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危険ピン

「女にしてはなかなかやるじゃねえか、ビッチ」

 中年サラリマンのカスヒロは鋲付きロッドに付いていた血を振り払い、目の前にしゃがんでいる女向かって言った。シートも吊り側もない殺風景な車内に、血まみれたスーツ姿の男女たちが床に倒れている。通勤時間のパージ車両にありふれた光景である。

 パージ車両、それは令和になっても解決できない痴漢問題と冤罪問題で煮えたぎていた市民の情緒をなだめるため、政府が考案した物である。山手線に走る電車にパージ車両を挟み、100cm以下の刃物と鈍器の持ち込みは許可され、乗車から降車まで、車両ないの行われた犯罪行為は全部不問とする上にあらゆる公権力は車内行為に介入できない。発表当時はかなりの騒ぎになって各方から抗議を浴びつつも、与党が人数優勢で強引に法案を通過させ、JR東日本に携わってパージ車両を実現した(シート、荷物置きとエアコンなどを外し、中の様子が見られないように車窓を鉄板に変えるだけだが)。そしてパージ車両運営当日、始発電車のパージ車両に乗り込んだ命知らずが数人もいた。

『当初はそうですね……みんな互いを見てるだけで様子を伺うだけでした。やっぱ本当に人を(ト)ることに躊躇しちゃいますもんね』『そしたら着物の爺さんが「では始めましょうか」と言って刀を抜くと、いきなり隣いるサラリーマンの頭を撥ねたんですよ』『それを合図みたいに皆武器を持って(ト)り合い始めました』『僕は自分の命を守るだけで精一杯でしたね』『もう二度と乗りたくないすね』(男性/20代/会社員)

『あれ以来試刀の的に困らんわ』『やはりね、刀は対人武器だから、人間で試すのが一番』『(総理が)いい仕事してくれた』(男性/60代/剣道師範)

『怖かったけど、友達と一緒に乗って、協力して大きな男はも(ト)れた』『めっちゃさっぱりしましたね。自信も付けました』『また乗りたいです、ヘヘッ』(女性/30代/飲食業)

『俺は外国人とオタクを標的にしてパージしている』『いらん物をパージできる良いシステム』『血みどろの先に、この国がもう一度偉大になる』(男性/40代/フリーランス)

『The purge train just soooo cool』『Yeah we enjoyed it』『Thank you Japanese! I'll purge a lot to show how I appreciate 』(女性/イギリス人観光客)

 肯定と否定の意見が飛び交う中、パージ車両はサービス開始から半年経った。もはや誰もホームに投げ出される死体に驚かなくなり、パージ車両利用者たちが駅のトイレでマスクや防具で自分を武装し、降車後またトイレで血まみれの服を着替えて出社する。パージ車両は市民の生活に溶け込んだ。

 パージ車両の常連に疎まれることが嫌いでマスク(お面)を被る者も居れば、パージ車両経験をステータスだと考え、あえて素顔を晒したまま車両に乗る者も居た。カスヒロはその一人だ。結婚し、二人の子供ができた以来、趣味のビリヤードをやめ、仕事、家族、ローン返済がすべてだった彼だが、パージ車両に乗って初めて自分を解放できた。ムカつく若者を泣かせて殴り殺し、女を完膚なきまで凌辱した。ストレスの吐け口を得た彼は昔よりさらに仕事と家事に精を出し、他人からどう見ても模範的な社員と父親でになったと同時に、その残酷なパージっぷりからいつか「サラリンチマン」というあだ名を付けられ、カスヒロは猫の群れに混じったジャガーの如く、周囲に畏怖される存在でもあった。

「俺が降りるまでまた駅二つだ。さて楽しいことしようか」

 カスヒロは昔のドラマの悪い警察官みたいにロッドで自分の左掌をパッ、パッと音立てて叩いた。

「安心しろ、俺はこの状況で勃てる変態ではない、だたこの棒ロッドを下の穴に突っ込んでこれから毎回おしっこする時俺のこと思い出させるだけだ」

 嗜虐の笑顔を浮かべるカスヒロ!しかし女は静かに、憎悪に燃えている瞳で睨み返した。

「……わたしは誓った。もう二度とお前らのようなクズ男に負けないと」

「おいおい、強がるなよ。右手は骨折したし、ご自慢の長ドスも折れた。きみは十分に頑張ったと思うぜ?むしろ今頃泣きわめいていないことで褒めてやりたいんぐらいだよ。だから棒を突っ込ませることで命を助けてやる、悪くない相談だろ?」

「……すみませんお婆ちゃん、奥の手を使います」

 女ほそう言い、また無事の左手でズボンにつけていた安全ピンを外した。

「おお、安全ピンか?懐かしいね~パージ車両が作られた原因の一つだ。で、どうする?あれで俺をなんとかできるっていうの?」カスヒロはロッドを右手で持って前方に突き出し、左手を腰の後ろに当て、クォーターコンバットの構えを取った。「いいよいいよ、きみみたいな気が強い子、おじさん好きだよ。頭ぶっ叩いてミンチにしてヤラァ!」 

 暴力的興奮で目を見開くカスヒロ!しかし女は動じず、カスヒロに向かって安全ピンを投げた。そして叫んだ。

「目を覚ませ!危険ピン!」

『デンジャラス』

 言葉に反応した安全ピンが空中で変形し始めた。針がうねりがながら伸ばし、まるで精子が巨大化したような形になった。

「なんだ!?」飛んでくる面妖な物体を撃墜せんとロッドを振り下ろしたカスヒロ、しかしピンはロッドに取りつき、長虫の動きで棒を這いずり、カスヒロのシャツの隙間に侵入した!

「イッデェ!どうなってやがる!?」

 異物に触られている不快感と痛みでカスヒロが慌てて何回も自分の腕を叩いた、体を這いずり回す虫を叩き殺すように。

「擬態鉄線虫の”危険ピン”だッ!」女は片膝立ち姿勢でカスヒロを指差し、凛とした声で言い放った。「もう静脈からおまえの循環システムに侵入した!行先は、おまえの”心臓”だっ!」

「そんなバカなことがっ」

 カスヒロはシャツを乱暴に脱ぎ捨てた。そして悪夢のような光景を見た。右手の肘裏に何かが血管の中で暴れて這い上がっている。カスヒロは背筋が凍えた感覚を覚えた。

「クソ!クソクソクソクソーッ!おい女!こいつを止めろくれぇ!たのむ!」

「お前は今まで、命乞いする者を見逃したことがあるのか?恐怖に飲まれて心停止しろ!

「アアアアアー!!!?」

🚃

『二番線に、電車が参ります。ご注意ください』

 新宿駅。電車がゆっくりホームに入った。一般利用客がポージ乗車口に並んでいる武器が入った長いバッグを持った殺気立つ三人組を横目で見、このあと起こるパージ光景を想像して唾を飲んだ。

プシュー……カドゥーン……モーター音共にドアが開き、中から男の死体が排出された。恐怖で歪んだ顔はそのまま固まっている。

「ウオッ!なんだ?」「おい、こいつ、サラリンチマンじゃね?」「マジ?誰にやられた?」

 三人は車内に視線を移した。唯一の生き残ったスポーツウェアの上にフードパーカーを着た女が挑発的に手招きした。

「……なあ、ここはやめて次の電車に乗ろうか」「そうだな」「サラリンチマンを(ト)った奴にちょっかい出すのはまずい」

『発車いたしまーす。ご注意くださーい』

 ガクゴーン、ドアが閉め、電車が緩やかに加速し、鋼鉄の棺めいたパージ車両を運んでいく。

(終わり)

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