『人生最大のケガ』(朝礼のトークテーマ)

愛知県のアルミリサイクルカンパニー
株式会社豊アルミ工業 代表の桐山です。


明日から3分間スピーチのテーマは
『人生最大のケガ』
です。
当社では朝礼時に持ち回りで3分間スピーチを行っています。


私にとってケガは主に骨系ですね。
中でも人生最大のケガは2歳の頃です。
記憶にはありません。
しかし母からその話を聞かされました。
48になった今も聞かされます😅
と言っても母自体、その現場にいた訳ではなく
現場にいた母方の祖母からの伝聞によるもので
詳細はよく分かりません。
ただ
「家のブランコから落ちて足を折った」
「膝の関節が逆に折れた」
「びっこ、ちんばになることを覚悟した」
というキーワードのみです。
ブランコとは小学校にあるようなものではありません。

おそらく家庭用の向かい合わせのブランコに足が挟まって、思わぬ力がかかってしまったんだと思います。

腕の良い接骨院でうまく治療してもらえたようで、
自分の記憶の中で何か身体的に不自由を感じたことはありません。
歩いていて何もないところでつまづくことがたまにあったとは思いますが、それが原因かどうかはよく分かりません。
私が小学校低学年の頃に近所のおばさんが私の姿を見て、母に
「足がちんばじゃない?」
と言ったことがあったそうです。
悪気があったわけでなく、心配して母に言ってくれたと思うのですが、呪いの言葉でしたね、母にとって。
「息子は足がちんばだ」
思い込んだら試練の道ですね。
私を立たせて左右の膝の位置を見るのです。
「あー、言われた通り、ズレている。。」
私からすれば、それが何って思うのです。
正直、人並み以上に運動はできてます。
本人が問題ないと言っているのに、ずっーと気にしているのです。
部活で足を痛めて病院に行くことがあると
「足がちんばじゃないか診てもらってきて」
と言います。
医者に診てもらっても、異常なしです。
一見すると、確かに左右の膝の高さは違います。
しかし許容範囲ですし、姿勢の良し悪しで変わる程度のものです。
そもそもヒトの身体は左右対称にできていません。
こうした医者の見解を伝えれば安心すると思ったのですが、受け入れてくれません。
「今は問題ないかもしれないけど、年を取ったら後遺症が出てくるかも」
私に呪いをかけたいんですかね🤣
仮にそうだとして、何かできることはあるのでしょうか?
そうなったらなったで、受け入れるしかありません。
そしてその時に手立てを講じればよいのです。

母としては可愛い息子にひどいケガを負わせてしまった負い目があるのだと思います。
気持ちは分からなくはありません。
48になっても心配してくれているのだと思います。

しかしケガをした当人が何も気にしていません。
使う言葉は自分の思考を拘束します。
「息子は足がちんばだ」
これは『不幸』を含意しています。
本人は無意識でしょうけど、ネガティブな言葉を使っていると、それが実現しかねません。
「息子は幼い頃ひどいケガをしたけれど、がんばって元気に生きている」
と言い換えなければなりません。
陽転思考という考え方があります。
確かに不幸な事象はありますが、大切なのはそれをどうとらえるか?
人生が幸せかどうかは、その人の思考次第です。

私にとって人生最大のケガは、身体的なものではありません。
未だに言われる呪いの言葉です。
そして私のケガは母の心のケガとなってしまったようです。

それでは!


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