見出し画像

写真集CRP JAPAN 江の島界隈 BY 12PHOTOGRAPHERS 発売中 ¥500

11月2日PM5時~11月4日PM5時まで2日間、特別サービス機関として無料 ¥0 でダウンロードができます。是非この機会にご覧ください。
12名の江の島がひとり30点アップされています。
表紙撮影 鬼塚紀子

江ノ島
最後に江ノ島を訪れたのはいつだったろうか。江ノ島の海岸通りは通り道として何度も訪れているが、島の中に入った記憶ははるかだ。最初に訪れたのは小学校5年生の江の島、鎌倉、遠足だ。1960年ぐらいだろうか。千葉県市川から、蔵前橋通りを進み、両国橋をわたり、皇居を右に見て、以後国道1号線をまっしぐら。正直、風景を全く覚えていない。遠足の前に、歌を2曲覚えさせられた。♫真白き富士の嶺みどりの江の島、と♫七里が浜の磯づたい、稲村ヶ崎名将の剣投ぜし古戦場。♫今は何も記憶することのできない僕の頭だが、子供の頃の記憶力には驚くばかりだ。
 あのころ江の島には今のようなエスカレーターはなかった。歩いて上に登り、おぼろげに展望塔は覚えているが、裏の岩場で遊んだ記憶がでない。 記憶はないが、同行した瀬川フオトの瀬川さんが撮った数葉の写真だけが僕の記憶の全部だ。写真は記憶を作り上げる。その写真には一昨年亡くなった藤原孝先生も写っていた。たしか僕はフジペットをもっていたはずなのに、なぜか遠足には持っていかなかったようだ。だから僕が撮った写真は残っていない。
2回目に訪れたのは、大学2年の春だ。学園紛争の1年間のロックアウトでまる1年授業はなかったので実際は2年と3年を1年で済ませた年だ。
5月に学園が再開してすぐに演劇学科の眞利と付き合うようになった。彼女は茅ヶ崎に住んでいたいので、毎週のように電車で通った。その頃、竹中工務店に勤めていた小学校の親友と、20歳の同窓会で再会し、車を貸してくれることになった。僕は免許取り立てだった。車はスポーツカーブルーのベレットGTだ。前日僕の写真の先生高木くんのトヨタ・パブリカで、4速ギアの特訓を受けた。教習車は3速だったからだ。当日、ベレットのクラッチ操作に苦労しながらどうにか、江古田までたどり着いた。学校で彼女をピックアップして、茅ヶ崎の海岸に向かった。そこで彼女を撮り、その後江の島まで行った。ヨットハーバーで撮影したかったからだ。もちろんその写真は残っている。 その彼女と別れてからも、ガールフレンドができるたび、茅ヶ崎の海岸と江の島はよくでかけた。週末は混むのでいくのはいつも平日だ。平日の江の島は人気も少なく、写真を撮るのに適していた。 何度訪れたかは忘れた。僕のコンタクトプリントを仔細に見れば、それは写真として記録されている。 江の島のエスカレーターを登ったのは20年以上まえだ。海岸通りはたびたび走っても、江の島に入ることはなかった。 久しぶりの江の島は、自粛期間中だったにもかかわらず、賑わっていた。シーズンの土日は渋滞で近づきたくない場所だけれど、午前中は駐車場に止めるのもスムーズだった。昔からくらべたらかなりの数の飲食店、どこもリーズナブルで美味しかった。エスカレーターを上がるとすっかり整備されていて、素晴らしいい観光地になっていることに、ちょっとうれしかった。 今回の撮影会は、娘と彼女ボーイフレンドも一緒だった。

もしよろしければ  応援サポートお願いします。