中学英語がやっと面白いと感じる五十路漫画家①
まずは初めてそのだつくしを知る方に、自己紹介から語る
岩手在住漫画家そのだつくし52歳
集英社デビュー
講談社、白泉社、盛岡市タウン誌「月刊アキュート」
JA新岩手月刊広報誌「夢郷(ゆめごうり」
岩手県「コミック岩手」
震災から週刊Web漫画「漫画街」にて「ずったり岩手」
http://www.manga-gai.net/
岩手日報四コマ漫画
他
岩手朝日テレビ番組審議委員副委員長
日本漫画家協会所属
のフリー漫画家です 以上(笑)
てことで、タイトルの内容に入る
中二あたりから、グレていた私である
グレていたのは思春期でもあるが
だいたい優秀な姉と比べられていたのも原因だ。しかし姉は悪くない。彼女は今思えば努力家である。四つ下の妹である私のうるささに、ストレスもかなりあったであろうし、両親が結構教育にはうるさかったのでそのプレッシャー。そして将来の夢が「医師」だ。努力して成績は中高トップ、しかし大学受験では一浪。それでも夢を貫き医師になった。
私の自慢の姉である
性格が正反対だった私は余計な思考と反骨精神の塊で、さらに探究心がむちゃくちゃあり、親も子育てに悩んだだろう。
親になってよく分かる
つまり、胆(はら)に落とし込まないと納得しない頑固な職人気質(笑)
めんどくさい子。つくし
まぁこの通り漫画家という天職につけたし、親も今は認めてくれたので今だから言えることだ。いつの間にか納得するまでの努力は人よりやるし、知らん事が恥だと常にアンテナをたてている。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/140879027/picture_pc_00b2d8e3f0e301cb996c4e6d9f8a6c51.png?width=800)
ガキのころからメンチきっとる(笑)
さて、今や努力と根性の週刊少年誌みたいな私だが
学生時代に覚醒していれば多分
実は夢でもあった獣医や教師になれただろうが
勉強がまっっっったく出来なかったのだ
理由は?
つまんないから
この一択(笑)
いや、先生は頑張ったと思うよ
ごめんなさいね
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/140879744/picture_pc_311bbe8e857b4534c7a9713d6d67156d.png?width=800)
でも教科書なにもかも肚に落ちてなかったんだ。暗記苦手だし
ノートに漫画ばっかり書いていたし
それで職員室に呼ばれ叱られてた
学校は平等のなかの不平等がいっぱいだ
運動神経は良かったので、バスケと駅伝と掛け持ちもやっていたが、バスケのルールですら胆に落ちていなかったので(笑)どう動けばゲームメイクが出来るのか理解しないまま走っていたなと、今思えば
それをバカという笑笑笑笑笑
高校受験は三日勉強(笑)
卒業出来たが赤点もとった
通信簿はアヒルと赤ちゃんのお耳(笑)
まぁそんなこんなでも就職してたまたま集英社のオーディションに受かったので漫画家になったわけだが。
漫画家になったのも漫画の描き方も知らんし、アシスタント経験も無い、スクリーントーンも削ったことが無い。Gペンじゃなく会社で起案書書いてた万年筆と筆ペンで描いてた。
当時の担当さんには苦労かけたと思う。
集英社のパーティでたくさんの漫画家さんと会って、さりげなく技を聞いたりもした。
単行本もすでに出させてもらったが10年続けられてからやっと名刺に漫画家と書いた。
当時、講談社の担当さんが10周年になにかプレゼントしますと言われたので
「今更ですが漫画の描き方の本下さい」
と言った(笑)
が、漫画の描き方本も何故か胆に落とせなくて
結局独走して来て今がある笑笑笑笑笑
いまだにクリスタも使わないでPhotoshop一択。こだわりも無い(笑)
が、仕事はこなせている不思議
感性はあるのと
同時期成長型だからだ
だんだん仕事の自己流、こだわりが身について28年
ある日ちょっとしたきっかけができた
数年前に盛岡市に住んでいる高橋克彦先生と出会い、克彦先生の本を読むようになった。
言わずと知れた歴史大作、SF、サスペンス、ホラー、大河ドラマ原作などどんだけ振り幅が広いんだ!と言いたくなる巨匠である。
物凄いうんちく、岩手を舞台にした作品。
まぁ中堅漫画家は一生出会うことすらないだろうと思うような雲の上の大作家だし、私自身作品は前から読んでいたのもあり、せいぜいファンです!と言える立ち位置くらいだろうなと思っていたが
たまたま、私が連載している岩手日報の四コマ漫画を読んでますよー
と、先生のほうからSNSにメッセージをくれたのがきっかけだ。
そっから先生のご自宅にちょくちょく行き、資料を物色したり、ご飯食べたり、先生の本を貰ったりなど
先生の本をもらったり がきっかけだ
先生は私の四コマ漫画以外にも私の漫画はほとんど読んでいるので(笑)
こりゃ私も作品を読まねば失礼にあたるな と
作品を読みながらイラストで相関図やら感想文やらちまちま書いてはSNSに挙げていた。
インプットとアウトプットをここで学ぶ。
おまけに分析も好きなので書いていた当時の先生の心理や物語のキモなども自分なりに書いていた。それを作者である先生が読んで、感想と評価をいただくというやり取りがしばらく続く。
そこから調子にのるそのだは
作品を知らん人にご親切に歴史小説ならその時代背景の解説を載せようと
その時初めてきちんと歴史を学び直すようになる。
小説から入る歴史勉強は、登場人物が実在しており、心理描写も書かれているので面白い。
あれよあれよと歴史をマスターする。
通信簿3だったのに(笑)
ついでに感想文を書いてるうちに文章力も成長している。読解力も身に付いた。
大先生が「文章上手くなった」と返事をくれたから
きっと上手くなった と思うようにしてる(笑)
物語が胆に落とし込めたからだ。
私はこれを「ねちねち読み」と読んでいる
ちなみに新聞四コマ漫画を描くようになって、新聞もねちねち読んで胆に落とす
出なきゃ3000回以上も書けてない。
さらに神様が見ているのか、ちょっとレベルが上がると、そろそろいいんじゃね?と
ハードルの高い仕事が来る。
通信簿3の私に三年前に
伝記のオファーが数件来た
岩手の偉人というと、宮沢賢治とか石川啄木とか原敬とか…しか言えなかった私に
相馬大作、佐藤昌介、大槻三賢人 と
岩手県民も知らない人がいる偉人たち
江戸時代から明治、しかも東北サイドの戊辰戦争あたり
「おぅ、やったるわ」と昭和の不良根性が騒いだのと、今まで漫画が無かったのと、資料がクソ真面目な文章のしか無かったのと
なかなか厳しい条件だったが
もちろん行政、専門家の監修入りだが
資料はありったけ読んで胆に詰め込み、数種類のうちの共通点と面白いエピソード、同時期の歴史書、大河ドラマ三クールながら聞き、自分もそこにいるイメージをしつつ
構成はほとんど「そのだ節」で描きあげた(ギリギリ納品だったが)
これは成長の賜物だ。自分を褒めたい。
ここでやっと気付くのだ
勉強オモロイな と
確かに今更だ
しかしなぜか後悔はない
バカでもそれなりに楽しい人生なので
勉強しなかったことへの反省?しない
やりながら学ぶタイプには
学びの時間軸が無いのである
さらに調子こいて自画自賛するなら
地頭は良かったんだな と思う
残念な天才そのだつくし
ここまで長かったな(笑)
読んだ方は「で?英語は?」と思うだろうが
一応「ヒキ」として次回に引っ張ろう
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