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分断なんて乗り越えられない〜『パラサイト 半地下の家族』と『アトランタ』〜

まさか土曜日の朝、両親に「今日は『パラサイト』観に行こう」なんて言われるとは思わなかった。びっくりするだろう。起きたばかりの時間に家族から『パラサイト』なんて禍々しい単語が発されるなんて。

そもそもなんの映画か知ってる?と訪ねようと思ったのだけれども、どうやら「王様のブランチ」でLiLiCoが紹介しているのを観たらしい。ブランチの影響力たるや。

そんなこんなで、観終えた後の感想はバラバラだった。そりゃそうなる。だって、これは分断の映画を観たあとだから。

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(極力ネタバレを避けて書くが、これだけは言いたい。「ネタバレ厳禁」という煽り文句はこの映画にはあまり適さない。)

この映画は先ほど記したように、分断の映画だ。

まず、富を持つものと持たざるもの。強調されるのは、それぞれの認識の差異だ。持たざる者たちである半地下の家族(家庭教師の長男ギウ、美術療法士の長女ギジョン、運転手の父ギテク、家政婦の母チュンスク)は富める家族(IT社長パク・ドンイクを中心とした4人家族。半地下の家族と家族構成はほぼ同じだ。)に強烈な関心を抱くのだが、逆に富める家族は半地下の家族に関心を持たない。

だから、半地下の家族が経歴や名前を偽っていても簡単に騙されるし、そのズレが前半の奇妙な笑いを呼ぶ。

それぞれの人物を家庭教師や運転手、家政婦としての実力と性格でしか彼らをジャッジできない。そして富める家族の父である社長と長男は、半地下の家族たちから漂う「匂い」に気がつくのだが、それがなんの匂いであるか想像もつかない。薄暗くジメジメした半地下の匂いを彼らは経験したことがないのだから。このように、分断ゆえに起こる「わかりあえなさ」が蓄積されていきながらラストへと向かっていく。

この映画の優れた部分は、ただの富裕層と貧困層の二項対立ではないところだ。あらゆる分断が重層的に描かれる。それぞれの家族の中で起こる価値観の分断、親の世代と子の世代の間の分断、貧しくてもプライドを捨てない者たちと貧しさゆえにプライドを捨てて生きる者の分断。それらの価値観が、作品内で幾度となくすれ違い合う。画面内の風景も、平地と高台、家の中と外、というように「分断」を連想させる。

様々な分断と、それゆえ巻き起こる不快な感情。それらが交錯した瞬間に起こる悲劇的なことが、この映画のクライマックスであるのは必然のように思える。

『パラサイト』の根幹を成す「重層的な分断」は、今世界で起こり続けていることである。同じ国に住んでいてもいがみ合い、その外の国ともいがみ合う。もっと小さな単位でいえば個人の生活や思考がSNSで可視化されることで、友人知人同士の中でもわかりやすい分断が生まれる。これは隣国のフィクションでありながら、分断を重層的に描くことで、今この世の中を、生活を射る作品になっているのである。

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さて、貧困から生まれる分断をユーモアたっぷりに、かつシニカルに淡々と描いた映像作品といえばドナルド・グローヴァー(チャイルディッシュ・ガンビーノ)とヒロ・ムライによるドラマシリーズ「アトランタ」である。

ドナルドが演じるアーネストは、才能がありながらも学歴や仕事に恵まれずアトランタの保険マンとして働いていた。しかしいとこのラッパー、ペーパー・ボーイがヒップホップアーティストとして注目されてることを知り、半ば寄生のような形でマネージャーとして活動を始める。そこでアーネストは貧困による犯罪や黒人差別、そして同じ黒人の中での差別や対立に巻き込まれていく。

アーネストの経歴やこの作品の中で重層的に描かれる分断は、アトランタというローカルな土地を舞台にしながらも、「パラサイト」と共通する奇妙な笑いと社会への批評性を孕んでいる。

特に邦題で「略奪の季節」というサブタイトルがつけられたシーズン2では、分断によって起こる差別と暴力を過剰なまでに描き、各話を観終えるたびに、静かな後味の悪さを感じる。

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「パラサイト」と「アトランタ」が最後に行き着く結論は異なる。しかしそこには「分断の時代」に通底する「抜け出せない」ことへの絶望感が描かれている。

「パラサイト」の半地下の家族は、分断から生まれた悲劇に遭ったことで、今まで完全にはわかりあうことのなかった家族へのエンパシーと愛情に目覚める。そして、まっとうな道から立身出世を目指し、分断された社会をサバイブすることを決意する。しかし、やけに綺麗な未来への想像のシーンが示唆しているのは、その夢が到底叶うことはない、そして貧しさや分断を乗り越えることはできない、という絶望感だ。

一方「アトランタ」のアーネストは、ペーパー・ボーイのマネージャーをクビになる直前、ワールドツアーに向かう次のマネージャー候補のカバンに拳銃を入れる。空港に向かった新しいマネージャーはその場で取り押さえられ、アーネストは自らのポジションを保つことに成功する。いわばイリーガルな方法で分断の時代をサバイブしようとするのである。しかし、最後のカットで映し出されるアーネストとペーパー・ボーイの顔には笑顔はない。ただただ、冷めた表情をしているだけだ。

正しい道でも、正しくない道でも、貧困や世代、思想による価値観の分断は乗り越えられない。ならば、我々はどうすればいいのか?

悲劇的な状況に向かいつつある現実の世の中をただ見つめながら、手をこまねくしかないのかもしれない、などと考えると少しヒヤリとする。

(ボブ)

【今週の一枚】

『Children's Story』Marukido

カルト宗教、援助交際、パパ活、ブラック労働、AV業界、メンタルヘルス。あらゆる世の中の貧困と悲劇を、わざと媚びたような声でラップするMarukidoは本人曰く「世の中へのビーフ」を仕掛けている。世の中を射つようなポップカルチャーが、もっと増えればいいよね。

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