【小説】5度目の朝は、キミの隣で寝かせて。(1)
「ねぇ、起きてる?」
東雲が綺麗にみえる学校の屋上で、私の耳元に彼女が囁いた。甘く柔らかな声が、私の心と二人の間の空間を灯す。
思わず目を開けると、薄明かりで何色にもグラデーションされた空でさえ更に彩りが加わった気がした。でも、その時の私は言葉を発することが出来なくて、ただ頷くことしか出来なくて、ゆっくりと視線を落とした。
「もうすぐ日が昇る。そろそろいこっか。」
彼女の言葉が、私の肩を小さく震わせた。まだ17年しか生きてない私でも、一日の始まりをこれほど疎ましく思うことは、この先の人生でもないだろうと分かった。
屋上の固く冷たいコンクリートを背に、ずっと空をみていた私達。全てのものが冷たくみえ感じたそのひととき、繋いだ手を離せなかった。ただ一つの温もりをそこに感じていたからだろう。彼女が先に身体を起こし、私もその後に続く。繋いだ手はそのままに、二人で校舎への扉を開けた。
一日の始まりから逃れるように。
この世界から逃れるように。
*
「明日美、いつまで寝てるの。学校遅れちゃうわよ」
母の声で目が覚めた。リビングから聴こえるテレビの音と芳醇なコーヒーの香りが私の部屋にまで流れてくる。いつもの朝だ。きっと私が大人になって家を出るまで、あるいは世界が終わるその日まで変わらない。胸元まで掛けていた毛布を足元に落とし、まだぼぅっとする頭でリビングに出ると、驚いた顔で母が見つめてくる。
「なに?」力なく言う。
「あなた凄い髪よ。早く身支度してらっしゃい。」軽く頷き、朝食をテーブルに並べる母を横目に洗面台へよたよたと歩く。鏡に映る自分をみて、なるほどと思った。胸元まで流れた髪の毛があちこちに飛び散らかってる。寝癖直しのスプレーを振りかけ、髪を梳く。軽めのメイクを済ませた後、制服に袖を通した。上下共に純白の制服に、腰には黒のベルトを巻く。身支度を終え食卓に向かうと、テーブルの上にはベーコンエッグとコーヒーが並べられていた。私はそれを一つずつ順番に口に運ぶ。フォークで少し触れるだけで溢れる黄身とベーコンの塩加減が絶妙で、思わず微笑んでしまう。
「明日美は、ほんと美味しそうに食べてくれるね」テレビをみていたはずの母が、気付けば私をみてる。
「だって凄く美味しいもん。たぶんママのベーコンエッグは世界一だよ。」語尾を強めて言った。心の底からそう思ってるからだ。母との談笑で少しの間、穏やかな時間が流れる。
食後のコーヒーを啜っていると、ふいに母が口を開いた。
「明日、竹内さんのとこ命日だね。一緒にお墓参りいこうか」
つい数分前まで陽だまりのような笑顔を浮かべていた母が、悲しげな表情に変わった。
私も母の顔をみていると、3年前のあの日の記憶が頭の中で弾け、突如夕立の如く心の中に雨が降る。
「うん…そうだね。」
だから、ただ一言だけ私は呟いた。
それ以上はなにも言えなかった。
どれだけ振り絞っても。
テレビから流れる笑い声だけが部屋の中を満たし、余計に虚しさを募らせる。耐えきれなくなった私は、じゃあ行って来るねとだけ言い残し家をあとにした。
**
学校まで歩いて15分程。母との会話で弾けた記憶が頭の中でぐるぐると回る。なのに、こんな日に限って顔を上げれば雲一つない空が広がってる。神様は、とことん気まぐれで意地悪だ。そう思った。
小さな商店街を抜け、路地から大通りへ。2年も通うと、意識せずとも高校への近道が分かるようになっていた。
ただ物思いに耽ながらぼぅっと歩いてると、学校の手前で私の背中に誰かの手が触れた。
「おはよ、明日美」
振り返ると、同じクラスの柚沙が携帯に指を滑らせていた。茶髪の長い髪に大きな目が印象的な彼女は、気が強くクラスのリーダー的存在でいつも中心にいる。
私の通う高校は女子高で、偏差値は県内のちょうど真ん中に位置するくらい。いわゆる平々凡々な高校だ。制服が可愛いからとか、家が近いからという理由で決めた訳じゃない。高校なんてどこでも良かった。でも中学の時、大切な人がここに行きたいと言ってたから私もこの高校を受験した。
「月曜日から学校ってまじでだるいよね。終わったらみんなでカラオケとかいく?」
長い髪を触りながら柚沙が気だるそうにしてる。
「今日はいいや。ママと用事あるから。」
「えっまた?ほんとは男でも出来たんじゃないの?」
柚沙が悪戯な笑みを浮かべ、肩に手を回してくる。私はその手を振りほどいて、ぽつりと言う。
「違うそんなんじゃないよ。ママと買い物に行くだけ」
嘘をついた。平然と。今日はカラオケなんてする気分じゃなかった。それに、母にさえこの事を打ち明けてないが、私は男の子じゃなくて女の子が好きだ。ずっと。中学の時から好きな人がいる。
ふっと彼女の笑顔が頭に浮かぶ。
透き通るような白い肌を、笑う時だけぱっと明るく染める。
その笑顔に私は惹かれたんだ。
もう何年もみれてないけど、私はまだ…。
「ちょっと明日美、ぶつかるよ!」
「……えっ?」
柚沙の声で現実に戻ると、もう既に校門に差し掛かっていて私はそれにぶつかる寸前だった。
「大丈夫?なんか今日ずっと心ここにあらずって感じだけど」
「うん…ちょっと考え事してただけだから」
呆れたような顔をした柚沙はまた視線を下ろし、携帯に指を滑らせていた。
下唇が痛い…。
いつの間に私はこんなに痛くなるまで噛み締めたんだろう。
視界はそのままに、また意識だけが遠のいていくその刹那、私は彼女の名前を心の中でぽつりと呟いた。
「莉奈…」
学校に着き教室の扉を開けると、途端にいくつもの香水が入り混じった香りが鼻を抜け、賑やかな声が私の鼓膜を震わせた。
まだ朝のHR前のこの時間、メイクをしている子もいれば談笑している子もいる。女子特有というのだろうか、それぞれのグループが自分達の話に花を咲かせてる。何人かの子達からおはようと言われ、私も返す。
窓際の最後列の席まで進んだ私は、一度立ち止まっておはようとだけ声を掛けた。
その後、前から2列目の自分の席に腰を落とす。相手からの返事はない。でもそれがいつもの朝だった。
鞄から教材を取り出し机の引き出しに直していると。
「ほんとつれないね。誘ってやってんだからたまには返事くらいしなよ!」
後ろの方から柚沙の声が聴こえた。
振り返った私は、窓際の最後列の席に人だかりが出来てるのが見えて急いで駆け寄る。
柚沙と何人かの子達が声を荒げ詰め寄っているようだった。
「もうほっといてあげて。きっとまだ朝だし眠いんだよ」
私は柚沙の目をみて咄嗟に言った。
淡々と。冷たい眼差しを向けて。
一瞬柚沙は驚いた顔をしたが、髪をわしゃわしゃと散らす。
「だってこいつ、ずっとシカトじゃ…」
「お願いっ。やめてあげて。」
口調が自然と強くなり、柚沙の言葉を聞き終える前に発した。
相手からみて自分の顔がどんな風に映ったのかは分からない。恐らく私は怒りの感情を露にしていたんじゃないだろうかと思う。
一瞬で静まりかえる教室。
でも、感情が高まった私には元から柚沙の声しか耳に入ってなかった。
「明日美は、いつもこいつに優しいね。じゃあね《白銀の王女》様。」
柚沙は嫌味ったらしくそう言い残すと、手をひらつかせ自分の席へと戻っていった。自然と周りにいた取り巻きも消えていく。
「莉奈、大丈夫?」
私は、身体を屈め語りかけるように優しく言った。でも、いつもと同じで返答はない。
何かあったら言ってねとだけ言い残し、私も自分の席へと戻った。
教室の壁に掛けられた時計に視線を送ると授業が始まるまであと10分程、莉奈のことがやっぱり気になってしまい後ろを振り返る。
私の目に映ったのは、いつも通りの莉奈の姿。
座ったまま窓に寄りかかり、どこか遠くの方を、私にはみえない何かを見てるかのように、視線すら動かさず窓越しに景色をみていた。
窓から差し込む陽の光が、莉奈の身体を透かせる。その姿をみるといつも思う。なんでそんなに消えそうなのと。身体に触れただけで割れてしまいそうで、命の灯火が燃え尽き終わりかけているカゲロウのような儚さも感じてしまう。
先天性白皮症。通称アルビノと呼ばれ、莉奈がクラスの一部の人間から《白銀の王女》とあだ名をつけられた由縁だ。アルビノとは、世界に2万人に1人の割合でいる先天的にメラニン色素をつくれない体質で、莉奈の肌は私達の着ている制服より遥かに色白く透けている。腰辺りまである長い髪の毛も金髪というよりは、色素が抜け落ち白に近い髪色だった。
でも、莉奈が消えそうにみえるのはアルビノのせいなんかじゃない。
この学校でそれを知ってる生徒は、私だけ。莉奈の、竹内莉奈の心を殺したのは私。この3年間ずっとそう思って生きてきた。
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