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vol.05 沢木耕太郎「一号線を北上せよ」の憤慨!

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「サイゴンの昼上がり」を読んだ沢木耕太郎は2002年、ベトナムに行くことになる。
僕があのアオザイの写真を撮った1994年から8年もたっていた。沢木さんに本を送ったのは1999年だ。
ベトナムは僕が初めて訪れたときから、様変わりした。当時は中心部の商店も半分以上が閉まっていた。観光の準備はまだできていなかった。開いている店は、古い偽ローレックスの店ぐらいだった。ベンタイン市場で、お土産用に塩と胡椒を買った。
今になってアオザイ姿が激減したわけじゃない。1994年はまだベトナムは貧しく、撮影のモデルや、一張羅のようにおしゃれ着としてのアオザイはあるものの、街で偶然出会うアオザイは、女学生の白いアオザイとスチュワーデス、商店の店員の制服ぐらいだった。
そんな時代だからこそ、あの自由でおしゃれなアオザイ姿がいたのかもしれにあい。だんだんと豊かになると、10センチもあるぽっくりに、裾も地面に届くほど、ひらひらと晴着のような着こなしが、ベトナム風のおしゃれという位置づけだった。
そういう意味では僕が撮ったアオザイは奇跡だった。
あの時、あの瞬間に存在しただけで、その後、必死になって探したけれど、二度とあのように着こなした女性には出会わなかった。
撮影した時のことを思い出せば、やはりあの帽子のスタイルに反応したのだろう。
Eos5に200mmの望遠レンズ、縦位置、6カット撮っている。僕はフィルム時代、スナップで連写はしていない。6回きちんとシャッターを切っている。スナップ中通常カメラは2台持ちだ。もう一台のカメラもEos5で、この時は24mmの広角レンズがついていた。Eos5の利点は巻き上げ音が静かなことだ。軽量の中級機だ。Eos1も持っていたが、なぜかポラロイド専用になっていた。
この写真を撮った時の記憶はさだかでない。被写体に反応しているだけだ。撮ったあと追いかけたことは覚えている。彼女が曲がった角に立つと見失っていた。
あの時、サイゴンツーリストで皆は次のフエ行きの予約をしていて、僕が勝手に行動することはできず、追いかけることはあきらめた。
今のデジタルのように、撮ってすぐに確認することもない。撮った手ごたいは薄く、すぐに忘れてしまった。演出して撮ったならば、印象的な瞬間に出会うまで撮るので覚えているが、スナップは撮ったすみから忘れてしまう。
ベトナムで撮った写真は膨大な量だった。OP創刊号(NAVI)のためだけではなく、角川書店の矢作俊彦の別冊特集号で、彼をモデルとしたベトナムでの写真を、バーニーズニューヨーク、ジャパンの広告として使用するプロジェクトでもあった。僕のアシスタントはなし、作家、アートディレクター、角川の編集者、NAVI(OP)の編集長、バーニーズの担当者と僕の6人が撮影チームだった。
写真全体をセレクトしたとき、印象に残っているはやはりアオザイの女性の写真だった。6コマのうち1コマ(2コマ目)はぶれていたが、あとはどれもしっかりとフォーカスされていた。当然のように4コマ目に撮った写真を選ぶ。いい写真だと思ったが、特別だとは思ってなかった。
それが特別だと思ったは、OPと言う雑誌の右ページに立落としに印刷され、それを見た瞬間が一番驚いた。
よく見れば見るほど特別な写真だった。
その写真を見た多くのひとが会うたびに絶賛した。
そして皆、一様に演出したファッション写真だと思っていた。
その頃僕はファッションカメラマンだったこともある。
トワイライトツイストという、懐中電灯でライティングした手法で、多くの作品を発表していた。プロのカメラマンとしては、女性を撮るカメラマンという位置づけだった。もともとスナップは撮っているが、それお多くは仕事ではない。僕が写真を始めたときからの、撮影スタイルだが、写真展はやっても、それは仕事とは直接結びついてはいなかった。
アオザイの写真を見た旧国鉄のキャンペーン、ディスカバージャパンのアートディレクター、画家でもある鈴木八朗さんは、僕の撮影スタイルが、この写真を呼び込んだと絶賛した。
1996年3月、表参道にあった森英恵のオープンギャラリーでひと月「越南女」12点を展示することを勧められた。この時は、大判のインクジェットプリンターの先駆け、1台何千万もする機械でプリントした。その時の写真は今やすっかり色が抜けてしまった。
アオザイは、基本オートクチュールだ。中国式の服を、立体裁断したのがアオザイだ。
全身何十か所も採寸して、ぴたりと作る。シルクは涼しいというが、現代のパンツとTシャツのほうが当然楽だ。いや、呼び名を忘れたが、(アオバー?)てらてらのパジャマのような上下はもっと楽でも、ベトナム人は皆日常はそんな服を着ている。

講談社刊 

沢木耕太郎が、僕のアオザイの表紙を見てベトナムに行ったことは誇らしいことでもある。ただ、「国道1号線を北上せよ」に書いてあることを読むと、なんだかなーという気分になった。
―――カメラマンの横木安良夫が「サイゴンの昼下がり」という本をだした。その本を本屋の店頭で見たとき、強く目を牽きつけられた。そこには、ひとりの若い女性が、純白のアオザイを着て、路上を歩いているという写真が載っていたのだ。白いアオザイは、まるで雨に濡れたかのようにぴったりと体に張りついているため、彼女の美しい体の線をくっきりと浮きだたせている。しかも微かに透き通っているため下着のラインまで見え、それが清楚なエロティシズムを醸しだしていた。もちろんホーチミンに行けばそんな女性がいっぱいいると思ったわけではないが、行ってみたいという思いは募った。—――


―――そこには、白いアオザイを着て、道を渡っている美しい女性の、斜め後ろからの姿が捉えられている。それについて横木さんはこう記している。
コンチネンタルホテルの裏、レタイントン通りを、颯爽と横断するアオザイ姿の女性、僕はカメラに200mmレンズをつけて後姿を追った。追いかける僕のファインダー越しの視線から、彼女は路地を曲がると、まるで白日夢だったかのおうに忽然と消えてしまった」
 だが、私にはこれが普通のスナップ写真だとは思えなかった。
なぜか演出された写真のように感じられてしかたがなかった。
その理由のひとつは帽子にあったかもしれない。洒落たストローハットをかぶっていることが、ファッション雑誌か何かの撮影のように思わせてしまうのらしいのだ。
それともうひとつは、その女性の歩き方である。彼女の歩き方、とりわけ足の運び方が自然ではないように思えた。体の線に緊張したものが走っているのだ。
彼女が視線を落として歩いているのも気になった。つまり私はこう思ったのだ。その写真に写っている女性には、撮られているということを意識した体の線があり、視線があるのではないか……。
しかし撮影した横木さんがスナップだと言っているのだから問題ないはずだ。そう思っていたところ、ホーチミンに来て、横木さんの写真についての疑問がましていった。第一に、このように美しいアオザイ姿の女性はみたことがなかったということがある。
中略—――もしこれが横木さんの演出でないとしたらどういうことなのか。
考えられることは、横木さんに撮られていることに気がつき、それを意識することでそのような歩き方になり、視線を落とすということになったのかもしれないということである。
だがメコンデルタの河べりで、正装したアオザイ姿の若い女性を見つけて私もカメラのシャッターを切っているうちに、もしかしたら、思ったのだ。私がこのように彼女を撮っているのと同じ状況で、横木さんもあの白いアオザイの女性を撮ったのではないか。つまり、彼女は単なる通行人ではなく、何かを演じていたのではないか。そこを偶然横木さんが通りかかって撮ることができたのではないだろうか―――。
僕はこの文章を読んでびっくりしてしまった。天涯などで写真集もだしている、そしてロバートキャパの伝記を翻訳し、日本においてのキャパ研究の第一人者ともいえる、沢木耕太郎が、写真の本質をまったく理解していないことに驚いたのだ。
今みたいに、SNSが盛んならすぐに反論を書いたかもしれない。
僕は1999年からホームページなどをやっていたので、しかも「ロバートキャパ最期の日」を書いた時は、まだBLOGの時代で、その後初期のSNS、Niftyのココログで一日かなりのアクセスがあった。キャパの情報などずいぶん他色々な人に助けてもらった。あのままきちっと続けていたら、ブロガーにでもなっていたかもしれない。


2006年に、RICOH のGRシリーズが発売され、そこから発展した、ズームつきのコンパクトカメラ、カプリオGX100というユニークなコンデジが発売された。発売前に2台借りられ、ベトナムへ行った。朝日新聞とゲーテと言う雑誌、そしてエストネーションというファンションSHOPのコラボだった。その商業的な写真を、GX100というコンパクトカメラで撮ってみようという魂胆だった。
もちろんまだフィルムと兼用時代だ。マミヤのRZ67と、Cononのデジタル一眼は20Dだったろう。僕はフラッグシップ機より、中級機が好きだ。軽いから。フィルム時代はズームレンズを使わなかったので、カメラは常に2台持ちだ。Eos1がでたとき、すぐに飛びついたが、ファーカス測距点が中央一点で50mm1.0のフォーカスがこなく、ポラロイド専用カメラになってしまった。
当時最新のデジタルはカメラは、僕本格的にデジタル撮影に以降していた。フィルムを使うなら中判や4x5になっていった。35mmフィルムを使うことはなくなった。その頃デジタルはAPS-Cサイズだったが、何の過不足もなかった。
GX100 のセンサーは、ずっと小さく1/1.75インチの極小でありながら1000万画素あった。そのカメラで撮った写真を1点、仕事で使うのが魂胆でもあった。
ホーチミン市の一番有名なホテル、マジェスティックの屋上バーで撮った写真を広告に使った。今でこそコンパクトカメラで撮った写真でも、十分使えることは皆知っているが、当時では驚きだった。
僕は、このVietnamGXトラベラー写文集に、沢木耕太郎への反論を載せた。沢木が、写真の本質を何もわかっていないことを書きたかった。

アオザイの女性が、僕に撮られていることに気がつき、それを意識することで、緊張感のある歩き方になり、緊張のあまり視線を落とすというこという写真の解読は、的外れだと僕は思ったからだ。
何しろこれは、1000分の1秒の世界。人間の目では見ることがでいない、本当にこの瞬間が存在していたのかでさえ、疑問な、「そういうふうに見える」だけの写真だ。200mmでこれだけ引きだと僕と彼女の距離は20mぐらいある。モータードライブを使っているが、連写はしていない。Eos5は、モーターの巻き上げ音は非常に小さい。彼女には絶対聞こえていない。彼女が大股で歩いているのは横断歩道ではない、車道を急いで歩いているからだ。そのしなやかな歩き方はもしかしたらダンサーなのかもしれない。そんな風に彼女の歩き方は見事だ。それは結果であった、視線が下がっていることは1000分の1秒の世界ならなんでもありえる。
この写真が演出したものだとすると、この写真をセレクトすることはないだろう。
なぜなら出きすぎ写真はリアリティがなくなるからだ。作られた写真になってしまう。この写真はできすぎなのだ。でも演出していないから意味がある。そう見えるリアリティより、存在していたというリアリティが凌駕するからだ。
だいたい演出して撮るとしたら、最低数十枚は撮り、そのなかから、美しくもあり、リアリティを感じる写真を選ぶ。思ったようにリアルに見えるようにたくさん撮る。演出した写真こそ、違う偶然性を求めている。
帽子をかぶったファッションにしても、それが演出としてならちょっと決まりすぎだ。現代のファッション写真に求められているのは、いかに人工的、演出されようが、リアルに感じらられるものが選ばれる。なぜリアルが好きか。それはもう、世界はどこにもリアルが喪失しているからだ。

対極に、現実は、決まりすぎがOKなのだ。ブレッソンの決定的瞬間だって、ブレッソンが狙っているとは思えない。それよりも、被写体に対して、心の動き、被写体の動きを、いつものやり方で捕獲する。スナップは、演出写真のように待ってくれたり、繰り返してくれはしない。だから一発撮りなのだ。そしてかつてだったら、撮った瞬間忘れてしまう。フィルムは見るまでにタイムラグがある。モノクロだったら肉眼とは違う世界が記録されている。
一枚の写真は何も語っていない。
特に止まっていない動いている瞬間のできごとは、存在しているかも疑わしい。それはあくまでカメラの目であって、人間の目ではない。
写真の真実が垣間見えるのは、一枚ではなく、数枚あるとずいぶんと見え方が変わる。因果関係がほんの少しだけれどわかるからだ。
アオザイの写真も、前後の数秒間の写真を見れば、演出したものではなく、スナップショットと理解できるだろう。そういう意味で僕は前後の写真をパノラマ状に並べてみた。

左か1と2の間に、ブレた写真がある。

この本、この証拠写真を沢木耕太郎に送りつけて数年たった。ある時、新潮社から僕宛に,著者献本があると言うのだ。「ポーカーフェイス」という本学送られてきた。軽妙なエッセイの最後の方に、「言葉もあやに」というタイトルがついたこと分がある。


―――もう10年以上も前のことになる。
出版社から一冊の本が贈られてきた。包みを開けると、中に写真と文とが一体となった、いわゆる写文集が入っていた。私はまずなにより、その表紙に強く惹きつけられた。
それはカメラマンである横木安良夫の「サイゴンの昼下がり」という本で、表紙にはホーチミンの通りで偶然スナップされたと言う白いアオザイ姿の美しい女性の写真が載っていた。私はしばらくすると、まるでその写真に吸い寄せられでもしたかのようにヴェトナムを訪れていた。
だが、ヴェトナムでは、そしてその写真が撮られたとというホーチミンでは、観光スポットのぞけば、ほとんどアオザイの姿の女性を見かけることがなかった。とりわけ普通の女性が美しいアオザイを着て通りを歩くことがない。しかし「サイゴンの昼下がり」の表紙の女性は、美しいアオザイを着ているだけではなく、洒落たストローハットもかぶっている。もしかしたらあの横木さんの写真は、演出されたものではないだろうかという疑問がわいてきた。
するとメコンデルタのある町で、今度は私が赤いアオザイを着た美しい女性と遭遇することになった。思わずカメラを構えてシャッターを切ったが、よく見ると、それは歌のビデオクリップを撮影中の女性だった。
そこで私は「一号線を北上せよ」と言う本のなかで、ついこう書いてしまったのだ。
《もしかしたら、と思ったのだ。私がこのように彼女を撮っているのと同じ状況で横木さんもあの白いアオザイの女性を撮ったのではないか。つまり彼女は単なる通行人ではなく、何か演じていたのであり、そこを偶然横木さんが通りかかって撮ることができたのではないだろうか、と思ったのだ》
それに対して横木さんは、その4年後に出した「ベトナムGXトラベラー」という本のなかでこう反論することになる。
《まさか。そんな周りが見えない写真家は写真家じゃない。演出された撮影現場とはそれぐらい特殊なものだからだ。そしてあれほど写真について語り、自らも撮っている沢木は、写真の本質が見えていないのかなとちょっと寂しく思ったのも事実だ》
実際、その本には、問題の写真の前後に撮られた写真が2枚ずつ、合計5枚のカットが載せられており、それによって彼女が「演じている人」ではなく「単なる通行人」だったということがわかるようになっている。
横木さんはとても冷静が書いているが、もしこれが逆の立場だったら、私はもっと怒りを爆発させていたかもしれにあい。いくら私が「と思ったのだ」と書いていたとしても、読む人には断定と受け取られても仕方がないものだった。どこから見ても、私に非があることは歴然としている。
いつもの私だったら、そのような曖昧なことを公言したり、書いたりすることはないはずなのに、このときは魔が差したかのように筆を滑らせてしまった。もしかしたら、そこにはあの写真への羨望、もっといえば嫉妬のようなものがあったかもしれない。それが言わなくてもいいこと、書かなくてもいいことを活字にさせてしまった…。

vol.06

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