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【アサクリ】 ゲーム内の写本その他画像のメモ【ヴァルハラ】

Ubisoft社のゲーム「アサシンクリード:ヴァルハラ」に使われている (実際の) 写本などの元ネタを、今更ですがメモ。
【改訂2021/8/30】壁画の元ネタを1件追加。

【お断り】
・一部の、元ネタが解った物のみ掲載しています。
英語版でプレイしています。うっかりすると日本語版と表記がズレます。
・アサクリシリーズの経験は「無印 (1作目)」と「ヴァルハラ」のみです。
写本についても素人です。浅学ゆえの過誤はご容赦・ご指摘いただければ幸いです。

【!注意!】ややネタバレあり【!注意!】


◆ メモ用紙に使われている「ダロウの書」

▼ゲーム内のあちこちにこんな感じの紙っ切れ (羊皮紙) が転がっており、

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読んでみると手紙だったり、伝言だったり、日記だったり、歴史関連ネタだったりで、面白いんですが、
写本っぽい画像がサムネイル的に使われているのが遠目でもわかります。

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▲これはアルフレッド王からのお手紙!!!

で、「フォトモード」でズームしてみると

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▼ 装飾写本「ダロウの書 (Book of Durrow)」の一葉でした。
(画像はWikimedia Commonsより)

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【ダロウの書】 [Book of Durrow]
7世紀後半に制作された、福音書 (gospel) の装飾写本
おそらくアイルランドのダロウ (Durrow, Offaly) 周辺で制作された (諸説あり) と推定されていますが、ともあれ 11世紀にはダロウ修道院 (Durrow Abbey) にあったため、この名が付いたようです。
ウルガタ (聖書用ラテン語の一種/ Vulgate) で書かれており、書体はインシュラー体 (Insular script)。
特徴的で美しい装飾は、ローマ軍撤退後 (7世紀頃~) にアイルランド (「ヒベルニア」)とイングランド南部 (サクソン人の地域) との交流で生まれた「ヒベルノ・サクソン」様式 (”Insular art" とも)。
現在はダブリン大学のトリニティ・カレッジ (TCD) の図書館に収蔵 (参照コード TCD MS 57)。

▼TCD図書館サイトで概要スライドが見られます (英語)

【ゲーム内のダロウ】
2021年5月に追加された新クエスト「ドルイドの怒り (Wrath of Druids)」はアイルランドが舞台なので、ダロウ (場所) も登場し、ダロウ修道院らしき教会も建っています。

「ダロウの書」本体は出てきませんでしたが、ゲームの舞台は9世紀なので、所在を保留してあるのかも。
というか、ここでも大事なダロウの書がメモ用紙になっていたので、まだバラバラな状態だったということでしょうか???
▼写真はフラン・シナ王の会議室

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▼ 現在の実際のダロウ修道院 (敷地) にある、聖コロンバ教会/ St Columba's Church)。これは 19世紀頃に建てられたもの。
(写真: Dalenevada for Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0)
保全関係が権利者や予算の絡みでゴタゴタしているようです。

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ゲーム内のダロウの修道院/教会。
実際のダロウ修道院の教会同様、横に墓場があります。

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それにしても、庶民が貴重な羊皮紙を惜しげもなく使ってますね!贅沢!

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▲パパが居なくなってしまったことを暗示させる子供の落書き。
他にも、当時のイングランドの戦乱や疫病などで厳しい世情が、このような手紙やミニイベントで小ネタ的に描かれています。切ない。
なおこの絵は、コンセプトデザインチームの Pierre Raveneau さんの5歳の娘さんが描いたものだそうです。味わい深い。(Pierreさんのアサクリ関連アートは、ArtStationにもあります)


◆ 書物の「ユニウス(Junius)写本」

ページトップ画像にもありますが、(1枚の紙っ切れではない) 両開きの製本された書物には、上記の「ダロウの書」と並んで、建物のような画像 (左ページ側) が使われていることがあります。

▼例:「知識の書/ Book of Knowledge」というアイテム。

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これは、ユニウス写本 (Junius Manuscript) の中の 1ページです。

▼「創世記」のノアの方舟の場面っぽいです。ゴージャス方舟。

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© Bodleian Libraries, University of Oxford

【ユニウス写本】 [Junius Manuscript]
聖書を題材にした古英語詩の本。「ベーオウルフ」等と並ぶ重要な古英語文学のひとつ。挿絵も多め。この写本自体は11世紀 (A.D. 1000) のもので、詩の作者は不明 (※)
 内容はざっくり「創世記」「出エジプト記」「ダニエル書」、および「キリストとサタン」の4部構成。

(※) 以前は 7世紀の詩人、ケドモン (Cædmon/ カドモン, カドマン) の作品だと思われていたため、ケドモン写本 (Cædmon Manuscript) とも呼ばれていましたが、近年は、恐らくケドモンのスタイルを真似た後年の詩人達 (ケドモン派) の手によるもの、と推察されています。
そのため最近は、17世紀にこの写本をアイルランドの司教から入手し、校訂本を出版した後にオクスフォード大学に寄贈した フランシスクス・ユニウス (Franciscus Junius (younger), aka François du Jon/ ジュニアス, ジュニウス, ユーニウス・デュ・ヨン, etc) の名前を冠して呼ばれているようです。

オクスフォード大学ボードリアン図書館に収蔵。
▶「デジタル・ボードリアン」で原本画像を見る事ができます。(当該の画像は66ページ目) (参照コード MS. Junius 11)

ケドモンとユニウス写本の解説については、市販の和書だと
アングロ・サクソン文学史:韻文編」(唐澤一友・著。「散文編」と混同注意) が詳しいかと思います。
新品は現在入手が難しいようですが、一応書籍情報:

つまり、この (ゲーム内の) 書物は、
右ページは7世紀頃のラテン語福音書
左ページは11世紀頃の古英語聖書ポエム、という、アンソロジー的な構成になっております。

で、ゲーム内では、主人公のエイヴォルさん(ノルウェイ人)がこの「知識の書」を読んで、タコ殴り技やタヌキ寝入り技など、新たな攻撃能力 (?) を得たりするのですが、
アルフレッド王もラテン語の習得は成人してからなのに、なかなか博識です。
流石、世界を股にかける総合商社集団・ヴァイキング。

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◆「聖ケネルム」のポスター

これはツイッターの相互フォロワーさんに教えて頂いて判明したんですが(なとリウムさん、有難うございます!)

この肖像画が、教会や民家に時々転がってまして、

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殉教した王様の聖人信仰みたいな感じかな、ゲーム内の時代的に聖エドマンド信仰がもう始まってるんかな (King's Buryにもあったので)、それにしてはちょっと早すぎる気がするし、絵のスタイルが微妙に見覚えがあるけれど少し後の時代っぽいし、それらしく作った架空の画像かな...?
... などと、無知すぎる半可通ぶり丸出しで 特定できずにいたのですが、

あっさり、聖ケネルム (St Kenelm, Cynehelm)でした。お恥ずかしい...。
ゲーム内のグロチェスタシャー篇でも取り上げられています。

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▲ 元画像は 13世紀聖オルバンズ修道院の修道僧 マシュー・パリス (Matthew Paris) が著した歴史書Abbreviatio compendiosa chronicorum Anglie (Abbreviatio chronicorum)」(イングランド年代記抄) から。

大英図書館のビューワーで該当ページを見られます
(Cotton MS Claudius D VI f. 7r)  © The British Library Board

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左上→右下:オズウィン王、エグバート王、オッファ王、聖ケネルム。
▶ こちらに簡単な解説ページ (英語)。
当ページの下部にも、各王とマシュー・パリス、聖オルバンズ修道院との絡みについて等、捕捉説明しました。

【聖ケネルム】[Saint Kenelm/ Cynehelm]
マーシア王 コェンウルフ (Coenwulf, Cenwulf, Kenulf, Kenwulph/ ケンウルフ, etc、在位 796~821年) の息子
 後年 (12世紀頃~) の「伝説」によれば、父王の死後、後継争いにより 7歳で殺されたとされる。
首謀者は姉のクウェンスリス (Cwenthryth/ Quendryda) 説 (※) など。
命日 (聖人祝日) は 7月17日。
 前日にその危機を予知夢に見たり、地面に刺したトネリコ (Ash) の杖がたちまち根付いて花を咲かせたり、死後にハトがローマの聖ピエトロ大聖堂に現れてその死を報せた、などの奇蹟により、殉教者として列聖されたらしい。
 当時のマーシアの主要都市の一つであったウィンチコムの同名の修道院 (Winchcomb Abbey, 現在は消失) に埋葬された。
 12世紀頃には聖ケネルム参りは巡礼人気ランキングNo.1 みたいな様子だったらしい。

ケネルム信仰についての記録は、現存文書では 12世紀以降の物が多いようですが、10世紀後半に ヨーク司教オズワルド (Oswald of Worcester) がウィンチコム修道院を再建した際に殉教者として祀られ、フランス (フルーリー修道院/ Fleury Abby) あたりにも伝えていたようです。
ゲーム内のように 9世紀に既に至る所にケネルムのB1判ポスターが転がっていたのかは謎ですが、信仰が始まっていた可能性はゼロではない...!!

(※) 実際は少なくとも20代半ばくらいまで (811年頃まで?) 生きていたようです。
伝承上、「謀殺」したのは女王の座を狙う姉説のほかに、コェンウルフ王の兄弟 (おそらく弟=ケネルムの叔父) であり 821年頃に実際に王位を継いだチェオルウルフ 1世 (Ceolwulf I) に帰する説もあるようですが、一次資料未確認。
(注:尚このチェオルウルフは、アサクリ上のマーシアに出てくる チェオルウルフ 2世 (Ceolwulf II) とは別です、念の為。)

なお、姉クウェンスリスは、ドラマ「ヴァイキングス~海の覇者たち」(S2E8~S4) では オッファ王の娘 (!)、クウェンスリス王女 (Kwenthrith) として出てきます。あいかわらず時系列・家系無視の大胆な構成がスゴい。
(画像・字幕はNetflixより)

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ゲーム内のグロチェスターシャーにある聖ケネルム (St Kenhelm) 像。
少年の姿で、シンボルであるハトとトネリコの杖を持っています。
(ケネルム信仰の総本山のウィンチコム修道院は、現在のグロスターの北東あたりに位置。)

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▼ この像のモデルと思われる、ロムズリー村の聖ケネルム教会 (St Kenelm's Church, Romsley) にあるケネルム像。 1919年頃の作。
伝承の一つに、ケネルム王子はロムズリー村の近くのクレスト・ヒル (Clent Hill) のあたりで殺されて放置されていた、というのがある。
© Copyright P L Chadwick (CC BY-SA 2.0)

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ゲーム内のグロチェスターにある「聖ケネルムの教会」 (St Kenhelm's Church) にも当然、ケネルムのポスターと木像。

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【雑感】
実際のグロスターに7世紀頃からあった現在のグロスター大聖堂 (Gloucester Cathedral) は、「聖ペテロの教会」だったようなので、この聖ケネルム教会との絡みが気になりますが、未確認です。


◆アルフレッド王の帆

書物ではありませんが、上記の聖ケネルムと同じ、マシュー・パリスの「Abbreviatio compendiosa chronicorum Anglieからもう1点。

ゲーム内に「ハースウェル/ Hearthweru」(※)パックという課金装備アイテムがあり、これが「アングロサクソン万歳\(^o^)/アルフレッド王万歳\(^o^)/」っぽい内容になっており、サクソン民 (仮想) としては入手必須なのですが、
(※"Hearth-weru" は 炉辺を守る者=戦士、の意味らしい)

その中で、ヴァイキング船の帆が マシュー・パリスの描いたアルフレッド王をベースにデザインされています。

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▼ ゲーム内で使用されている姿。(船首像もアルフレッド王です!)

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パリス画伯のアルフレッド王

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前述の聖ケネルムのページの次ページ、丁度裏側 (左下)に描かれています。
大英図書館のビューワの該当箇所
(Cotton MS Claudius D VI f. 7v) © The British Library Board

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単に名前だけでなく「Alfredus primus coronatus」("Alfred the first crown") とあります。ふへへ。いいですね。
ゲーム内のアルフレッド王よりヒゲが立派ですが、カール気味の長髪や衣装などに、ゲーム内アルフレッドのデザインのヒントがあるような気もします。

▼ゲーム内アルフレッド王の衣装。悪役っぽい顔をしてます。

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▶ パリス画伯のアルフレッド像も載っている大英図書館の記事 (英語)
(概要:アルフレッドは「グレート」だが、孫のアセルスタンとどっちがグレートかな?)



【参考:上掲ページ内の他の王様】
左上:エドマンド殉教王
。ゲーム内でもイーストアングリアはエドマンド殉教王の聖地っぽく描かれています。シンボルである矢を握ってますね。大興奮。(筆者はエドマンド殉教王の信者でもあります)
右上:アルフレッドの長男のエドガー長兄王 (Edgar the Elder)。彼自身はゲーム内には出てきませんが、ミニイベントに出てくるアルフレッド王の娘・エセルフレド (Aethelflaed)の弟です。ゲーム上の時系列的に、多分もう生まれているはず。
右下:アルフレッドの孫でイングランドを (デイン支配地域も含めて) 統一した、アセルスタン王


◆サーガの巻物に使われている「エッダ」

ゲーム内の収集アイテムのひとつ「リグのサーガ (Rigsogur)」や、同じくアイルランド篇 (ドルイドの怒り) で集める「アイルランド神話サイクル (Irish Cycles)」の巻物が、このような姿です。

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▼下からのアップ。ペンダント・シール (印章) がぶら下がってます。

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この巻物には、古ノルド詩や伝承等を集めた書物アンソロ「エッダ」の画像が使われています。

外側は、「スノッリのエッダ (散文のエッダ、新エッダ)/ Snorri's Edda, Prose Edda, Younger Edda」の18世紀の写本の表紙。
アイスランド国立博物館/図書館収蔵。
写本データベース Handrit.is の該当ページ(ÍB 299 4to, 58r)
▶全体はこちらから (英語)
(画像は Wikimedia Commons より)

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本文の元画像は、「王の写本 (Codex Regius)」と呼ばれる 13世紀の「古エッダ (Sæmundar Edda/ Poetic Edda, )」の写本から。

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▼ 大元の写本はかなり古びて、彩色も薄れています。

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アルニ (アウルトニ)・マグヌッソン研究所 (The Árni Magnússon Institute for Icelandic Studies) 所蔵。
写本データベースhandrit.is の該当ページ (GKS 2365 4to, 33v)
▶全体はこちらから (アイスランド語多め)

▼ で、こちらは、1889年初版の本「Nordische Fahrten - Island und die Faröer」に掲載された写真を大英図書館がスキャンしてアップしている画像の1枚。※ 彩色は後付けと思われます。

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(画像はWikimedia Commonsから)

なおこのページには、古エッダの中の『シグルズの歌断片/ Brot af Sigurðarkviðu』と『シグルズの短い歌/ Sigurðarkviða hin skamma)』のそれぞれ一部が書かれているようです。

【余談というか】
上記 2点の画像を挙げましたが、ゲームに使われている画像は、きれいにゴミ取り&傾き/色調補正した複製っぽいので、もしかしたらAlamyあたりから取ったのではと思うのですが、
(大英図書館の白黒+一部彩色した画像をレタッチしたストックフォト職人がいたのでは...と推測)

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複数アップされている中で、「古エッダの現存する最古の手書き写本の、1910年のファクシミリ!」はともかく、

14世紀の『王の写本』の散文エッダ!」というのもあり、紛らわしい。


◆「ケルズの書」のカバー:リンダウ福音書

アイルランドのクエストに出てくる「ケルズの書 (Book of Kells)」。
「ケルズの書」も「ダロウの書」と並んで有名な美しいインシュラー様式の装飾写本ですが、ゲーム内ではこんな姿。

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現在の実際のケルズの書には、こんな豪華なカバーは付いていない (アルスター年代記によると 1007年頃に盗まれた) ので、当時の姿は不明ですが、
ゲーム上では見映えを考えて、リンダウ福音書 ( Lindau Gospel) あたりをベースにしたようです。

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【リンダウ福音書】
8世紀頃からいくつかの時代・場所を経てヨーロッパで作成・装飾が施された福音書。17世紀頃にリンダウ修道院 (リンダウは現在のドイツ・バイエルン南端の街) にあったのでこの名前が付いた。
ゴージャスな表紙は、 9世紀後半 (880年頃) にフランク王国でシャルル禿頭王の元で作成。裏表紙、本文など、それぞれ作成場所が推定されていますが、複雑っぽいので割愛。
現在はニューヨークのモルガン・ライブラリーに収蔵。

【ケルズの書】[Book of Kells]
6世紀後半~9世紀頃に、ブリテン島嶼 (イングランド、スコットランド、アイルランド) のどこかで作成。
最終的にケルズ修道院が長らく所有していた後、現在は「ダロウの書」と同じくダブリン大学トリニティ・カレッジ (TCD) に収蔵。

デジタル・コレクション TCD MS 58

ケルズ修道院はゲーム内にも出てきますが、山賊の巣になっていました。「盗まれた『ケルズの書』を取り返す」というクエストもあり、上記の1007年の盗難を彷彿とさせます。
※実際の1007年の盗難時は、2か月後に、草や土をかぶせて隠した状態で見つかったようです。

また、ゲーム内のアイルランド篇のイラストに、ケルズの書のイラストをモチーフにしたものがあります。

▼ゲームに搭乗するキャラクターが「ケルズの書」のスタイルで描かれている画面と、そのキャラクター参考。

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▼こちらは「ケルズの書」の、参考にしたと思われるページ。

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◆ 修道僧の腰のヘブライ語「詩篇 (Psalm)」

ゲーム内の修道僧が時々、腰に携帯祈祷書っぽい物を下げてます。

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13~16世紀頃のガードル・ブック (Girdle book) とも違う感じで、基礎知識がなさすぎて実際の用例がわかりませんが、ポーチのように丸くなっているのも面白いです。(円形やハート形の時祷書は時々ある)

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ともあれ、ヘブライ語らしき言葉が書いてあります。

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これらは、左上・メイン部分ともに、それぞれ旧約聖書「詩篇 (Psalm)」の一節が書かれています。

メイン部 (下部):詩篇 51の10節 (12節) (Psalm 51:10)
ヘブライ語テキスト (右→左読み)

לֵ֣ב טָ֖הוֹר בְּרָא־לִ֣י
אֱלֹהִ֑ים וְר֥וּחַ נָ֜כ֗וֹן
חַדֵּ֥שׁ בְּקִרְבִּֽי

というかこの市販のカードのコピペっぽい気もしますが。
(中間に小さくヘブライ語で「詩篇 51:10 (12?) (תהילים נ"א:יב)」と書いてあるのも使ってあるので)

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日本語訳の例 (新共同訳 [1993年] ※51:12節)

神よ、わたしの内に清い心を創造し、
(わたしの内に) 新しい、正しい霊を与えて下さい。

▶左上:詩篇 3篇 8節 (9節) (Psalm 3:8) 。
ヘブライ語テキスト (右→左読み)

 ;לַיהוָה הַיְשׁוּעָה
עַל-עַמְּךָ בִרְכָתֶךָ סֶּלָה

日本語訳の例 (新共同訳 [1993年] ※ 3:9節)

救いは主のもとにあります。
あなたの祝福が、あなたの民の上にありますように。[セラ※]

※「セラ/ Selah/ סלה」は休止符の役割をする語のようです。
これもこのカードからっぽい気が。

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【雑感】
この時代のイングランド南部の修道僧は、アルフレッド王によると、度重なるデイン人襲来により「ハンバー川以南にはラテン語が解るものが 1人もいない」と愚痴られてるくらい学問が後退していたようですが (※)、ラテン語へ翻訳する前のヘブライ語は理解していたということでしょうか。
単に装飾として使っているだけとか...。英字新聞のラッピングペーパーみたいな。
(※) さすがにカンタベリーの人達は読めるはずなので、おそらく誇張。こういう所から、アルフレッド王の鼻につくインテリっぷりが伺い知れて、いいですね!!!!


◆ フルケの腰の書物(未確認)

オリジナルキャラクターのひとり "パラディン" フルケ (The Instrument) も腰から大黒帳みたいなのを下げてますが、未確認。
言動から死海文書あたりかと思いましたが、探せていません。

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◆ その他の文書 (未確認)

ゲーム内の文書に用いられている画像は他にも幾つかあるのですが、書体が後世のものっぽく、自分には見当もつかないので、とりあえず画像だけ並べておきます。

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◆ 壁画に使用されている写本など (一部)

文書ではないのですが、ゲーム内の教会の壁や天井にも、フレスコっぽい壁画が描かれています。

実際に、16世紀の英国宗教改革以前あたりの教会はこういった聖書などの場面を描いた壁画でみっしり装飾されている事が多かったようで、当時の壁画・天井がが残っている古い教会もあります。

ただ、ゲーム内の画像は、見覚えのある絵も微妙に元の絵と異なるので、色々組み合わせてアレンジしてあるようです。

バイユー・タペストリーから。
上部はハロルド王の戴冠式の場面、
下部はウィリアム征服王がバイユー司教ウード、モータン伯ロバートに囲まれている場面ですが、背景や顔つきにアレンジが見えます。
ともあれ、ハロルドvsウィリアム、近い。一触即発。

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画像: Wikimedia Commons

▼ これも「ガルバ・ソルター/Galba Psalter」(9世紀) にあるキリスト昇天図 ( Cotton MS Galba A XVIII, f. 120v) をベースにしているものの、
キリストの顔立ちや左下の人物部分 (下記) にアレンジがあります。

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▼ 左下でホルンを吹いている人物は、「ヴェスパシアン・ソルター/ Vespasian Psalter」(8世紀) のダビデ王の楽士の1人 (Cotton MS Vespasian A I, f 30v) を使用。

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© The British Library Board

▼ ゲーム上のカンタベリー大聖堂の一部。
下部中央やや左あたりに、12世紀の「聖オルバンズ・ソルター (St Albans Psalter)」の三賢者 (Magi) が旅する場面を使用。
(参考: ゲッティ博物館の解説ページ (英語) )
その左にはヨークシャーのイーズビーにある聖アガサ教会の壁画 (13世紀) に描かれた天使を添えてあります。

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▼ヒルデスハイム大聖堂図書館 (Dombibliothek Hildesheim) 所蔵の「St Albanes Psalter」から、 ベツレヘムの星に導かれて旅する東方の三賢者。

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▼イーズビーの聖アガサ教会 (St Agatha's Church, Easby) のフレスコ画。右下の天使が使われている。(画像:Wikimedia Commons)

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▼アダムとイブの図。これも写本ではなく、西サセックスのハーダムにある聖ボトルフ教会 (St Botolph’s Church, Hardham) に描かれているアダムとイブの壁画から。

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▼実際の壁画。(Wikimedia Commonsより)
Chris Gunns / Hardham Church interior, Adam and Eve / CC BY-SA 2.0

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ゲーム内画像。これは「最後の審判」の図。玉座のキリスト (Christ in Majesty) を天使が支え、十二使徒が囲んでいる様子。

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元ネタ。西サセックスのクレイトン (ブライトンの北) のセント・ジョン・ザ・バプティスト教会 (St John the Baptist's Church, Clayton) にある壁画。
左右の壁にも「最後の審判」の場面が描かれている。11世紀後半~12世紀
写真 via Wikimedia Commons

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▶ こちらのBlog記事 (英語) にも詳しいです

▼その他、特定できてませんが、いくつか並べておきます。

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【参考:古い壁画のある教会を紹介している本/インスタ】
イギリスの小さな教会」(大澤麻衣・著、2012年 書肆侃侃房) の中に、古い壁画のある小さな教会がいくつか紹介されており、上記の聖アガサ教会や聖ボトルフ教会、また、ゲーム内にも建っている (模していると思われる) ウェアラムの St Martin's-on-The-Walls 教会も紹介されています。
著者によるインスタグラムの写真も見応えがあります。 (敬称略)


◆ローマ石碑 (別記事)

文書ではないですが、ラテン語の碑文も時々ころがってます。これは別記事に書きました

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◆余談:手紙の封印についての素人メモ

写本とは関係ないですが、そのへんに転がっているメモ/手紙の形態には、上記のダロウの書のメモ用紙やよくわからん紙の他にも、リボンと封蝋で綴じた手紙があります。

▼これは某古典ファンタジー作品のイースターエッグになっている手紙。

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9世紀当時の手紙がこういう リボンで周囲を1周巻いて、中央で封蝋&封印スタンプ (シール) で封をする綴じ方だったのか、知識不足でナントモですが、

封印スタンプは、9世紀~10世紀頃のものなどが現存しており、アサクリヴァルハラ発売前の予告動画 (シネマティック・トレイラー) にも使われていました...
というのを、こちらの記事にチラっと書きました

更に細かい (素人の) 疑問を言えば、
例えば当時の勅令書 (チャーター/ charters) はもう一回り小さく、写真Lサイズ~ハガキ大くらいに畳んであったようなので、
この近代風 (?) のA5サイズくらいの形状が、9世紀後半のイングランドでも一般的だったのか、通常使用時と保管時の差なのか、ゲーム上の都合なのか等、
完全に誤差範囲なのでどうでもいい点ですが、知識不足ゆえに微妙に気になっています。
教えてエラい人

▼ 参考: 2018~2019年に大英図書館で開催された「アングロサクソン王国展」の関連イベントで、ガチでエラい人達が文書を色々解説してくれる、たいへん有難い動画 がありますが、

28:40~ あたりからサイモン・ケインズ (Simon Keynes) 先生が、アルフレッドの孫のアセルスタン王のチャーター (930年代)のレプリカをポケットから出して「みんなで回して見てね~」とポイっとしてますので、サイズ感のご参考に。うおおぉぉ... うらやま

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動画は英語ですが、代表的な文書についてとても分かりやすく解説してます。アルフレッド王関連も勿論出てきます。
サリー州公のアルフレッド (Aelfred, ealdorman of Surrey) が身代金を払ったゴスペル本 Codex Aureus of Canterbury も出てくるので、混同注意。

【更に参考】ドラマ「ラスト・キングダム」では、手紙がもっと小さく、ポチ袋のように畳まれて出てきます。下のスクショは S2E3 (Netflix) から。

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【余談】マシューパリスのその他の王様

「聖ケネルム」の項で触れたマシュー・パリスの「Abbreviatio chronicorum」 の該当ページに描かれたその他の王様について。

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▶(左上) オズウィン王 (Oswine of Deira):
7世紀のデイラ (ノーサンブリア南部) の王。王位争いで殺されたのが、やっぱり/何故か殉教者とされた。
遺骨が最終的に聖オルバンズ修道院 (St. Albans abbey、現在のセント・オールバンズ大聖堂 St Albans Cathedral) に納められた説があり、著者のマシュー・パリス先生はここの修道僧なので、加えたのでは。

▶(左下) オッファ王 (King Offa II of Mercia)
ゲーム内でも時々言及されている、8世紀のマーシア王
強大な権力を以て約40年間君臨し、アングロサクソン・イングランドもほぼ統一したりした。
オッファ王は聖オルバンズ修道院の創設者とされており (※ 3~4世紀頃からあったものを、ベネディクト会修道院として再建) 、この絵でも聖オルバンズ修道院を抱えている。

▶(右上) エグバート王 (King Egbert)
原文未確認のため仮定 (※) としておきますが、アルフレッド王の祖父、ウェセックスのエグバート王かと思います。
エグバートもイングランドを一瞬 (約 1年) 統一したことになっています。

なおエグバートは 786年頃、ウェセックス王位継承争いに敗れて、シャルルマーニュ治下のフランク王国に疎開していましたが、その政争に勝った=政敵のベオトリック (ベオルトリッチ/ Beorhtric, Brihtric) を援助した舅が、上記のオッファ王です。

▼エグバートを記念したエグバートストン (エグバートの石) を模したポイントもゲーム内に出てきます。

実際の場所は不明で、石の形状も解っていませんが、878年 (ゲームのメインシナリオより後) にアルフレッド王がグスルムに逆転勝利する「エディントン (エサンデュン)の戦い」の際、この石の場所にウェセックス勢が集合した、という記念碑的な場所です。
推定場所のひとつには、18世紀のアルフレッド王ファンが建てた「アルフレッド・タワー」があったりします。

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(※) エグバート:ヴァイキング支配下のノーサンブリア王もエグバート(867~872年頃) なので、一応注記。
なお、ゲーム内のヨルヴィック (Jorvik, 現在のヨーク/ York) にある移動ポイント「Ecgbert's View (エグバートの観測地)」は、8世紀のヨーク大司教のエグバート (Ecgbert of York)だと思います。
エグバートも多すぎ。

【聖オルバンズ修道院】
ゲーム内にも出てくる重要ポイント。外観などはゲーム的にアレンジされていると思います。

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で、当然ながらゲーム内の聖オルバンズ修道院にも、この聖ケネルム像が飾ってあるのですが... ゲームの舞台は9世紀後半、パリス先生は13世紀の人、ということで、時空を超えたオーパーツっぽくなっております。

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【マシュー・パリス】
(Matthew of Paris/ Matthæus Parisiensis)
パリのマシュー。イングランド生まれなのに「パリっ子」マシュー。
13世紀初頭生まれ、1259年頃死去。
セントオールバンズ (聖オルバンズ) 修道院の修道僧として、歴史書もイラストも地図も自画像も描いちゃうマルチタレント僧
代表作「大年代記 (Chronica Majora)」は、中世の重要な歴史書のひとつと言われる。

最近の和書では、「原典 中世ヨーロッパ東方記」(高田英樹・編訳、2019年) に、「大年代記」の『タルタル人』関連部分が紹介されています。(※イングランド関連は記載無し。残念)

▼自画像 (Historia Anglorumより)

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【イングランド年代記抄】(仮邦題)
(注:マシュー・パリスの著作は似たような名前のものが多く、表記もややバラつきがあるので、誤記があったら申し訳ありませんが:)

マシュー・パリスの「イングランド年代記抄」(仮)、原題は「Abbreviatio chronicorum Angliae」、大英図書館のビューワー上では「Abbreviatio compendiosa chronicorum Anglie」(=イングランド年代記の短い抜粋/ "Brief Abridgement of the Chronicles of England") は、
同じくパリス画伯が著した「大年代記/ Chronica Majora」および「イングランド史/ Historia Anglorum」(British Library Royal MS 14 C VII, fols. 8v–156v) を、自ら抜粋して短くまとめた文書。
(メモ:「イングランド史」は「大年代記」からのようやく?)

お恥ずかしながら筆者はいずれもまだ読めていないのですが、
ともあれ内容としては、「イングランド史」(1250~1255年頃執筆)も、その抜粋版の「イングランド年代記抄」(1255 [1250?]~1259年頃執筆)も、
ウィリアム征服王
からヘンリー3世までのイングランドの歴史書 らしいです。
いずれも本文の前に歴代の王様の肖像画が4人ずつ並べて描かれていますが、「イングランド史」にはウィリアム征服王以降の王のみです。

【メモ】
「イングランド年代記抄」について、大英図書館のブログでは「1066年からマシュー・パリスの時代までにフォーカス」、一方ビューワーの説明には「1000~1255年のイングランドの歴史をカバー」とあり、微妙に混乱。
ビューワーの説明では、
「イングランド史」は1070~1253年、
「イングランド年代記抄」は1000~1255年の歴史書、とある。


取りあえず終わり。
新たに解ったものがあったら、追記したいです。

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