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ロバート・キャパ最期の日

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1954年5月25日、午後3時ごろベトナム北部、紅河デルタの町タイビン郊外のタンネという場所で地雷を踏んで死んだ。手にはNIKON S が握られていたという。キャパの伝記は、リチ…
このマガジンは、ノンフィクション「ロバート・キャパ最期の日」の本文と本には載せられなかった写真など…
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記事一覧

2024年2月 原宿表参道 この写真を撮って、ふと思い出したロバート・キャパの名作。

1954年ロバート・キャパが亡くなり今年5月25日で、没80年となった。キャパの作品は、商業的目…

CRP TOKYO JR代々木駅界隈 撮影会、参加募集中 3月16日㈯、23日㈯の  12時半~5…

3月16日と23日。 JR代々木駅、西口改札12時30分集合。 昼食は各自済ませてください。 山手線周…

Landscapes like 4x5 ”シノゴな風景 01”  FUJI GFX 100 Ⅱ FUJINON 20㎜-35㎜ …

1億1000万画素の世界!とは、なんだろう。 初めて触ったデジタルカメラは、2000年、コダック…

vol.06 RobertCapa「崩れ落ち兵士」と「サイゴンの昼さがり」のアオザイの写真は、対…

vol.01 vol.02 vol.03 vol.04 vol.05 vol.06 このアオザイの写真と、そして沢木耕太郎がずっ…

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vol.05 沢木耕太郎「一号線を北上せよ」の憤慨!

vol.01 vol.02 vol.03 vol.04 vol.05 vol.06 「サイゴンの昼上がり」を読んだ沢木耕太郎は200…

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vol.04  沢木耕太郎との関係、そして「ロバート・キャパ最期の日」

vol.01 vol.02 vol.03 vol.04 vol.05 vol.06 沢木耕太郎とは、一度だけ会ったことがある。横…

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vol.03!1994年「ベトナムと出会った」はじめて自分のテーマに巡り合った。

vol.01 vol.02 vol.03 vol.04 vol.05 vol.06 1994年10月 初めてベトナムを訪れる 1994年、小説家矢作俊彦が「ベトナムに行こう」と言った。 ベトナムは、僕の世代にとって特別な国だ。 60年代から70年代にかけて、世界的に反戦運動が活発になる、 スローガンは、「ベトナム反戦」だ。 僕は、ベトナムと言う国の名前を何度叫んだろうか。 100回や200回では効かない。 ただ実際は、僕は、ベトナムの何も知らなかった。 はじめてベトナムを訪

vol.02 1985年12月 ニコンサロンで写真展を開催した。自分の写真が何か求めていた。

vol.01 vol.02 vol.03 vol.04 vol.05 vol.06 1985年12月3日~7日 横木安良夫写真展 THE DAY …

vol.01 演出したファッション写真か、それともスナップか?  フィクションかリア…

vol.01 vol.02 vol.03 vol.04 vol.05 vol.06 このアオザイの写真の初出は、1994年の暮れ、か…

サイゴンの昼下がりの秘密!ファッション写真か、スナップショットか?

★だらだらと長くなるので、連載にすることにしました。あるいみ忘備録として、自分のために書…

ロバートキャパの最期の土地が消える。2005年アーカイバル Robert Capa's final rest…

★ロバート・キャパ最期の日 INDEX ●1954年ロバート・キャパは、仏領インドシナ、ハノ…

1972年の熱海ホテル ロバート・キャパ1954年4月16日の夜宿泊。翌朝熱海のレストラン…

先日、東京書籍の担当Kさんから転送された郵便が届いた。そこには熱海ホテルのパンフレットと…

はじめに#1 noteで書く理由

ロバート・キャパ最期の日 2004年に東京書籍より出版された「ロバート・キャパ最期の日」は、 …

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はじめに#2「崩れ落ちる兵士」は、FAKEか!

答えはYES.である。But?                無料です。 この写真は広告写真なのだ! ジャーナリズムとは 、自由主義陣営のプロパガンダなのだ。 ロバート・キャパ最期の日 2004年、キャパ没50年に「ロバート・キャパの最期日」を出版した。ノンフィクションで文字主体だったので、キャパと僕の写真を交えた立体的な本を作りたいと思っていた。 写真の著作権のこともあるが、評論ということで、未公開のものも含めて、取材したものを残そうと思った。Noteはそれにふさわし