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想像力が養われた気がします

日本語でうまく会話することが可能なら2年間の活動がもう少し発展していた可能性があります。
日常会話、近所の人、同僚、生徒とも日本語で話すことができたら相手の思ってることや考えていることをもっとわかりやすくしれたかもしれません。

しかし、ここはマダガスカル。
そう簡単にはいきません。
フランス語かマダガスカル語でのみ会話ができ、日常のコミュニケーションもすることができます。

言葉が思っているように通じていなかったり、相手の言葉がうまく理解できない分、想像する力が養われたように感じます。

今まで、自分がされて嬉しいことをする。
自分がされて嫌なことはしない。

義務教育で当たり前のように教えられていた人間関係の基本は世界でも使える場面と全く使えない部分がありました。

なぜなら、主語が自分になっているからです。
自分の過去の経験が判断軸になっている場合、似ている境遇で生活してきた人に当てはめて応用することはできますが、全く違う生活を営んできた方々にその法則は通じません。

主語は、コミュニケーションで対峙する相手なのです。
この人は何をすれば喜んでくれるのか。
この人は何を言うと悲しむのか。

主語を自分以外の対象に向けて想像するのって結構楽しいもんですね。
これは日本語が通じる日本でも可能です。

今日も1日頑張っていきましょう。

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