ちょっとした魔法
まあ最初に思い出すのは東京大空襲だな、東京の下町で産まれてちっちゃい時のソレが一番頭に残ってるねえ。
子供の頃はまあ絵が好きだったからね絵を描いたり観たりしてたよ、勉強は適当、ほどほど。
それから学生時代は学生運動だねえ、ほら大空襲経験してるからさアメリカ大嫌いなのよ、裕福な国よりみんなの国の方が良いと思ったしな。
大学出てデザインの会社に入ってさ毎日楽しかったよ、世は高度成長期真っ只中だろう… 空気に勢いと上昇気流を感じんだわな、資本主義社会バンザーイてか(笑)
ママと会ったのは会社入って3年目位かなソウルメイトだと確信したね、付き合ってすぐ結婚したよ、結婚してママのお義母さんと三人暮らしになって楽しかったな、お義母さん関西のオチャメな人だったしね、ママは良く喋る俺は寡黙、オチャメ関西婆ちゃんのバランスが何気に良かったんだろな。
それですぐ長女ちゃんが産まれたんだよ、可愛くて可愛くてそれで凄く凄く良い娘だったわ。
長女ちゃん産まれて4年後かな次女が産まれたよ、ちょっと変わった娘なんで色々と大変だったみたいママ達は。
次女の事はお義母さんとママに任せっぱなしにして俺は悪い夫、俺は仕事から帰ってきて寝るだけだったしな。
そんな毎日だったなあ、思い出すと、たまには旅行やなんかも行ったけれどもママの発案だからなほとんど、ほんと悪い夫。
長女ちゃんが大学行くんで一人暮らしを始めて出てったんだよな、俺は凄く寂しかったな。
俺は仕事適当にやってただけだけど最後は社長で腕を奮ったよ。
次女の事はさしょうがない、本能だから、出来ないもんは出来ない、欲しいもんは欲しい、願いが叶わなければ泣く、泣いたって仕方が無くても泣く、集中力も無いから勉強も何も駄目。
それから長女ちゃんが結婚したんだよ、いいヤツとな。 まあ長女ちゃんママ嫌いだったから中々夫婦でウチに遊びに来てくれる事が無かったのが凄く残念、心残りだな。
それから俺が定年になって近くに趣味のアトリエ用のマンション買ってさ、油絵三昧と時々ママと次女連れて旅行行ったりとかさ、時々赤旗配ったりとかさ、適当に暮らしてたんだよ、そんなこんな適当に続いてた… それから入院したお義母さんが急死してせめてもの想いでキレイな景色の良い丘の上にお墓を買ってそこに入ってもらったよ。
お義母さん死んでから間もなく俺調子悪かったから病院で検査してもらった、したっけ俺末期癌だった。
俺は死ぬ前の日に長女ちゃん夫婦を俺が入院してる大学病院に呼んだんだ、何を言うでもなく「ママが万が一の時は次女の事頼むな」って2人のオデコにコツンコツンと拳で軽く叩いて魔法をかけといたんだよ。 アレは独りで生きてけないからな。
まあ大丈夫よ、解ってくれたと思う二人とも(長女ちゃん夫婦)キレイだから、心が。
で次の日に俺は召されたワケさ。
以上かな俺の昨日までの話は。
月に行かせて(笑