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大好きな夫との、尊い命を授かった。家族になっていく、あなたに会えるまでのトツキトオカ

出産を間近に控えた頃、妊娠生活を振り返って記したnoteです。
(出産後の投稿のため、もろもろタイムラグが発生しています)

「お母さんになりたい」
 
その願いは、私の奥底にずっとあった気がする。

父と母から、愛情をたっぷりもらって育ったこと。

母が「色んな幸せがあるけど、できるならいつか、かなも親になる幸せを味わってほしい。自分の子どもって、本当にすっごく可愛くて、子育てはすっごく楽しくて幸せだよ」と私によく言っていたこと。

それらの影響から「いつか私もお母さんになりたい」という気持ちが、無意識に育まれていたように感じる。

お母さんになりたいと思えば思うほど「子どもがほしくてもできないこともある」という事実に不安を覚え、もしもの時に落ち込まないよう「私はきっと、子どもができづらい体質かも」と学生時代から思い込むほどになっていた。(もともと生理不順で、生理痛で2回ほど救急車で運ばれたり子宮内膜症の疑いがあったりしたこともあって)

子どもをもつことへの漠然とした憧れは、夫と結婚してから「大好きなこの人との子どもがほしい」という具体的な願いに変わる。

こんなに大好きな人の子どもなんてどんなに可愛いのだろう。ふたりの生活も幸せで楽しいけれど、家族が増えたらきっとまた違う幸せと楽しいが待ってるんだろう。子どもについて悩んだり話したり一緒に乗り越えたりして、子どもの成長を喜んで幸せを感じて。夫とのそんな生活はきっとすごく楽しいだろう。

そんな想いは結婚当初からあったものの、いわゆる妊活に1歩踏み出す勇気はずっともてないでいた。

結婚生活は、東京を離れて仕事も変えて、まずは自分たちが住みたいまちについて模索するところからの出発だったし、なによりも自分たちがどうしたら心地よく「働く」や「生きる」ができるのか、ずっと分からなかった。こんなにも稼ぐのが苦手な私たちが、子どもを育てるのに十分なお金をどう得ていくのか。自分のこともまだまだ未熟な状態なのに、親になっていいのか。不安しかなかった。

そこから妊活に1歩踏み出したきっかけは、正直に言えば、勢いとタイミングでしかなかったように思う。

私たちはきっとこれからもずっといつまでも、自分の人生について悩み続けるのだろうし、稼ぎも安定しないのだろうけど、そうやってふたりで支え合いながら生きていくのだろう。

そんな諦めとある種の覚悟ができた(ように思えただけで、実際はその後も不安になったり落ち込んだりし続けているのだけど)ときに、赤ちゃんがやってきてくれた。

これはもう本当に、奇跡としかいいようのないタイミングで。

奇跡すぎて、病院を受診するまで、ずっと信じきれずにいた。

妊娠検査薬を使い、一瞬で陽性反応が出て。食べづわりのような症状も出てきて。客観的に見れば妊娠している確率がすごく高かったときも、すごくすごく妊娠していてほしかったから、落ちこまないように自分の気持ちに予防線をたくさんはっていた。

「まだ妊娠してるかは分からない…子宮外妊娠の可能性も心拍が確認できない可能性だってたくさんあるんだから」と、どきどきしながら病院を受診。

先生が、モニターに映るよく分からないリングのような白い物体を見ながら「これが赤ちゃんですね。胎嚢も心拍も確認できて、順調ですよ」と声をかけてくれたときも「私、妊娠してるの…?」とまったく実感がわかず、どんな感情なのかよく分からない頭のまま、待合室に戻り、次回の予約とお会計を終えた。

「私たちのもとに、赤ちゃんがきてくれたんだ…」と、ようやく実感がわきあがってきたのは、夫の涙を見たとき。

コロナ対策のため病院に入れず、駐車場でずっと待ってくれていた夫に「赤ちゃんいるって、元気だって」と告げると、夫は泣いていた。

エコー写真の、まだ2mmの存在ですら、可愛くて。こんな大好きな人との子どもが、今この瞬間も自分のお腹にいるのだ。

その事実に、うれしいとか幸せとかでは表しきれない感情がこみあげてきた。

赤ちゃんがきてくれた。その幸せを噛み締めれば噛み締めるほど、次第に「この子が無事に産まれてくれますように」という、祈りと不安が強くなっていく。

その頃にはすでに、妊娠初期で悲しい結果となってしまう人がたくさんいることも知っていたし、私の母は、私を産む前に第二子を流産していたし、新卒で入った会社の先輩は、臨月の頃に胎盤剝離で赤ちゃんを亡くしていた。

そんな知識があったからこそ、私たちのもとに来てくれた、この大切で大事で絶対に守りたいこの子は本当に無事に育ってくれるのか。すでに喜び以上に不安な気持ちの方が大きかった。

たくさん幸せで、たくさん不安で。

そんな妊娠生活が、スタートした。

「母子ともに健康です」

出産報告でよく見かけるこの1文。今まで何気なく見ていたけれど、こんなに重みのある言葉だったとは。

そもそも妊娠にいたるまでが奇跡だし、無事に妊娠できたとしても、妊娠初期で悲しい結果となってしまう人もたくさんいる。

特に妊娠初期の段階での流産率が高いこと・まだまだ胎動もなく、赤ちゃんが今この瞬間きちんと生きていてくれてるのか確認する術が何もないことから、今振り返ると、健診までの不安が1番大きかったのが、妊娠初期の頃だったと思う。

この頃の体の変化として、疲れやすくなって早々に就寝することが増えたり、今まであまり好みではなかったものが急に食べたくなったり(私の場合はトマト。ミネストローネ!トマト!ケチャップ!という感じだった)

あとは、いわゆる食べづわりのような、お腹が空くとなんか気持ち悪いとか、食べたあとに胃もたれで気持ち悪いなどそういう症状はあったものの、つわりのひどい方に比べたらかなり恵まれていた方だったと思う。

だからこそ、赤ちゃんが本当に元気なのか、次の健診で悲しい現実を告げられてしまうのではないか。そんな不安に日々駆られていた。

赤ちゃんの存在が分かってすぐの頃から日記をつけているのだけど、初期の頃の記録はほとんどなくて。それは「いつ何が起こるか分からない」という不安のあらわれだったと思う。

2週間ごとの健診が不安でどきどきで、待合室は生きた心地がしなくて「赤ちゃん順調ですよ」のひとことを先生から聞けた瞬間、幸せと嬉しさでいっぱいになって、この子が元気なら他のことはもうなにもかもがどうでもいいや…と本気で思えていた。

母子手帳をもらって、食べづわりもおさまってきた頃。先生から「そろそろ、体重管理がんばりましょうね」のお達しをもらう。

どうやら、私の身長が小さいため、赤ちゃんが大きすぎると出産が大変になってしまうらしく。そのために、私の体重も通常よりおさえめで頑張らないといけないらしい。(後から知ったところ、そもそもこの病院自体が体重管理が厳しいで有名なところだった)

とはいえ、赤ちゃんのために必要な栄養はとらないといけないし、筋トレなど激しい運動はできないし。そんな状況でどう体重を管理したらいいんだろう…?という疑問を抱えながら、どんなものを食べるといいのか、逆にどんなものはよくないのかなど色々と調べ、毎日体重計に乗り、できる運動をした。

もともと自分を追い込みやすい性格と、赤ちゃんのためにできることをしたい!という気持ちとでいろいろ頑張りすぎたせいか、ホルモンバランスの影響や疲れからくるものなのか。この頃から、体のマイナートラブル以上に、メンタル面でつらくなりすごく些細なことでイライラしてしまうことが増えていった。

私ばっかりなんでこんなに頑張って食べるものや栄養を気にしないといけないんだろう…こんなに頑張ってるのに、また体重が増えてしまった…。

保育園のこととか出産準備で必要なものとか、何から考え始めたらいいんだろう…。夜は疲れてしまうから、知り合いから食事のお誘いがあっても行けないし、できないこと、我慢しなきゃいけないことがどんどん増えていく…。

きっかけは色々だけど、私ばっかり、から始まる様々なイライラが沸々と湧きあがってきて、その気持ちを夫にぶつけては、険悪な雰囲気になって。その後ふと冷静になって、こんなに大好きな人を傷つけてしまっている自分が嫌でたまらなくなって、何度も泣いた。赤ちゃんがきてくれてこんなに幸せなのに、イライラしたり泣いたりしてばかりで、赤ちゃんにも申し訳ない。そう思うと、もっと泣けてきて。

たくさん泣いて、その度に夫に受け止めてもらった。

いわゆる妊娠中期と呼ばれる時期に、何度そんなことを繰り返したのだろう。

中期も中期でなかなかよく泣いていたなと思うけど、まだ序の口。妊娠後期はもっと泣いていた。

きっかけは、もうすぐ妊娠9ヶ月を迎えようとした頃の妊婦健診。

なんだか、よくお腹が張るような気がする。痛みこそないものの、夕方くらいからお腹がパンパンでご飯を食べると苦しいくらい。

そんな症状を伝えると、念の為という感じで、子宮頸管の長さをはかることに。その結果、その時の週数相当よりだいぶ短くなっている事が発覚した。今すぐどうこうという訳ではないけれど、早産に繋がる恐れもあり、もう少し短くなってしまったら入院しなければならないと告げられた。

できることとして、とにかく無理をせず、横になっていること。仕事も家事も外出も極力控えること。

この時点で、妊娠32週。少なくとも正産期と呼ばれる37週をむかえるまで、お腹のなかにいてくれるのが目標となる。

1ヶ月半近く続く、自宅安静期間の始まりだった。

これまで検査に引っかかることもなく、経過としては順調だった妊娠生活。どこか勝手に、このまま何事もなく出産までいくんだろうなと思っていた。だけど、そんなことはなかった。妊娠の奇跡さ無力さを改めて感じさせられた。

予定より3週間ほどはやく仕事を辞め、約束していた予定もすべてキャンセル。家事は夫がすべて担ってくれ、お昼は夫がつくってくれたものをレンチンし、夫が仕事から帰ってくるまで外出することもなくただただ横になって過ごす。

「好きなだけ本や漫画読めるし、ネトフリやアマプラも見放題で天国!」と感じる人もいるかもしれないけれど、やってみて私は本当にしんどかった。

数日、せめて1週間なら楽しめたかもしれないが、すべてが暇つぶしで終わる1日は、時が過ぎるのが遅すぎた。今日も明日も、同じことの繰り返し、毎日がすべて暇つぶし。これがずっと続くのかと思うと、なんのために時間を過ごしているのか、明日は何を楽しみにしたらいいのか、今日をどう楽めばいいのか、何度も見失った。

何もする気になれず、ぼーっと横になっている時は、思考もネガティブな方向に引っ張られてしまう。

夫としか会えないため、社会から切り離されている気がし、誰からも必要とされていない居場所がない孤独感もあった。そして、フリーランスである私は、いわゆる産休育休手当がでない。会社員と比べて、出産や育休でもらえるお金は、絶望したくなるほどの差がある。知っていて選んだ道ではあるけれど、私だって税金納めてるのになんで?と悔しくて、普通の妊婦さんならこの産休中だってお金がもらえるのに、私は稼げもせずただ横になっているだけなんだと思うと、お金の面でも夫に負担をかけてしまって申し訳なかった。

暮らしの面でも、自分だけでできることはほとんどなかった。たとえば、何か食べたいものがあっても、夫に連絡してスーパーにわざわざ寄ってもらって買ってきてもらうか、つくってもらう必要がある。大好きな食事のことすら、食べたいものを自分でつくることも決めることもできず、自由にできない。なにかをお願いしようとすると、それが全部夫の負担になってしまう気がして、言えなかった。

夫は仕事も家事もしてくれていて体力的に疲れているのに、私は1日ごろごろしているだけなのも申し訳なく、私はこんなに大切な人のお荷物でしかないのだと、そんな気持ちに陥った。自分では何も出来ず、誰かの力を借りないと生きていけないのは、こんなにも心が削がれるものなんだなと初めて知った。

一方の夫も、これまで通り仕事をこなしながら、今までふたりで分担していた家事を急に一手に担うこととなり、「大丈夫!」と言ってくれはしつつ、当たり前だけど確実に疲れていた。私の精神的な不安定さにも付き合ってくれていたから、本当にくたくただったと思う。体も心も互いに疲れきって、ふたりで泣いたこともたくさんあった。

このしんどかった期間を乗り越えられたのは、体力的にも精神的にも私以上に大変だったなかで、たくさん支えてくれた夫のおかげでしかない。

妊婦さんの体の変化が大きい分、そこにフォーカスされがちで、それはもちろんその通りなのだけど、それを支えている旦那さんだって、絶対に大変で、私は平等だと思っている。だけど、その大変さや父親になる不安を口にする機会ってなかなかないように思う。

夫が大変だった時期、外で話を聞いてくれていたであろう、職場の皆さんや友達には、本当に感謝している。妊娠生活をこの地域で迎えられて本当によかった。

産後の女性は、全治2カ月の交通事故と同じぐらいのダメージを負っているため、産後6〜8週間は回復に専念し、最低限の赤ちゃんのお世話以外はできるだけ横になっているのが望ましいと聞く。

私があまり動けないこと・外に出れないこと。夫に家事をお願いする部分が多くなってしまう状況は、自宅安静期間と似ている部分が多いようにも思う。

乗り越えられた今だから言えることとして、安静期間が私たちにとっては産後のすごくいい練習になったのかもしれない。

今回、今まで二人で分担していた家事を夫一人で担ってもらうと、何が体力的・精神的に負担に感じるのか、実際に経験したからこそ分かったことがたくさんあったし

その負担を少しでも減らすため、ネットスーパーを利用したり、冷蔵庫・洗濯機の買い替えをしたり、平日の料理を極力楽にできるよう、簡単つくりおきレシピもたくさん試行錯誤したりした。

もともと家で過ごすのが苦手で、週末は絶対にカフェで過ごさないと気がすまなかった私たちが、家でも楽しく休日を過ごせるようになった。(安静解除になった今、外に出れる喜び・カフェで過ごす楽しさを改めて感じているところでもあるのだけど)

経験してみるまで「きっと大丈夫だろう」と思っていたことも、実際は全然大丈夫じゃなかったことがたくさんあったので、産後になって急にこの状況になっていたら、かなりしんどかったかもなあ…と思う。

これまでの妊娠生活を振り返って、ホルモンバランスのせいもあるとはいえ、めちゃくちゃ精神不安定で泣いてばかりの自分にドン引きしている。

他の妊婦さんは、きっともっと大らかな気持ちで妊娠生活を送っているんだろうなと思うと、自分が恥ずかしく赤ちゃんにも申し訳なくなり、この記事は公開しないでおきたい…と思ってしまうのが正直なところ。

それでも、というか、私がこの妊娠生活を振り返って1番強く感じたのは、「妊娠生活しんどかったな」ということではなく。なによりも、夫と赤ちゃんへの感謝の気持ちだった。それを書き残しておくため、つらかった時期のことも全部記そうと思っている。

私たち夫婦は、とても仲が良いと思う。声を荒げた喧嘩はしたことがないし、お互いに嫌なことがあれば、その都度向き合って気持ちを伝えあって解決してきた。私は、夫が大好きだ。

そんな大好きな夫を、この妊娠期間で何度も傷つけてしまった。訳もなくイライラした気持ちを配慮なくそのままぶつけ、何度も険悪な雰囲気になった。お互いに疲れ果てて、ふたりして泣いた夜もあった。

そんなときも、いつだって夫は、私の気持ちを受け止めてくれて向き合ってくれて、たくさん言葉を重ねてくれた。イライラの底にある不安を見つけて聞いてくれ、大切にしてくれた。

私の不安定さを、ひとりで背負うのは本当に本当に大変だったと思う。たくさん支えてくれて、本当にありがとう。あなたが夫でよかったと、何度思ったことだろう。あなたがいてくれて、私は本当に幸せです。

夫へ

健診のたびに少しずつ人間らしい形になっていく赤ちゃんの成長とともに、私たちも少しずついろんなことを乗り越えて、より関係が深くなっていったね。

この数ヶ月で少しずつ赤ちゃんをお迎えする準備を進めて。ふたりのなかで赤ちゃんの話が増えていくのが、すごく楽しくて幸せだったなあ。

こういう時間も産後はもちづらくなるかもねといいながら、毎週カフェに行って。赤ちゃんと暮らすのに必要なものリストを一緒に作成して、保育園のことなど赤ちゃんにまつわるいろんな話し合いをしたね。

部屋に赤ちゃんが過ごせるスペースを確保するため、ベッドやデスク・椅子など要らないものを全部捨て、リビングほとんど全てを空にして。そこに少しずつベビーグッズが増えていくたびに、本当にここで赤ちゃんがもうすぐ暮らすのだなあと実感がわいてきて。

保育園の見学に一緒に行ったり「産まれたらこんなことしたいね」なんて話をしたり。臨月を迎えてからは、出産や育児に関する動画を、ふたりで見ながら勉強したりして。

少しずつ大きくなっていくお腹を一緒になでながら、たくさん胎児ネームを呼んで話しかけたね。

赤ちゃんがきてくれて、あなたのなかにもいろんな感情が日々生まれて変化もしていて。喜びはもちろん、不安もすべて包み隠さず話してくれたときは、今までの結婚生活では知らなかったあなたらしさを知ることができたなと思っています。

赤ちゃんがきてくれて、私たち夫婦の関係は確実に変わって。もっと家族になれたトツキトオカだったね。

赤ちゃんが産まれた後も、産まれた後こそ、大変な時期もたくさんあると思うけど、その度に向き合って、一緒に乗り越えていこうね。変わらない部分を大切に持ちつつ、楽しく変わっていこうね。本当に本当に、ありがとう。

赤ちゃんへ

あなたには、感謝しかないのです。
私たち夫婦のもとに来てくれて、私のお腹のなかで無事に育ってくれて、本当に本当にありがとう。

あなたが存在してくれている、健診のたびに、なにごともなくすくすく育ってくれた。それだけで、すでにたくさんの幸せをもらっているんだよ。

持っていた洋服がきつくなってきて、お腹が少しずつ大きくなっていることを実感して、胎動も少しずつ感じられるようになって。

つらかった時期も、あなたがぽこっと動いてくれると生きてる証を感じられて、落ち込んでいても幸せを感じたし救われていました。

臨月に入ってからは、びっくりするほどのスピードで体重が増えてきたね。お腹も急に大きくなって、胎動もより力強くなって。最近はあなたが動くともはや痛いほどで「今ここに足があるな〜」と思いながら、なでています。

あなたが無事に大きくなってくれたことで「もういつ産まれても大丈夫」と安静解除がおりて。ここ数日はカフェに行ったり掃除したり、のんびり料理を楽しんだり。安静期間にできなかったことをたくさんして、ご褒美のような時間を過ごしています。産まれる前にこういう時間をくれて、ありがとうね。

お腹のなかの居心地はどうですか。まだまだお腹のなかにいたいかな、それとも早く外に出たいかな。誕生日はいつになるのかな。

今のところなんの兆候もないけれど、今日急に陣痛がくるかもしれないし、逆に2週間後もまだお腹のなかで一緒にいるかもしれなくて。いつその日を迎えるか分からないのは、なんだかそわそわして不思議な気持ちになるけれど、あなたのペースで、出たいときに出ておいでね。大きくなりすぎたらいざ産まれるときは大変かもだけど、元気でいてくれたらなんでも良いなと思っています。

陣痛は不安だし怖いけど、私以上に赤ちゃんの方が痛いし何倍もがんばってくれている。あなたを想いながら、呼吸して酸素を送るからね。一緒にがんばろうね。

あなたがお腹にいる間泣いてばかりだった私に、呆れているかもしれないね。外の世界にきたら、今度はあなたがたくさん泣く番かな。お腹の中で私の涙を見守ってくれてた何倍も、たくさん泣いていいからね。時には、ふたりして一緒に泣く日もいっぱいあるかもしれないけれど、それもいいよね。

あなたのことを、ぎゅーーっとこの腕で抱きしめる日を、とってもとっても、楽しみにしています。どうか、元気に会えますように。


〜追記〜(出産予定日4日前【妊娠39週3日】)

これを書き上げたのは、妊娠37週が終わる頃。
切迫早産と診断されたこともあり、なんとなくすぐに産まれるかな〜と思っていたのに、すでに2週間が経ち予定日まで残り4日となった。

当時は、もうこのまますんなり穏やかに出産の日を迎えるのだろうと思っていたけれど、実際はこの数週間でまたいろんな感情を経験した。

本当に妊娠っていろいろあるのだなあ。

日々その時々で感じていたことを、ぐちゃぐちゃのまま書き残した記事はこちら


~追記の追記~

↑の追記を書いた2日後の夜、まさかまさかで陣痛がきてくれ、39週6日に無事に男の子を出産しました。

心配していた体重もさまざまなタイミングも、すべてベストで産まれてきてくれた赤ちゃん。

命の凄さを実感する出産だったけど、とにかく無事に産まれてきてくれて本当によかった。

頑張って産まれてきてくれて、本当に本当にありがとう。



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