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マダガスカル102日目

プライベートスクールのクリスマスパーティーがあると聞き急きょ見に行くことにしました。来年からその学校でも授業をすることが決まっているのでその前に子供たちの様子を見ることができ何かの学びを得て授業の参考にしたいと思ったからです。
たくさん練習したであろうクリスマス用の歌や踊りを親御さんの前で一生懸命披露しています。
同学年の公立学校の生徒と比べると明らかに落ち着いた雰囲気を感じました。
平日の朝に子供を見る為に仕事を休める、又はお父さん、お母さんのどちらかは仕事をしていない。余裕のある家庭環境も関係しているのかもしれません。

もう一つ感じたことがあります。それは日本同様に子供以上にその発表会にかける思いが、先生も強いということです。少しでも上手に踊って歌って欲しい気持ち。この行事を成功させたいと思う気持ち。いつのまにか先生が主人公になって本来の目的とズレていませんか?実際に僕が学生時代にそう感じる先生も何人かいました。成功させたい持ちが強いのは悪いとは思いません。
ここで重要なのは、その気持ちで動いた場合の結果の主語は誰なのかと言うことだと僕は思います。

子供たちは恥ずかしいのか、それとも普段の学校生活でもそうなのか、先生の方を見て自分のダンスが合っているのか、自分の歌が合っているのか確認している様子がすごく気になりました。まるで先生の顔色を気にしてるみたいです。正直に言うと、学校、特に低学年や幼児教育においての発表会や出し物の開催はある程度の先生のエゴだと思っています。
もちろんそのおかげで親御さんは世界一可愛い我が子供を見る機会ができ大満足でしょう。しかし、例えば人前で歌うことや踊ることが苦痛としか思わない子供がいるとします。その子の気持ちは一切考慮されることなくこのような行事が行われている場合もあるということです。運動会は運動が苦手な子は楽しいと思って自ら進んで参加していたのでしょうか?
確かに自分で考えて動くことが簡単ではない年齢においては、ある程度の先生が作った環境や行事に参加することが教育の一環だと言うことはわかります。義務教育がその象徴ではないでしょうか。そこで得ることも確かにあります。しかし、自分で考えることができる年齢になっても、少数派の意見は考慮されることなく行事は開催される現実があります。例えばひとクラス30人の学級があり5人の運動が嫌いな生徒が運動会の開催を拒んでいます。しかし運動会は通常開催されます。この時の先生を含む運動会開催賛成派の人はどのようなことを思っているのでしょうか?どのようにして少数派とされた者を説得したのでしょうか。

運動会も運動も好きな僕がもし学生時代にこのようなシチュエーションになったらどうしたでしょうか。もしかすると実際に起きそうになったけど聞く耳を持たないことで全体として少数派意見を意図的にねじ伏せていた、議論が起きる要素をあらかじめ消していたのかもしれません。それが普通に起きていました。まとめると、自分にとって都合悪いことは見ない。都合いい時だけ見ようとする。
都合の悪いことはねじ伏せる。これが現実学校で起きていることです。学校というコミュニティーはある種社会の縮図として捉えることができます。学校で「少数派意見との正しい向き合い方や捉え方」を教わった記憶はありません。抽象的に「相手の気持ちになって物事考えて行動しろ」とだけ言われてきたと思います。

「社会に出て少数派とされる意見を言う意味の無さ」「可能性の無さ」は学校が教えてくれた。
それで諦めるしかない。
「それでいいのでしょうか?」これも社会的には少数派の意見ですか?

では少数派の意見を考慮して、その声に耳を傾けて、実際に現実が変わるのべきと捉えられるのはどのタイミングからですか?少数派と多数派の人数の割合に大した差がない時ですか?命の危機がある時ですか?少数派が対価を支払うと言った時ですか?少数派と多数派として捉えてしまうと、多数決の議論になるので少数派の意見が採用される未来はきません。しかしこれが現実社会です。
少数派意見の可決には時間とパワーが必要なのです。可能性はゼロではありませんが、学校は限りなくゼロに近いと教えてくれました。この可能性に子供が気付くことを恐れる人物がいるからでしょうか?

ではどのように向き合うべきか考えました。
僕が生きてきた環境は実力主義の社会です。うまいやつが試合にでる。下手なやつは出れない。シンプルです。そんな環境で僕は学びました。自分以外は他人。当たり前ですが分かってない人がいます。自分とは違う意見、考え、価値観の人間が存在している事実です。少数派、多数派で決めつけて考えるのではなく、たまたま望む結果が似ている人が集まった集合体がたまたま大きいか、たまたま小さいかの差であって、必ずしも常に大きな集合体にいなくてなならない理由はありません。小さな集合体でも生きていける社会だと思います。
しかし現実を変えるには資本も実力も必要なのが現実です。結局誰かの作った環境やルールで生きるならそれに従うしかありません。嫌なら出て行くしか無いのです。出て行っても生きていける力をつけるしかないのです。

うまくまとめることが出来ず不完全燃焼の気持ちです。同じ話を繰り返して空中分解していきそうなのでここで締めることにしました。
勉強不足です。もう少し社会について学びたいと思うきっかけになったので少しはこのトピックについて書くことの価値があったのかもしれません。
とは言ったものの今の現実社会から目を逸らさず綺麗事ばかり言うのではなく、実力をつけて生きていこうと強く思います。

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