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Groundhog day

今日2月2日はGroundhog day. 北米では春の訪れを占う日、ということになっている。日本では3月5日ごろに啓蟄があるが、これの北米版であろうか。
さて、このGroundhogというのはリスの仲間。もともとドイツ移民が、春の音連れをアナグマで占ったことがきっかけで、この祭りが広まったとされている。
別にこの日が特別というわけではないけれど、この日をテーマにした映画“Groundhog day”というのがある。ビル・マレー(ゴーストバスターズの)とアンディ・マクダウエル(セックスと嘘とビデオテープの)が主演のコメディー映画(1993)。以前紹介した「読んでいない本について堂々と語る方法」という本の中で、この映画のことが取り上げられていた。まあ、「見ていない映画について堂々と語る方法」でもいいのだけれど、この映画の日本のタイトルは「恋はデジャ・ブ」。
TVレポーターのビル・マレーが、Groundhog dayの取材に来た田舎町で、超常現象で閉じた時間の中に取り残されてしまう。田舎町の退屈な祭の日を際限なく、おそらく何万回と繰り返すはめに。そして、マクダウエル演じるTVプロヂューサーが好きになるのだが、マレーには記憶がのこり、マクダウエルは記憶が残らない。つまりマレーは、マクダウエルの読書や映画や食べ物の好みをすべて把握することが、繰り返すことで知り得る。ということは非常に有利な立場にたてるはずなのだ。
果たして私たちは、同じ日を繰り返すことによって成長できるのだろうか?成長ってなんだろう。人格の成長って繰り返しで可能なのか。
若い時だったら、様々なスキルを繰り返しでものにすることは容易だろう。例えば楽器や語学だ。私も若いころもっとまじめに繰り返していればピアノもバイオリンももっと上手になれるチャンスはあったのかもしれない。自転車のスキルやレースでの体力も同じ。チャンスはあったのだけれども、やらなかった。
年を取ってみると、楽器や語学やスポーツの上達には限界がある。以前のような高速では身につかないし、忘れることも多くなる。
そして、人格。若いころも時々「より良い人になる」ためにいろんなことを試してみたことはあった。同じような日々を365x58、つまりもう2万回以上繰り返したという事実がある。残りの繰り返し可能数は、今までの半分もないだろうなあ。
より良い人になるための繰り返しってなんだろう。きっと着実に日々を生きて慌てずに死んでいくことなんだろうなあ。
Groundhog dayにそんなことを考えた。

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