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ハムやバウムクーヘンを日本に伝えたドイツ人捕虜たち

坂本龍一やビートたけしが出演した映画『戦場のメリークリスマス』は、ジャワ島の日本軍俘虜(捕虜)収容所が舞台。捕虜たちへの暴行など、第二次世界大戦中における日本軍の捕虜への過酷な扱いが描かれています。

一方、映画『バルトの楽園』は、第一次世界大戦中の板東俘虜収容所(徳島県)が舞台。捕虜により『交響曲第9番 歓喜の歌』が日本で初めて演奏されたエピソードでわかるように、捕虜たちは人道的な扱いを受けました。

第1次世界大戦の日本は連合国側で、同盟国側だったドイツの租借地・青島で、多くのドイツ兵を捕虜とし、約4700人を日本各地の俘虜収容所に移送しました。

日露戦争に勝利した後の当時の日本は、文明国として欧米各国に認められようとしていて、「俘虜ハ人道ヲ以テ取扱ハルヘシ」などと定められた国際的な取り決めである「ハーグ条約」の精神を守って対応しました。

捕虜たちには階級に応じて俸給が与えられた上、労働には賃金が支払われました。衣食住も支給され、本国への手紙も無料。捕虜たちによる多彩な文化活動も盛んで、地域住民との交流も行われました。

そんな中、さまざまな技術を持っていたドイツ人捕虜たちの中には、それを日本に伝えた人たちがいました。

例えば、久留米俘虜収容所に収容されていたアウグスト・ローマイヤーは、当時の日本では、豚のもも肉を使ったハムをつくるのが難かしかったため、ロースハムを発明、普及させました。

同じく、久留米俘虜収容所のパウル・ヒルシュベルゲルは、日本足袋株式会社(ブリヂストンの前身)でゴム配合を担当。自動車タイヤ製造に乗り出した際、社名を社長の石橋正二郎の「石橋」を英語読みした「ストーンブリッヂ」では語呂が悪いと、逆さまの「ブリッヂストン」にしました。

さらに、似島俘虜収容所(広島県)に収容されたカール・ユーハイムは日本で初めてバウムクーヘンを焼くことに成功。日本人向きにアレンジして販売しました。

さまざまな分野で足跡を残すドイツ人捕虜たち。戦争が持つ様々な側面の一つとして、知っておきたいエピソードです。


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