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宅浪生活で自分の輪郭があいまいになった10代のころの気づき

高校を卒業してからの一年間、私は群馬の田舎で自宅浪人生活を送っていました。初めての一人暮らし、初めての所属なし期間。ふと、変な感覚に襲われた話です。

ひとりぼっちでの自宅浪人生活の始まり

女手一つでいくつもの仕事を掛け持ちしながら私たち姉妹を育ててくれた母は、とてもパワフルな女性です。次女の私が高校を卒業したら「子育てモード」から「自己実現モード」にシフトチェンジするぞと、一年以上かけて計画を立てていました。私が大学受験に失敗してもその計画は覆らず、私の高校卒業とともに、中国に夢を追いかけ旅立っていきました。

私に残されたのは、群馬の田舎の一戸建てと、庭で飼っていた老犬(かわいい)と、母が乗っていた軽自動車と、お菓子の空き缶に無造作に置かれた生活費20万円でした。

自宅で塾を開いていた母の紹介で家庭教師のバイト先を確保し、週2で家庭教師をしながら、自宅で受験勉強と犬の散歩をするのが私の日常でした。

大学受験の話、母との関係性はこちらの記事でも書いています。

自由な時間を満喫し始めた

この話を誰かに伝えると「大変だったね」「苦労したでしょ」と言われることが多いのですが、生活自体が大変だと思ったことはなく、むしろ一人暮らしを満喫していました。

一日の勉強時間はストップウォッチで管理し、大体6時間/日を目標にしていました。となると8時間寝ても10時間以上も自由時間があります。

朝はのんびりラジオを聴きながらコーヒーを飲み、涼しいうちに犬の散歩します。昼間は母が塾の教室として使っていた8畳の部屋を広々使い、いくつもある長机に参考書をぶちまけて勉強。飽きると軽自動車に乗ってスーパーに買い出しに行き、夜は中学生の家庭教師をして、家に帰ったら寝るような日々でした。(ちなみに当時はスマホもない時代。自宅の古いPCもほぼ使っていませんでした)

もちろん資金は潤沢にはないので節約生活にはなりますが、野菜はこの八百屋、惣菜はあそこのスーパーが安いなどと考えながらいくつものスーパーをめぐるのも楽しかったし、安いそうめんを美味しく食べる工夫もたくさん知れたし、犬は可愛いし、一人暮らしの小さな試行錯誤をむしろ楽しんでいました。

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浪人時代の相棒。私の上京後はおばあちゃんにお世話をしてもらって、20年以上の大往生をした。もしゃもしゃで目がクリンクリンで可愛い。

決まった時間に決まった服を来て学校に行き、決まったカリキュラムで勉強するより、私には性にあっていました。

「このままで合格できるのだろうか」「私の人生どうなっちゃうんだろう」と、時折どうしようもない不安に襲われることもありましたが、そんな時はラジオを聞きながら夜のバイパスを軽自動車であてもなく走り、気を紛らわせたりしていました。

自分の輪郭があいまいになる感覚

集団生活を送っていると、どうしても場の空気を読んだり、人に気を遣ったりする場面が出てきます。私が通っていた高校の友人は素晴らしい人たちばかりで、煩わしい人間関係なんて皆無でしたが、それでも制服の着こなし一つとっても、通学バック一つとっても「これってダサいと思われないかな?」と気を配ったりはしていました。

「他者の目」から解放されるとこんなに楽なんだ...!!

寝癖だって気にしなくてもいいし、パジャマのまま一日を過ごしてもいい。みんなが聴いている音楽を聴かなくてもいいし、みんなが観てるTV番組を観なくてもいい。最初はその気兼ねのなさにシンプルに感動しました。

その日はとっても天気の良い日でした。

日が差し込むリビングで、窓の外からわずかに漏れ聞こえてくる近所の雑音をBGMに、コーヒーを飲んでボーッとしていました。

すると、ふと「私って本当にこの場に存在しているのかな?」という気持ちに襲われました。自分をまとっている、おだやかな光や雑音、空気に、自分の輪郭が溶けだしていくような感覚です。自分の輪郭を確かめるように、「あ、あーー」と、間抜けな声を発してみたりもしました。

私らしさは私が作ってたものではなかったという発見

「あれ、なんでこんなに自分の輪郭があいまいなんだろう」「そもそも自分の輪郭ってなんなんだろう」「自分ってどんな人だっけ?」そんなことを考え始めました(受験生勉強してよ)。

「自分ってどんな人だっけ?」と考えて思い出すのは、常に集団の中の自分の記憶でした。

みんなが休み時間にこんなことをしていたから、私がこう発言したら、みんなが笑って場が盛り上がった。=私って盛り上げ役だよなぁ

こっそりピアスを開けた次の日の学校で、体育の授業中に体操着が血で真っ赤になってバレて怒られた。=私ってちょっと不良っぽいこともやっちゃえるタイプ

(書いてて本当に自意識過剰で恥ずかしいのですが、思春期真っ只中の10代だったので許してください)

でも、それって、私がどういう人間なのかって話ではなくて、、、

「私がこういうアクションをとったら周りがこう反応してくれた」って記録でしかない、とすぐに気付きました。

あーーーーー!私が私らしさだと感じていたものは、全て周囲の反応ありきだったんだ!とその時初めて理解しました。そりゃ、誰とも話さず、一人で過ごしていたら、今まで私が私らしさだと思っていたものを見失うのも当たり前だよな、と。

もっというと、私のアクション自体も、周囲のシチュエーションありきでしかなかったわけです。行動を起こす熱量になりうる、憤りや、悲しみや、興奮や、喜びは、一人きりでは絶対に感じられないものでした。

実際に、一人で自由に過ごせばいいだけの私の日常は、ラジオ聴いて、コーヒー飲んで、ご飯食べて、ちょっと家事をする、そんなありきたりで穏やかな事象しか起こりませんでした。

自分のことを、ちょっと個性的で、活発で、ムードメーカーだと思っていた少し前までの自分が猛烈に恥ずかしくなる一方で、猛烈に恋しくなりました。

「早く社会と、他人と関わりたい!!」と強く希求したことを覚えています。

そんなこんなで

二度目の受験で無事第一志望の大学に合格し、晴れて私は社会復帰を遂げました。

抑圧していた社会や他人への関わり欲求を爆発させた私は、入学当初からフルスロットルをかまし、結果変なことにも首を突っ込んじゃったりして大学一年目の夏に留年が決定するのですが、まあでも失ったものより得たものの方が大きいからよしとします。

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