自然に従う生き方「ルオム」と「誇りある労働」
「キャンプフィールドスウィートグラス」というキャンプ場を運営するきたもっくという会社がある。
その代表の福嶋氏の「未来は自然の中にある」という書籍が興味深い内容だった。
彼らが目指しているのがフィンランド語で「自然に従う生き方」を意味する「ルオム」と「誇りある労働」だ。
「ルオム」の意味する「自然に従う」とは、「自然に対する畏敬の念」を持って接すること。
消費生活スタイルやアウトドアレジャーや自然共生のリラクゼーションといった考え方では通用しない自然と人のリアルな関係。
を踏まえた生き方だ。
単に自然に親しむとか、自然を大事にするということではなく、その厳しさを理解したうえで付き合っていくということだろう。
私自身もキャンプや登山、スキーなど、様々なアウトドアアクティビティの愛好家ではあり、自然を身近に感じ、親しみながら生活を送りたいと願ってはいるものの、それは単なるレジャーに過ぎない。自然の怖さを本当の意味で理解はできていないのかもしれない。
福嶋氏はこう言う。
スローライフとかロハスとか、オーガニックスタイルなどの言葉が(中略)浅間山麓に生きる者にとっては、どこかよそよそしい違和感があり(中略)田舎者からすれば、かなり”スカした”言葉に思えた。
私たちには、生きること、死ぬこと、地域で生活すること、働いて生計を立てること・・・について真正面で合理的でなかつ人と自然の関係を的確に表現する言葉が必要でした。
現在多くの大企業が「サステナブル」を掲げて、様々な取り組みをしているが、本当に自然の中に身を置いて生きるか死ぬかの生活を送る人々にとっては今まで流行っては消えていった言葉と同様、どこか薄っぺらいものに映るのではないだろうか。
広義のLuomu(自然に従う生き方)には、大量生産、大量消費の生活・文化スタイルや貨幣的側面が前面に押し出された価値観(中略)に対置される「持続可能な循環型社会」の発展的未来像が示されています。
「サステナブル」を唱える企業は本当に大量生産、大量消費から脱却した新しいビジネスモデルを志向しているのだろうか?これまでのビジネスモデルを前提として、マーケティングの一環として「サステナブル」を謳っているいるだけになっていないだろうか?本当の意味でサステナブルな活動というのは何なのか考えさせられる。
そしてもう一つ彼らが目指すのが「誇りある労働」だ。
「誇りある労働」をこう説明している。
心のこもった責任ある労働、個人にとっても、チームにとっても蓄積される労働。複雑な社会にあって、役割と立ち位置が確認できる労働。次世代につなぐ意思が貫かれている労働です。
その背景にあるのは長時間労働と共働きで生計を維持し、物は溢れても貧しい生活スタイルに対する疑問である。
現代社会が働くこと(労働)の意味を見失い、”仕事よりも余暇や遊び”を重視し、”生産よりも消費だ”とばかりに目眩しのごとく溢れ出る商品の渦に惑わされる現実は、どこか歪んで健全さを失った社会に映るのです。
デビッド・グレーバー著「ブルシット・ジョブ」によると、英国やオランダでは4割の労働者が自分の仕事を無意味と回答したという。私たちを働かせるためだけの何の意味もないブルシット・ジョブ=クソどうでもいい仕事が蔓延しているのだ。
ルオムを送りながら誇りある労働をする、それが我々の目指す未来であり、それは自然の中にこそある、というきたもっくの考えには共感できる部分もある。
ただ、残念ながらきたもっくで具体的にどのような働き方を実現しているのかは本書においては示されてはいない。自然の中においては当然週休2日・1日8時間労働といった現代の労働時間の概念は当てはまらないであろうし、働く側にとってもまったくこれまでとは違った概念がもとめられてくるのではないだろうか。
果たして都会に暮らし、大量生産、大量消費を謳歌してきた我々に、新しい働き方、新しいビジネスモデルを含めた新しい未来を実現することができるのか、考えさせられる。
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