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正直今日書くことはあまりない。
昨日から行っていた話し合いを行なった以外正直あまり記憶がない。
唯一、僕が笑えたことがあるとしたらある女の子に何故か「レッサーパンダみたいだね」と褒め言葉なのか貶されているのかわからない事を言われたことだろう。
それ以外で考えれば正直今日は最悪で本当は話したくもない、思い出したくもない日
としか表現できない。
話し合い。
僕なりには頑張ったつもりである。強い言い方をしないように、だけれどしっかり僕の言葉で話す。それに関してはできていたと思う。
でも正直僕が悩んでいるのはそこではない。
世界の不条理さ。
それに限る。
加害者とは言うべきではないが、ある意味この面倒臭い問題を起こすきっかけを作った張本人には逃げ道があり、今後バンドを誰かと組んで軽音部に入る。もしくは前みたいに先輩と組んで歌う。
なんてことができるという正直僕の前ではあるが笑って話していていい気分はしない。
だけれど一方の女性(以下L)には正直逃げ道がない。
性格上もうあの美しい歌声を生徒の前で披露することはないだろうし、きっと彼女とは違いバンドも組まない。
僕らのバンドでボーカル問題が浮上してしまっているから、どこかでLにボーカルを頼もうか。そんな理想論は影を潜め、もう顔をのぞかせることがないだろう。
流石に僕が話している時のLの顔を見て仕舞えば本当にいい気分がしない。正直気分は下降する一方だ。
もちろんもう好意はないし、ただの知り合い、友達として接している。だけれど、
一人間、思い出、どうしてもそれが蘇ってきてしまって正直胸が苦しくなる。
僕の決断、僕らの言葉でこうも人一人の人生の道を変えるのかと。人生というものは簡単に左右され、簡単に揺らぐ。今まで培ったものも、結局は幻想でしかなく、脆く、儚い人生の過去というものは現在に影響され未来が左右される。
なぜ本来悲しませるべきでない人を悲しませて、本来は罪の意識と言って仕舞えば大袈裟だけれど、ある程度の罪悪感を抱かなければいけない人間が未来に希望を持っているのだろうか。本当に世界は不条理だ。
そんなことはとっくのとおに分かっていたはずではあるがここまで自分が関わり、実感した経験は今日が初めてだ。
ここまでくれば世界平和なんてどうでも良くなってくる。だって結局はここまで平和ではない争いは身近で起きていて、誰かが涙を流している状況を人々は平和と呼ぶ。
ならば僕は平和などいらないとさえ思ってしまう。
正直何を言おうか。まあ定まってはいない。
今は少し感傷的に、感情的になっている部分はあるとは思う。だけれど多分それは明日も変わらない。
自分がやったことが間違っているとは思わない。残酷ではあるが必要であったという理論は通っているし僕も理解している。だけれど正直それでは片付けられない現実が今ここにはある。
感情論ほど筋の通らないものはないと思っている。それは今も同じだ。だからどこかで話す場面がまたあれば僕はあまり感情の話はしないだろう。
だけれど今は、1人の時間だけは感情論主義者になってもいいのではないかと思う。
それほど今日の出来事は僕の心に大きな印象を与えた。
3月2日の人一人が涙を流し、僕らの選択が誰かの選択となってしまっている日でも姿を変えない斜陽を僕は忘れないだろう。
足裏に引っ付いた桜の花びらが教室へと運ばれ、踏み潰され、原型を留めていない情景に僕は少し惹かれた。
多分相当疲れているのだろう。
だけれどこれはきっと一人では抱えきれなかったし、直前で自分の生活を投げ出してまで一緒に来ると決めてくれたCには感謝しかない。
ここまでの友達は存在するのかと。
正直今の状況で、1番信頼しているのは彼女かもしれない。
結局何かを背負うなら二人で背負った方がいいという言葉は僕を大いに救ったし、これからも救っていくことになると思う。
良くやったよ。と言われた瞬間。僕は少し報われた気がした。
数十メートル先の壁越しには涙を流す人間がいて、とても空気が読めているとはいない音楽が流れる廊下で、僕は人時の安息を得た。
この気持ちは罪悪感でも罪の意識でもない。正直これがまだ何なのかが分かっていない。だけれど一つ、近しい言葉があるとしたら穴が埋まっている喪失感というべきか。
僕自身からは何も欠けていない、だけれど他人の何かが欠けてしまったのではないかという感情による喪失感、無気力感。責任というものの重さは計り知れない。
人間は自分自身のために死ねるほど強くはないというがきっとそれは本当だろう。
誰かのために、何かのために、そのような大義が僕をある意味死への選択とも言える状況へと向かわせる。
だけれど不思議と孤独感を感じることはなく、このためならば良いのではないか。そんな感情すら浮かんでくる。
それほど人間は面白い。だからこそ或一定の大義を僕は今回達成し、失ったからこそこの気持ちが浮かび上がっているのかもしれない。
自分が他人の道を上書きし、変えてしまうこともある。それへの抵抗感と恐怖心、多分これは当分の間消えることはないだろう。
少しの希望は僕には相談できる、一緒に蟹工船に乗ったCがいることだ。それだけが救いであり、僕がまだ平常心を保てる理由なのかもしれない。
話がまとまらず、長くなってすまない
それでは
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