『今、出来る、精一杯』と伊藤万理華について。乃木坂46ファンなら千秋楽の当日券に走ってほしい、チケットの保証はできないけど。
根本宗子 作/演出の『今、出来る、精一杯』を観てきた。伊藤万理華を篠崎ななみ役に向かえて再演された舞台。
まず、この舞台への感想から。
根本宗子が得意とする「バックヤード」という舞台設定、(『今、出来る、精一杯』はスーパーマーケット、『プレイハウス』はソープランドのバックヤードが舞台だった)は人の「よそいき」(オン)と「自然体」(オフ)の間に位置する空間である。だからこそ、人が逡巡しもっとも感情のひだがくっきりと見える場になる。このオリジナルかつ射程が長い設定がいい。
伊藤が演じるのはスーパー『ママズキッチン』で働く20歳のアルバイト。頭頂部の髪が薄くなってきたことに悩む店長と付き合っている。この役を伊藤自身は「まだ子供だから、なにかを訴えるときもストレートに言うことしかできな」いキャラクターだと語っている。(パンフレットより)
そんな「子供」な彼女は、彼氏である一回り以上年上の店長と同僚の女性が特殊な関係にあることを知り、悩む。その悩みそれ自体が自らが「子供」であること故のものであると知りまた悩む、そんな「面倒くささ」と周囲との折り合いを探っていく。
「その面倒くささは、他人からすると現実じゃないんだよ。」
上のセリフは根本宗子が演じた長谷川未来のものなのだが、この作品に横たわる「面倒くささ」というテーマは伊藤万理華がアイドルだった頃に孕んでいたことそのものだった。
伊藤万理華が乃木坂46に所属していた頃の作品については、彼女が毎回アーティストと対談する『MdN』の巻末連載を担当していたライターの香月氏が書いた以下の記事に端的にまとめている。
そもそも、伊藤万理華という存在が乃木坂ファンに周知されはじめたきっかけは「個人PV」を通じてだった。個人PVとはシングルCDの特典DVDに収録されているもので、乃木坂46の各メンバーと映像作家がタッグを組みひとつの作品を創り上げるというもの。
伊藤はそのキャリアの序盤で、先日『100 YEARS TRAIN|相鉄都心直通記念ムービー』が話題になった柳沢翔とタッグを組んだ。伊藤万理華×柳沢翔の『ナイフ』はファンのなかで話題になった。
(▲『ナイフ』伊藤万理華×柳沢翔)
(▲『100 YEARS TRAIN|相鉄都心直通記念ムービー』)
伊藤自身にも個人PVに対する手応えはあったようであり、インタビューでは以下のように語っている。
-個人PVが自分にとって武器になるかもと思ったりはしましたか? 万理華 それはもう、最初の頃からです。その頃は、武器になるとまで思っていたわけじゃないけど、個人PVがシングルリリースごとにあるんだったら、私は乃木坂46で生きていけるという感じ。 (『伊藤万理華が乃木坂に残したクリエイティブ』MdN 2018年1月号vol.285特別付録小冊子 より)
しかし、そのクリエイティビティーの高さがそのままファンの評価に繋がりはしなかった。
自信なんてない。不安定な歌声。「なんでアイドルに?」アイドルになったのがずっとずっとコンプレックスだった。でも、「味、味」ってあなたが言ってくれたから。あなたがあの日言ってくれたから。ファッションも趣味も全然アイドルっぽくなくて。こんな変な私だけど見つけてくれてありがとう。どうして私を選んだの?どこから巡ってたどり着いたの?どうしてそんなに優しく笑ってくれるの?
彼女のグループ卒業における記念碑的位置付けだった『伊藤万理華の脳内博覧会』でリリースされた映像、『はじまりか、』で以上のように、アイドル時代をまとめている。
誤解を恐れず言い切ると、おそらく乃木坂ファンからすると彼女は「面倒くさい」存在だっただろう。いわゆる「乃木坂らしさ」とはずれた存在だった。(アルバム『それぞれの椅子』の発売年、2016年にはこの「らしさ」がしきりに強調された)アイドルは往々にして「瞬間最大風速」を求められる。その象徴が、アイドルとファンが約5秒の間に行う「握手」というコミュニケーションである。伊藤万理華は明らかにこのシステムに不似合いであった。
『今、出来る、精一杯』は伊藤万理華がグループ卒業後はじめて挑んだ舞台である。今回、改めて伊藤万理華について書いたのは、繰り返しになるが演目のテーマである「面倒くささ」は彼女がアイドル時代に結果的に引き受けざるを得なかったそのものであるからだ。
だから、ぜひ乃木坂ファンは『今、出来る、精一杯』の千秋楽の当日券に走ってほしい。
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