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読書のセンスなんて無いと気づいたら、きっと読書が好きになる

もともと読書が好きではなかった。

家族にも読書家はおらず、両親が本を読んでいるところなんて見たことが無かった。家中の本をかき集めても10冊くらいなのではないだろうか・・・。

そんな家庭で育ったので私自身も本を読むなんていう習慣は無く、暇な時間はもっぱらテレビを見て、テレビがつまらないときはゲームをするか、それに飽きたら「どっか連れて行けー!」と駄々をこねるような子供だった。

クラスに1,2人いる、休み時間にも本を読んでいるようなクラスメイトを見ては「何が楽しいんだろ??」と疑問だった。そういう子はたいてい親も読書家なので、遺伝かな、なんて思ってた。

学生時代は全く本を読まなったわけではない。レポートや論文のために読む必要があった。そんなわけで学生時代に面白かった本は?と聞かれたとしても私は一冊も答えることが出来ない。全て嫌々読んだ本だった。

そんな私が読書をするようになったのは、社会人1年目に読んだ本がきっかけだった。それは友人がくれた本で、手に取ったことのないような恋愛指南本だった。恋愛指南本?とちょっとバカにしつつ読み始めたのだが、そこには私が恋愛に対して抱いていた思いが驚くほど的確に書き表されていて衝撃を受けた。自分でもびっくりだが、その本を読んだことで人生が変わった。

そしてこの経験こそが、初めての「義務」でない読書であり、初めての夢中になった読書だった。

それまでは難しい本や評価されている本を読むことが「読書」だと思っていた。芥川や太宰など「読んでおくべき本」に手を出しては難しすぎて面白さが分からず「私には読書のセンスはないんだなぁ。」と思い込んでいた。

でも、そんな私でも本を読んで初めて心から面白い!と思うことが出来た。その経験を経て、読書ってこんなに手軽なものなんだ、と読書に対するハードルが一気に下がった。

ベストセラーや評価が高い作家の本などを読んでも良さが分からなかったり、どうしてこれが人気なの?と思うようなことはいっぱいあるが、それで「読書のセンスないなぁ」なんて落ち込むことはなくなった。私が抱いた感情、感想を素直に受け入れるようにしている。読書のセンスなんてものはない。だから国語のテストは良くないぁと思う。作者の意図なんて誰も分からないし、読み手がどう感じたかが全てで、どう感じるかは自由だ。

そんな感じで、今はけっこう自由に読書を楽しめるようになった。

全く本を読まないという人も、自分の興味関心が赴くままに本を開いてみるといい。どんな本でもいい。かっこいいタイトルや、目を引く装丁や、好きなタレントが書いた本でも、とにかく少しでも気になるものがあれば気軽に読んでみることを薦める。

きっと世界が広がるから。

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