今日も変わらない街並みを嫌って
私にとって、普遍や不変、安定とは退屈そのものだ。
都会と違い、どうも田舎の街並みは移り変わりが少ない。
ただ、問題なのは街の新陳代謝の速度ではない。問題なのは、街の景色や友人関係に慣れてしまう「私」である。
変わらない街並みを嫌うのは、内部変動が失われた「自分」に対するコンプレックスの表象だ。
そう考えると、環境の充実感や友人関係の多忙さに感けて、”内部変動”の緩やかな衰退を見殺しにする人は退屈そのものだ。
変わらない街並みの中で、毎日色の変わる日常を生きるというのは、とてもエネルギーのいる事だ。
先週は街を詩的な目で見つめて歩き、今週は街を社会学的に分析し、来週は街を絵画のように捉え、・・・等々。
これらは、環境の変化に頼って達成できる事ではない。
反対に、自分で何か動いているつもりでも、その実、内部変動がほとんど起きていない人々も腐るほど見てきた。
例えば、脊髄反射で起業セミナーに出る人。SNSのために旅行に飛び回る人。広い交友関係で飲み会を繰り返す人。
”退屈さ”とは、どこに問題の所在があるのだろうか。
そんな事を考えながら、今日も変わらぬ街並みを愛して、新たな旅を続けて行く。
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