いかに終わりを全うするか
北尾吉孝氏の「実践版安岡正篤」は安岡正篤の「人間学」を中心に、リーダーがいかに学び、いかに生きるべきかを説いた本だ。
その中でも私が印象に残ったのは、最終章近くの「いかに終わりを全うするか」というくだり。
死に対する姿勢を語る過去の偉人の言葉がいくつか紹介されている。
「人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。」(吉田兼好『徒然草』)
「人は少壮の時にあたりては、惜陰を知らず。四十を過ぎて以後始めて惜陰を知る。」(佐藤一斎『言志録』)
「昨日の発句は今日の辞世、今日の発句は明日の辞世、わが生涯の一句として辞世ならざるなし」(松尾芭蕉)
北尾氏は父親を無くした経験を通じて命に愛惜をもって生きることを決意したと言う。
私も30代で父を亡くした。
パーキンソン病で最後は言葉も出なくなっていた。
会社員生活では報われることなく、晩年は愚痴ばかりこぼしていたが、死に際して父が自分の人生にどのような想いを抱いていたのか知る由もない。
ただ、会社員生活のリベンジとばかりに、病に倒れるまで司法試験の勉強を続けていた父は、おそらく人一倍生への愛惜を持って生きていたに違いない。
父が亡くなってはや8年。
父の願いにも想いを馳せながら生きていきたい。
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