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重信房子との3回の接点。その一度目が、まったく存在を知ることもなかった1968年9月12日の邂逅。


1968年、昭和43年 9月12日 駿河台

人間の人生の座標軸と言うものが存在していたとすると、僕はこれまで3度重信房子とクロスしたことになる。その一度目が1968年の9月12日だ。神田でのデモのあり、印象的な黒髪の女性を無意識のうちに撮影。
二度目が昨年2022年の5月28日、彼女が20年の刑期を終えて、ニュースカメラマンのなかにまみれ、それは週刊文春に掲載された。
そしてことしの6月1日、写真展に作家の島﨑今日子さんといらっしゃった。初めて、1対1で対面したことになる。

彼女が僕に会う理由は、彼女の牢獄中の10年前に出版された、学生時代の彼女の親友だった作家の由井りょう子さんの「重信房子のいた時代」で、僕の撮った写真を表紙に使い、今回その、増補版が作られ、扉に再使用された。そしてあらたに彼女が書き下ろした「はたちの時代~60年代と私」の表紙のに、僕の写真をもとにしてイラスト化したことのお礼を兼ねてだろう。そして今後も、写真を撮らせてもらうことを約束した。

人生とは不思議なもので、人生の座標軸のなかで、多くの人、無数の人とすれ違い、向かい合い、ぶつかり合い、無関係の通りすがり、などなどそこで何もしなければ、その瞬間、その時空は消滅するものだけれど、ひとたびカメラのシャッターを押すと、その無限の邂逅が、その時空が画像として残る。だから、
僕は1968年の重信房子を意識していない。たぶんデモのなかに、サンダルを履き、ブレスレットと時計をはめた黒い長い髪に、一瞬興味を持ったのだろう。シャッターを切る。そしてその奥にいた、今度は後の少女にピントを合わせ撮る。
かつて写真集「あの日の彼 あの日の彼女」では、後ろの女性がよく写ってる方をセレクトしている。今回コンタクトプリントを見直し、重信房子にフォーカスした写真も見つけた。それが上の写真だ。

我々は、日々、無数の人と出会う。
もしかしたら再度接近遭遇することもあるだろう。
ある時、特別な人間としてであったりもする。
僕の人生のなかでも、まるで計画されたような偶然の出会いも、
思い出せばいくつもある。
写真を撮ることは、この人生の座標軸を特別な何かとして
引き寄せる力があるのかもしれない。


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