見出し画像

良い患者さんでいようとしてるでしょ?

日本人女性として生まれ、親や社会に認めてもらえず引け目ばかり感じて来た自分にとって、「人にどう思われるか」を考えずに何か行動を起こすことがこれほどにまで難しいことなのかと、特にここ数年は心底呆れるほど思い知りました。あまりそういった概念を持たない海外育ちの友人たちに、何度も何度も「気にしなくて良いんだよ」と優しく言ってもらってもなかなか変えられず、それでも諦めずに声をかけてくれる友人たちには日々頭が下がる思いです。

相手と意見が合わず拒絶されるよりは、自分の意見を出さずに相手に合わせた方が衝突が少なく済むから自分から提案することがあまりなかったり、自分の決定に自信がないし相手の気分を害したくないから本心を言わなかったり…そもそもこれまで自分に「決定権」があると思ったことがないことに気づきました。物心のついた頃からずっと、本当にずっと親や先生の言うことにきちんと従う手のかからない良い子でい続けて来ました。

「もし今私が魔法の杖を持っていたとして、一振りで君の劣等感を完全に消し去ったとしたら、君の行動はどう変わると思う?」

カウンセリング中、先生から不意に問われ、全く想像ができず頭が空っぽになりました。本当になんの言葉もイメージも浮かばず、私が黙って目を泳がせていると先生が助け舟。「例えば、いつもランチのメニューは相手に決めてもらうと言ったよね?劣等感が消えたらもっと自分が何を食べたいか気にせず相手に伝えられるようになる?」そう、私はランチのメニューさえ気を遣って自分から提案できない…それはきっとその考え方が変わればもっと自分から決定を促したり提案したりできるだろうし、気軽に人を誘ったり、自分の気持ちをもっと自由に表現できるようになると思います、と答えました。

先生曰く、生まれてこの方ずっと持ち続けて来た私の考え方を変えることはとても難しいことなのだそう。例えば「昼寝をしたい」と思った時に、私には「怠けてはいけない」「もっと効率良く時間を使って少しでも仕事を進めたい」という気持ちが先に立って昼寝をするに至らない。

「でも昼寝は怠けていると言うのは君の意見であって、一般的に必ずしもそうという訳ではないよね?頭や体を休めた方がその後もっと効率的に動けるかも知れないし、何より自分自身がそれを望んでいるならば必要なことだよね」

確かに、行動を起こそうとしても自分の偏った認知が邪魔をして全く実現しない。そしてただ認知を変えようとすることがどんなに難しいかは、冒頭で述べた通り自分でもよく分かっています。

「だから考える前に動く。どんなに罪悪感や不安が襲って来ても、決めたことをやってみる。それを繰り返すうちに認知が修正されて、行動を起こすことが当たり前になって行く。最初は怖いのはもちろんだし、時間はかかるかも知れないけど、小さな一歩からこつこつ進むことがとても大事なんだよ」

宿題のワーク(リンクを参照)の「自分自身にとって意味があって満足の行く近いゴール」がつまり具体的な行動に当たる訳ですが、私はまだまだそこが抽象的なまま。毎週何回やったか数えられるようなものが良いのに「もっと自分のために時間を使う」とか、ほとんど漠然としたものしか出せませんでした。

具体的にするってとても難しくて…と申し訳なさそうに呟いた私に先生は、

「ほら、ここでも良い患者さんでいようとしてるでしょ?これは元々難しい作業なんだから。最初からすらすら書ける人なんてほとんどいないよ」

その言葉、図星すぎてなんだか安心してしまったぐらいです。思えば友人に最初にカウンセリングを勧められたのはもう二年以上も前。ちゃんと自分の気持ちや考え方を外国語で話す自信が全くありませんでした。でも言語の問題ではなく、自分を表現するには子どもの頃からの積み重ねが必要。その実績が私には無さすぎる。そして、みんながみんなできることではないのです。

「カウンセリングに行く、は具体的な行動の一つだね。君はもう既に一歩進んでいる。怖いと思うのは当たり前だよ。だから少しずつね」

その先生の言葉に背中を押され、その日も穏やかな気持ちで診療所を後にしたのでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?