工式) され、しばらくして聖スウィザンの祭壇も移設されると、すかさずオールド・ミンスターの解体工事が開始され、翌年には解体完了

また、サクソン時代には威容を誇っていたニュー・ミンスターも、1065年頃の火災、ノルマン政権下の一部敷地接収 (王宮用)、ノルマン式の大聖堂の新築....などによりボロボロになっていき、衛生状態も悪化

最終的にニュー・ミンスターの僧侶たちは1109年頃にヘンリー 1世 (Henry I) によって市外 (北門の外) のハイド・アビーへの移転を命令され、
ニュー・ミンスターの建物自体も取り壊されたようです (1110年頃)。

ハイド・アビーの跡地のモニュメント。

画像56

その後もウィンチェスター大聖堂は、由緒ある教会のひとつとして、様々な歴史上の出来事の舞台となりましたが、
アルフレッド王と「アサクリ ヴァルハラ」的にはこのへんで。


♰ 埋葬されている人達

◆ 蛇足ですが、ウィンチェスター大聖堂の内陣の上に乗っかっている6個の遺骸箱 (mortuary chests) に入っているとされている人達:

・キュネギルス王 (ケンワルフ王の父)
・ケンワルフ王 (「オールド・ミンスターの創設者」)
・エグバート王 (アルフレッド王の祖父)
・エセルウルフ王 (アルフレッド王の父)
・クヌート王
・クヌートの妻、エマ王妃、
・ウィリアム2世 (ウィリアム征服王の息子「ルーファス (Rufus/ The Red)」)

画像55
画像54

◆ジェーン・オースティンの墓
観光の目玉のひとつ。ここに埋葬されるためにあれこれコネを使った。
最後の住まいも大聖堂の近くにあります。

画像59
画像58


♰ 「ザ・クラウン」の中のウィンチェスター大聖堂

Netflixのドラマ「ザ・クラウン」(The Crown) にウィンチェスター大聖堂がたま~に出てくるので、ついでに。

▼ 「黙示録の四騎士」扱いされる教会ラスボス四天王のひとり (※最弱ではない)、ウィンチェスター大司教。(S1E10)

画像45
画像46
画像47
画像48

▼ ウィンストン・チャーチルの葬儀のシーン (S3E1)。
実際のチャーチルの葬儀はセント・ポール大聖堂で行われたので、カテドラル・ダブル役。1日ほぼ貸し切りで撮っていたそうです。

画像54
画像54
画像55

2020年の11月頃にも別の葬儀シーンを撮影していたようですが、まだ配信されていないようです。

おわり。

もしお気に召しましたらチャリ銭などいただけますと、諸作業が捗ります!