見出し画像

【アメリカの思い出】その1

色々な事があったんだけど、忘れかかってて
もったいないからここで思い出しながら書く事に
します。

1992年、元旦那さんのお仕事の関係でアメリカに行く
事になりました。その時長男は1歳半、長女は生後8か月
ぐらいだったかな。ちょっとうろ覚えです。

飛行機に乗る時、娘は壁にぶっさす籠式のベビーベッド
に寝かせて行きました。私はアメリカに行くのがすごく
不安だし、英語できないし、慣れない年子2人を連れて
これからどうなるのだろうと飛行機の中で泣いてたな。

ニュージャージー州、マンハッタンに車で1時間ぐらい
の所に住むことになっていました。当時は少々バブル
に陰りが見えかかっていたとはいえ
あのロックフェラーセンターを三菱地所が
買収していたので、日本人に対する風当たりが強かった。

ほんと、日本は調子にのり過ぎでしたよね。
アメリカの富のシンボルの一つである
ロックフェラーセンターを買うとか、反感買う
に決まってるやん。

とにかく車がないと生きていけない場所だったので
日本車に乗ると車をボコボコにされるかもしれないので
アメ車を2台用意しました。マンハッタンやの周辺に
住むイケイケな大企業とは違って何もないところから
生活の基盤を作らなくてはいけない状態でした。

現地に住むバリバリに仕事ができる日本人女性が
旦那様の仕事を手伝ってくれていて、その人を頼らな
いと何もできなかった。マクドナルドで注文しても
ぜんぜん通じなくて途方にくれたなー

よくノイローゼにならなかったもんだ。
周りに日本人はそのマダムしかいなくて、
昼間は毎日私とまだ話す事もできない子どもと
3人ぽっち。でもなんやかんやでしのいでた。

それだけでも旦那様に感謝してもらいたいところ
だけど、離婚するとき「あいつはアメリカで何も
手伝ってくれなかった。」だって。

あ~~~~久しぶりに思い出したらムカついてきた。
今日はここまでにします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?