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#つまらない写真!03

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葛飾区立石 つまらない写真!シリーズの3 まあ、この写真は面白い部類なのかもしれない。どうしてこれが、こう成り立ちになったのか想像するのも楽しいからだ。左の自動販売機も収まっているところを見ると、もともと公衆電話もポストも先あったのかもしれない。塀があとということだろうか。今は携帯があるからここで長電話をするひとはいないとしても、かつてだったら雨が降っきたらポストと電話器の隙間にはさまりながら体を捩ってコールしていたのかも。こいうのをかつて赤瀬川原平が超芸術トマソン、やくたたず、と呼んでいた。でも僕的には、正直これはトマソンだと思った瞬間、たいくつな風景になってしまう。自分が発見したのではなくすでに誰かが発見したイメージの異形だからだ。ことばとは恐ろしい。
もっとも写真はたいていすでに誰かに撮られている。イメージだけだったら、そこらじゅう、かつてだれかがすでにもう見たものだ。
でも、ぼくはそんなこと全然気にしない。
なぜならぼくは、つまらくなったものを撮ることに、傷つくことがないからだ。過去なんて忘れてしまえばいい。大きな声で、これは僕が発見したといっちゃえばいい。写真なんて、もともとあるものを、複写しているだけだ。イメージさえ構築していない。かすめとり、引用、拝借、イメージのどろぼう。
面白い。つまらないけど、気になる。
こんなのもうすでに多くの人間に撮られている。
そんなことは言ったら撮るものなんてなくなる。
音楽のメロディーがとっくの昔に消費され、オリジナルなんて気にしない。そんな、ぬけぬけと作る作業が僕は好きだ。写真だって同じことだろう。
毎日、毎日、いい写真を撮ろうなんて思うより、毎日、毎日、ただ撮る。、面白かどうかなんてただの結果だ。いかにつまらなく、自分の撮りたいと思った写真を撮れば、、小さな、ささやかな、面白みが生まれるのかもしれない。
なんて、どうどうめぐりの、なんだか意味不明なことを書いてしまった。
11月21日は、この退屈な、青砥、立石を歩き回り、
退屈な写真を撮る日。
そこでどんなつまらない光景と出会うのか。
言えることは、2020年11月21日の僕のある日の、
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