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会議資料に自分のリーダーシップが表れる

会議は何をする場でしょうか?
会議によって性質が違うと思いますが
・情報共有
・意思決定
が大きな目的ではないでしょうか。
目的を達成するための重要なファクターが

「会議資料」

だと思います。
私の会社では会議にあたっては必ず資料を準備します。
少人数かつ現場社員が多いため、大半は私が作成するのですが、すべてが自分事ですので強い意図や意思が自然と盛り込まれます。
資料を見た社員に、上手く伝えられているのか、そこは自分では判定しにくいところではありますが、少なくとも議題で挙げたことをフォローしていく仕組みにはしています。
内容を理解したのか?
実行したのかどうか?
実行してどうだったか?実行できなかったら、その理由は何か?
次の手はどうするか?
つまりPDCAですが、後々どうなったかをしつこく追っていくことを心掛けています。
そのための手段として、
「資料」
は必須です。いつ何の話をしたか、自分でも分からなくなるからです。自分で言うのもなんですが、自分の記憶力ほど世の中で信用できないものはありません^_^;
そうして進捗を見ていくことが会社の成長につながっていくと考えていますので、資料なしの会議というのはあり得ません。

では資料がなかったり、資料があっても内容が不十分な状態で開催される会議とは一体どのようなものでしょう?
社外でもいろんな会議に参加することがあります。

式次第だけで、中身を説明する資料がなければ「決まった時間に人が集まっただけ」という薄い結果になってしまうことがままあります。

資料がない会議では担当者が口頭で何となくその場を取り繕うことになります。
「こんなことを考えています」
「こんなことを検討中です」
「次回までに報告します」
結局、次回会議も資料がなく、同じ発言が繰り返されるケースがよくあります。
内容の可否を議論することなく、なんとなく「引き続きよろしくお願いします」的な感じで流れていきます。
厳しい言い方ですが、時間の浪費です。
浪費時間=無駄時間×参加人数
となり、自分だけの問題ではないのです。

結局のところ
資料がない=思考が整理されてない or 想いがない
ということだと思うのです。
すこし大袈裟ですが、文明は文書によって伝承され、現代にいたるまで発達してきました。
文書化して繋いできたから、知識や知恵が世代を超えて積みあがってきたのです。
文書(資料)が無ければ、先人の試行錯誤はリセットされ、次世代はゼロからやり直し、というのはちょっと言い過ぎかもしれませんが、文字のある文明とない文明では発展のスピードは過去の歴史を見ても遅いと思います。
現代においてもインターネットの普及により、情報が世界中に共有されることで、爆速で世界が進化しています。
会社組織が、組織としての力を発揮するためには、知識や知恵を文書化してブラッシュアップしていくことが必要だと感じます。

良い資料は、それを見た人にインスピレーションを与えてくれます。
発展的なアイデアや別の視点を加えてくれたり、ポジティブな方に議論が向いていきます。
良い資料の中身をもう少し具体的に言うなら、資料を作成した人の意図や想いなど方向性を示していることです。方向性があるから、周りの人は議論に安心して乗ることができます。
自分が役職についているかどうかに関わらず、リーダーシップを持って仕事に取り組んでいることが大切です。
リーダーシップは確実に資料に表れます!

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