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人と国

ある人の言動がその人の出身国のイメージになる。
例えば僕がマダガスカルのレストランで提供された食事に大声でクレームをつけている。その姿を見るマダガスカル人もフランス人も中国人も韓国人も、その場に居合わせた日本人もみんな思う事が違います。
(マダガスカルで既に出会った国籍の一部を例として出しました。)

だけど日本人をただの外国人として捉える情報しか持ってない人は、日本人はあれがスタンダードでああいう人種なんだと思うでしょう。情報が少ない分目の前で起きた現象や体験が与えるインパクトは大きくなります。

このような現象って今の世界中で起こっていることに似ていませんか?
「コロナはあの国から始まった。」だから「あの国の人はこのホテルに泊まることはできません。」実際に友人の知人が最近パリで経験したことです。
少し前に遡ると、「アジアンヘイト」「Black Lives Matter」国、人種でグルーピングして善悪を判断するような行為が日常で起きています。

身の回りの人が全て日本人ではない環境にいることで見えてきた事があります。今まではただの情報でしかなかった外国人が友達になった。知り合いになった。教え子になった。同僚になった。
情報が経験に変わった時に今まで見てきたものや聞いてきたものは真実ではないことの方が多い。と気づきました。
人と国のグルーピングの関係で正しくない情報もあるということ。

体験で学ぶ必要性や世界で起きている現象を自分ごとに置き換えて考える楽しさに気づきました。もっと世界触れて自分の磨いていこう。



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