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「マスク狂騒曲」を読んで

コロナ茶番初期に起きた、ピーチ航空強制降機事件の当事者、マスパセさん(奥野淳也さん)の著書「マスク狂騒曲」を読んだ。

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つい先日まで蔓延していた、今もなお危うさをはらんでいる世の中全体マスク警察のような空気感を思い出すと同時に、メディア、警察、裁判所の腐敗っぷりを改めて奥野さんの視点から追体験して胸が苦しかった。

マスク着脱拒否を理由に拘留され、職を失い、裁判中。奥野さんは法律の専門家だからこそ、冷静にぶれずに対応しているが、私が当事者だったらここまで貫けるか?不本意にお願いという圧に屈しマスクを着けたこと数知れず。
そしてもし私が当時奥野さんのように理詰めで反論していたら、タイミングが悪ければ同じように拘留されていたかもしれないのだ。

5月の事実上マスク「解禁」後、なかなか進まなかった脱マスク。保育園であんなに頑なにマスクにこだわっていた園長、夫にマスク着用を促した担任の先生はしらっと素顔になっている。
会社では人事が「強要はできませんが、配慮を」と言いつつも、もはや人事含めほぼ素顔。

強要していた人たちが素顔になっているのを見て、私は怒りを禁じ得ない。散々マスクを強要しておいて、自分たちは何の断りもなく外すとは何事ぞ。一言説明があってもいいのでは?と思うが、もう彼らと思考が交わることがないのではと絶望しているため、一線交える手間さえ面倒に感じている。

自分軸を持たずに、世間の空気感で自分の行動を変える人々とは、無理矢理頑張って交流する必要はないと感じる。

新学期が始まり、また身の回りで「コロナになった」という話を聞く。いまだにPCR検査をしている人にも、コロナだからと免罪符をかざし会社を休む人にも驚愕する。(もちろん体調が悪い時は当然休むべきなのは大前提。)
ここまで来てコロナを怖がっている人たちと私がこの先意見が一緒になることはない。

自分と自分の家族を守れるように、引き続き政府には意見は挙げ続けていく。

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