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横木安良夫写真展「BLOCKFOTO〜アレ、ブレ、ボケ、ブロック〜。2023年11月28日〜12月3日。JamPhotoGallery。12〜19時。土、日、17時まで。

Youtube ごらんください。BLOGFOTOのイメージです。⇩

https://www.instagram.com/alao_yokogi/

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写真は、雑誌や本、写真集で見ると、写真本来の魅力が伝わってくる。ところが壁に張ったり、額に入れて家に飾ると、何かちょっと違和感を感じる。なぜだろう。リアル過ぎて、その壁になかんかなじまない。いや、写真でもモノクロや、ちょっと抽象的な作品を、絵画と同じようになじんでくる。
BLOCKFOTOは、以前から偶然組成されて知っていた。意識して作ったことはなかったが、たまたまできたということだ。
この写真とも絵ともつかない、作品が壁に溶け込んでいる。
なぜだろう。

かつて我が家に、新潟の梶川の満開の桜のモノクロ写真があった。土手のこちら側も、対岸も桜に覆われている。日本一の桜の名所だったらしい。ふるさとを捨てた父親の思い出の場所だ。
当然モノクロ写真だ。額装ではなく、ハレパネにはられた大四つ切くらいの大きささで、鴨居にひもで固定されていた。
モノクロームの画面の半分近くが、
白く飛んだ桜の花で、広々とした川の対岸も雲のように埋め尽くされていた。
調べてみたら「長堤十里、日本一」の眺めだったという。
父親がなくなったあと、新潟に言ったた。
すると写真のイメージはまったくなかった。季節のせいじゃない。
梶川はコンクリートの護岸工事がされていた。
驚いたことに桜並木に覆い尽くされた風景は完全に消えていた。
1966年、1967年の水害で、その後、
すべての桜を切ってしまったとい。そんなこととは知らず、堤防に立った僕は、父の大切な風景がいまや存在していないことに悲観した。

その後、桜並木は復元され、
かつてほどではないが、梶川の桜は復活した。
写真は、こんなふうに個人の思い出や、記憶とくっついている。
他人から見れば、意味のない写真でも、本人にとっては自分の記憶の入り口だ。
ただ写真は、その現実の重さがいつものしかかってくる。
インテリアになりずらい。なまなましすぎるのだ。
そこで、BLOCKFOTOは?
と考えた。
「うん」
この「うん」意味は?



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