宗教二世

私のアカウントを見ている人は多分知っていると思う。私は宗教二世だ。
今日もトレンドに"エホバの証人"が乗っていて、少しずつ、少しずつ救われていく気がしている。

生まれた時から宗教の集まりに参加させられ、面白くもない話を2時間、大会では何日も、じっと座って、お絵描きをしてはいけなくて、きちんと話を聞いてノートを取らないといけなくて、体調が悪くても第二会場というよくわからないけれど排斥された人やあぶれた人たちがいるところに連れて行かれ、じっとしていないとトイレに連れて行かれておしりを叩かれて。土曜日の朝から奉仕活動という、お馴染みの2人組で歩いて家を回るやつをさせられ。そんな生活が中学生まで続いた。もちろん、学校では校歌、国家は歌えないし、いただきますの合掌も出来ない。くじらの肉は食べられないし、剣道、茶道、柔道、国旗掲揚、その他諸々を禁止されていた。今になって思う。私がいじめられていたのは、明らかに私がおかしかったからなのではと。変な宗教に入ってる人が疎まれるのは当然だ。よく、いじめられる側にも問題がある、というのはおかしいと言われているが、私に関しては、私に限っては、私に原因があったと今では思っている。

私の母親と関わって、ここにいたら私がダメになる、と。実家から連れ出してくれた人にずっと感謝している。その人がいなければ私は今でもあの村社会の、噂話しか娯楽がない人たちがいる田舎で、カルトの人たちが何かと理由をつけて会いに来る場所に囚われ続けていたのだろう。
その人に生まれて初めて誕生日をたくさん祝ってもらった。生まれて初めてサンタさんが来た。生まれて初めて新年に神社に行った。大好きな人に色んなことを初めて、してもらえたことが唯一の良かったことだと思った。

親元から離れて、ようやく宗教を強制させられていたことへの文句が言えた。母親は"〇〇が自分の意思でやっていると思っていた、強制してるつもりなんてなかった、叩くのはその頃は普通だった"などとほざいたが。あの人たちはもう、手遅れなんだと、何度も話した上で思った。両親は70歳と60歳を超えていて、50年間くらいエホバを信仰していて。きっと惰性なんだと思う。何も考えずただ宗教の教えに従っていれば良いから。あの人たちが目を覚ましたらきっと自分の人生を全部棒に振ったことを知って死んでしまうだろう。"教えが間違っていたとしても私たちは今幸せだし、楽園が来たら嬉しいから"と言われ、もしかしたら気づいていて、全てに気づかないふりをしているのかもしれないと思った。

きっと赦すことはない。あの人たちが宗教を辞めない限り。きっとずっと宗教に囚われて生きていくのだと思う。親に虐待された人が何十歳になっても傷が癒えないように。
私は虐待されているという自覚はなかった。けれど、厚生労働省が出した虐待の定義に今までされてきたことがたくさん載っていて、私はされていた側なんだと。初めて知った。
被害者ぶってもいいんだ。悪いことだったんだ。
周りからしたらいい親で、心配してるだけなのよ、と済まされていたことに関する憤りは間違っていなかったんだ。この憎しみは反抗期なんかじゃなく、ただ人として、嫌いなだけだったんだ。

宗教二世やエホバの証人が話題になるたびに、この憎しみを抱くことを許されていく気がする。

どうか、今苦しんでいる人たちが少しでも楽になりますように。逃れられますように。傷が薄れますように。


てか、目覚めよ、とかいう冊子があったけどお前たちが目覚めろよ。笑

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